バカ
『FlyFisher』2014年3月号掲載
釣りの楽しさを覚えたばかりのころ、真冬の大雪のなか、日暮れまで管理釣り場で釣りをしていた。客は僕一人。風が無く、綿のような大きな雪が視界を埋め尽くし、目の前の水面が薄暮と雪が音も無く飲み込み黒ずんでいた。雪景色と黒い水面のモノトーンだけが僕の記憶に鮮明に残っている。
いや、本当のこと言うと、この雪の中、珍しく釣れていたのだ。凍るガイド、キャストするたび弾ける氷片。それでも僕は興奮で体が火照っていた。手袋などいらぬ。僕はこのとき、釣りバカとなった。
バカといえば、今のSF小説界をリードする作家、パオロ・バチガルビの『第六ポンプ』を紹介したい。遺伝子特許を独占する穀物メジャーが支配する未来で生物多様性などをテーマに描いた代表作『ねじまき少女』で一躍名を馳せた著者の短篇集。表題作である『第六ポンプ』は食品添加物の化学物質を摂取し続けたせいで、出生率が下がり、痴呆化が広く薄く浸透した近未来。主人公はニューヨークの地下で下水処理システムの維持管理を担当する職員トラビス・アルバレス。
トラビスの彼女はオーブンのガスの元栓をライターの火で照らしたり、コンセントをフォークで掃除をしようとする。
ある日職場である下水処理システムの第六ポンプが故障。同僚からマニュアルを渡され「おまえ、すげえよな。マニュアルなんか、俺ぜんぜん意味わからねえ」
「才能だよ」とやりとりする始末。
つまり字が読めるトラビスはこの世界では天才。しかし高度なテクノロジーで自動管理されていた下水処理システムについては天才トラビスをもってしてもなす術が無い。しかも今やこのシステムを理解する人間や製造した会社さえ存在しなかった。そこで手がかりを探しにコロンビア大学の工学部に出向くが・・・。
バカばかりになった世界で格闘する普通の人間。ある種のディストピア小説ではあるが、現代の工業化された食へのアイロニーが込められている短篇。
同じようにバカが支配する物語では映画『26世紀青年』がある。
「生存競争が失われた世界では繁殖力あるものが生き残る」というナレーションではじまり、IQの高い夫婦は計画的に子ども生むが、IQの低い夫婦はどんどんと「ビールを飲んでいただけなのに子どもができてしまう」。
主人公のジョー・バウアーズは軍隊の実験で冷凍睡眠されるが忘れ去られ、二六世紀に目覚めると世界はバカばかりになっていた。大統領は元プロレスラーにしてポルノスター。公共の水道から出るのは水ではなく、ゲータレード。世界は食料危機に瀕しているが、理由は作物に水ではなくゲータレードを撒いていたから。理由は「作物はゲータレードが好き。電解質が入っているから」
もちろん電解質がなんなのかわかっていない。
そんな最悪の世界に現れたジョーは現代では至って平凡であったが、このバカが支配する未来では世界で一番頭の良い人間となっていた。そしてジョーは世界を救うことを大統領から押し付けられるのであった。
とてもバカバカしいコメディ映画ではあるが、その中に貧困や格差、容易さに流される大衆とそれに迎合する国家、マスコミなどへの皮肉が込められている。一筋縄ではいかないコメディ映画である。
「釣りバカ」という言い方は釣り人にとっては称号だ。バカとつくが、このバカは尊敬を込めたバカである。「釣りマニア」とはちょっと違う。「釣りオタク」というのも違う。双方は釣りの子細までも追求するような、なんというか求道的な意味合いを持つ気がする。釣りバカはもっとシンプルに、ただただ目の前のことに集中、本能的なもの。
それがバカ。
そう、純粋さこそがバカ。
バカになることができるのが釣りという遊びなのであり、このバカの境地に達することが何よりも心地よく思っているのが釣り人なのである。
『第六ポンプ』
パオロ・バチガルピ/著 中原尚哉/訳 金子浩/訳
ハヤカワ文庫 1,058円 ISBN:978-4-15-011934-8
『26世紀青年』
20016年 アメリカ ※日本未公開
監督:マイク・ジャッジ
出演: ルーク・ウィルソン、マーヤ・ルドルフ
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