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追悼 大江健三郎 -私淑する文学の先輩への手紙(少しだけ推敲2稿)

・・大兄

大江健三郎の『個人的な体験』、夏目漱石の『こころ』に中学生で出会い、衝撃をうけたことがぼくのすべてをかたちづくっています。

社会に向き合うこと以上に、個人の問題を重く考えること。『こころ』の先生は、若いときの友情事情を生涯の最重要問題とし続け、結果的にそれがために自己処断に至る。バードは、生まれた子に障害があることに動揺、苦悩し、それを受け入れる決心がその人生の根源に位置付けられる。北杜夫の『少年』と安岡章太郎の『海辺の風景』、『花祭』から始まった中学生の内省する時間にあって、大江と漱石はあまりに重量度大きい存在で、その後の全ての基軸になってしまいました。そして、そこへ庄司薫とサリンジャー。薫くんやホールデン・コールフィールドのように生きたいと憧れ、そのようには生きられなかった。映画は黒澤明の『どですかでん』。『トラ・トラ・トラ』を降板し、映画製作そのものに難渋するなか多くの映画人に激励され環境を整えてもらうなか映画に帰ってきて初日を迎えた黒澤明に日比谷の映画館で出会い、声をかけ、サインをもらって興奮にのぼせあがったまま独特な色彩世界(黒澤明初カラー作と知ったのは後年)に没入すると、そこに広がったのは社会からこぼれた市井の人々の世界。学生運動やベトナム反戦活動がすぐ傍で激しく渦巻き、それを抑え込もうとする大きな権力との鍔迫り合いが、東京のほぼ真ん中で生まれ育ったせいで身近なところで繰り広げられていたにも関わらず、ぼくは、友情、恋愛、内省こそ生きてあることの最大主題だと決め込み、父親と激烈に精神的に対立し、読書三昧、映画・演劇・音楽鑑賞に明け暮れ勉強はままならず中学3年で十二指腸潰瘍になって下血、吐血して入院しました。・・・どんどん話が拡散してる(笑)その後まで書くときりがなくなるから以下省略ですが、そうした精神生活にあっての最も重い存在として大江健三郎はぼくのなかにあり続け、今日まで来て、訃報に接した。その衝撃のなかでぼくは同時に、大江健三郎と同い年で、音楽にあってぼくを支え続ける小澤征爾のお加減を深いところで心配し、憂えていた。先だってテレビで見たお姿は胸痛くなるばかりだったのです。
今朝の朝刊は各紙一面トップ。ですよね、ノーベル文学賞受賞者なんですもの。久方ぶりに朝、毎、読、神奈川と購読している東京とあわせて全て手元に揃えて、共鳴する追悼文がいくつもあったものの、しかし、なんかそれらの報道がどうも他所ごと、他人事でしかない。できることなら成城のご自宅に駆けつけたい、葬儀は近親者で済ませたとのことだけど。だから、って、おかしな接続詞だけれど、ぼくにあっての大江健三郎の大事な著作は、『個人的な体験』と、その障害をもって生まれてバードが決意して引き受けた長男が精神的に自立するまでが描かれた『新しい人よ目ざめよ』。ぼく自身の長男には、光くんを聡明に支える妹弟として同連作に描出される弟と同じ名前を、大江健三郎氏から万葉集ゆかりと大学生の時、中西進先生のつてでご快諾いただき実現送迎した講演会で直接聞いたこともあり、『新しい人よ目ざめよ』に頼もしく登場する弟くんからいただき桜麻とつけた。そして、10年前くらいにある事情があってお出しした私信のお返しに、子育ては思い通りにはいかないものです、という一節のあるお手紙をいただいた。大江健三郎は、ぼくにとって大切な子育ての大先輩でもあったのです。だから義母が遺した山荘が北軽井沢にあったのは偶然ですが、ぼくとしてはとっても大事。北軽井沢は、大江氏にとって、光くんを育てるに大切にした場所。だから、その場所に毎夏出かけることはぼくにとって、ずっと大事なことでした。10年前に故あって手放しましたが、昨年、同じ北軽井沢、って言っても嬬恋ですが、小さな山荘を買い直しました。北軽井沢は、やはりぼくに孤独の大切さを教えてくれた谷川俊太郎が「何かとんでもない落とし物を」して、「帰るところがあるような気がする」と思わされた空の「青」がある場所でもあり、妻とふたりして、手放してしまったことを気にしつづけていたんです。
昨夜はじっと大江氏の講演「信仰のない者の祈り」と武満徹メモリアルで光さんのコンサートとあわせて行われた「新しい人」の登場を確信した内容の講演を思い返し、深く哀悼して、この私信を書きました。
大兄の1日も早い快癒を祈念しております。お目にかかり、こうした文面ではなく、直接卓をはさみ今の思いを共有したいです。どうぞお大事になさってください。
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