亀形水盤の造形的異常さ。飛鳥時代特有の上から注ぎ横に流す。(再編集)
2024年7月再編集
飛鳥時代特有の亀の造形
亀井水の亀形水盤が、いかに特殊な存在か。
導水装置に生物をデザインするとき、人間はまずその生物の口から水を出す仕掛けをします。
その常識に従い、明治末に、上の亀の噴水を取り付けられた。1300年間護られてきた姿を、“常識”という独断で、変えてしまった。
亀形水盤の頭を、上の亀の頭が隠してしまったのでわからなくなりましたが、本来は、亀形水盤の頭に水を落とし、頭の空洞から内側の孔を通じて水が流れこむ。
孔の重要性
亀井がまちがいなく創建時の遺産だと証明する、重要な「孔」です。
この、孔、の観察と、亀井の頭が空洞であることの確認から、亀井水調査の展望が広がりました。
なぜこんな孔があるのか?注意して観察し、疑問をもてば、亀井の本質の解明にむけて展望がひろがる。誰も疑問を持たなかった。無念!
亀井(亀形水盤)の首の内側にある孔。本来の導水孔。孔の深さは8㎝。さらにその奥に空洞が続く。明治時代の亀の噴水の頭で隠されているが、亀井の頭は空洞になっている。
本来は亀井の頭に水を落とし、孔から静かに水を流し込む仕掛けであったことがわかる。
このような水盤は、四天王寺の亀井と、2000年に発見された飛鳥の亀、二例しか世界にも確認されていない。
飛鳥時代特有の導水装置
左上、四天王寺亀井水再現図
左下、飛鳥苑池、導水装置全体図
右上、飛鳥苑池、池中の噴水
右下、酒船石遺跡亀形水盤
共通点は、上から注水し、横向きに流す。
孔を開けるのは手間かかってます。時代的に先行するのは、亀井水です。
飛鳥の亀は奈良時代に埋没し忘れられた。二つの亀形水盤が関連遺産であるならば、亀井は四天王寺創建時の遺産と考えるのが自然である。
飛鳥の亀形水盤は、斉明天皇の王権の祭祀にかかわる。不遇の時期を難波宮ですごした斉明天皇は、四天王寺にも何度も訪れ、亀井水も熟知していただろう。
亀井水の存在は、四天王寺が王権に深く関わる、官立寺院である証拠ともなる。
なぜそんな手のこんだ造作をしたのか。
誰が考えても、現在のように、水盤に直接水を注げば済むことです。
亀井とその頭に水を注いでいたもう一つの石槽つまり影向井、その全体の幾何学的構造から、この導水装置は、東の空を映し礼拝する、水鏡であった。
つまり、水面が波立たないようにするための、特殊な工夫であろう。
このような装置は、亀井水と、2000年元旦に発見された飛鳥酒船石遺跡の亀形水盤の、2例が知られているだけです。
2024年は龍歳です
四天王寺の地主神は龍神さまです。四天王寺に湧き出す地下水のエネルギーです。その信仰は仁徳天皇の時代に、荒陵(あらはか)と呼ばれる聖地として保存されたことに、さかのぼります。
大阪市の背骨といえる上町台地は、巨大な地下水脈を秘めています。まさに、龍神の恵みです。四天王寺ではその一部が亀井水として可視化されています。
四天王寺の南西の位置に、天王寺公園の慶沢園という庭園があります。
そこに、ユニークな龍神さまがいらっしゃいます。