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灯台|Lighthouse

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すずきが訪れた日本の灯台の写真を記録しています。灯台を知るために灯台に関するコラムや記事なども書いています。 ※記事・写真の無断転載を禁じます This site record…
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2024年11月の記事一覧

灯台発祥の地|神奈川県横浜市

 1864年(元治元年)、長州藩と英仏蘭米の四か国連合艦隊との間で馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が起こり、敗れた長州藩(幕府)は多額の賠償金を支払うことになった。  1866年(慶応2年)に英仏蘭米の四か国は賠償金の減免と引き換えに十二条からなる江戸条約(改税約書)を幕府と締結。十一条「外国交易のため開港する全ての港への航海の安全のために必要な灯台、浮標、立標を整備する」に基づいてイギリス公使ハリー・パークス(1823~85)らは日本沿岸の灯台建設を幕府に要求する。各国公使

都井岬灯台|宮崎県串間市

都井岬灯台|宮崎県串間市 2024年10月23日 1929年(昭和4年)12月22日点灯。  宮崎県日南海岸の最南端の都井岬は東南アジアから日本にやってくる船舶が最初に視認できる場所にあり、沖合は「黄金の瀬」と呼ばれる数多くの暗礁が点在し船乗りに恐れられていた。  都井岬灯台の設置は海運界からの要望により始まったが、当時の日本艦隊が志布志湾に集結し日向灘で演習をしていたため、都井岬灯台設置には海軍からの強い要請があったともいわれている。  設置当初は一等レンズが使用され、

豆酘埼ミョー瀬標柱(旧豆酘埼灯台)/豆酘埼灯台|長崎県対馬市

豆酘埼ミョー瀬標柱(旧豆酘埼灯台)(C)長崎県対馬市 2024年10月20日 1909年(明治42年)10月13日点灯。 |豆酘埼ミョー瀬標柱は豆酘埼灯台として対馬南端の豆酘埼より南南西約1.2km沖合いの暗礁「ミョー瀬」上に建てられた灯台。構造は円形コンクリート造。  設置当時は無筋コンクリート造で円形黒白継線塗り。1934年には白色に塗装さた。2020年には灯室部が破損し撤去されている。  旧豆酘埼灯台は保守管理が非常に危険であったことや、光力の増大の必要性から198

烏帽子島灯台|福岡県糸島市

烏帽子島灯台|福岡県糸島市 2024年10月19日 1875年(明治8年)8月1日点灯。 R・H・ブラントンによって唐津湾から北東約23km沖の玄界灘の孤島、烏帽子島に建てられた。烏帽子島灯台は、レンズを含めた灯器、鉄材が英国からの輸入だったため当初の予算よりも高騰し、また絶海の孤島である烏帽子島への工事材料の輸送や追加工事が相次いだため起工から竣工まで2年6カ月という難工事の末に建てられた。  建設にあたって当初は日本人技術者により独力で建設したいと願い出ていたものの時期

条約灯台|江戸条約・大坂条約

江戸条約 8灯台 1864年(元治元年)に関門海峡で長州藩と英仏蘭米の四か国連合艦隊との間で馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が起こり、敗れた長州藩(幕府)は多額の賠償金を支払うことになった。1866年(慶応2年)に英仏蘭米の四か国は賠償金の減免と引き換えに十二条からなる江戸条約(改税約書)を幕府と結ぶ。十一条には「外国交易のため開港する全ての港への航海の安全のために必要な灯台、浮標、立標を整備する」と定められ、江戸条約によって国内に西洋式灯台の8基が設置された。 観音埼灯台

旧和田岬灯台|兵庫県神戸市

旧和田岬灯台|兵庫県神戸市 2024年10月15日  1867年(慶応3年)4月に幕府と英国公使が同年12月の兵庫開港に備えて結んだ大坂条約(大坂約定)に基づき設置を約束した5つの灯台のうちのひとつ(「和田岬」「六連島」「部埼」「江埼」「友ヶ島」)で、リチャード・H・ブラントンによって神戸港南西の和田岬砲台横に設置された。  正式な点灯開始は1872年10月1日(明治5年8月29日)だが、1871年6月(明治4年4月27日)には仮灯火で点灯を開始。  初代は木造八角形の灯