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条約灯台|江戸条約・大坂条約

江戸条約 8灯台

 1864年(元治元年)にこの関門海峡で長州藩と英仏蘭米の四か国連合艦隊との間で馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が起こり、敗れた長州藩(幕府)は多額の賠償金を支払うことになった。1866年(慶応2年)に英仏蘭米の四か国は賠償金の減免と引き換えに十二条からなる江戸条約(改税約書)を幕府と結ぶ。十一条には「外国交易のため開港する全ての港への航海の安全のために必要な灯台、浮標、立標を整備する」と定められ、江戸条約によって国内に西洋式灯台の8基が設置された。

観音埼灯台(神奈川県 初点灯1869年)

野島埼灯台(千葉県 初点灯1869年)

樫野埼灯台(和歌山県 現存・現役、1870年)

神子元島灯台(静岡県 現存、1871年)

剱埼灯台(神奈川県 1871年)

伊王島灯台(長崎県 1871年)

佐多岬灯台(鹿児島県 1871年)

潮岬灯台(和歌山県 1873年)


大阪条約 5灯台

1867年(慶応3年)イギリスはフランスとともに兵庫港の早期開港を幕府に迫り、兵庫港への航海の安全確保のため幕府との間に結んだ大坂条約(大坂約定)に基づき、西洋式灯台5基の設置が追加された。

江埼灯台(兵庫県 現存・現役・1871年)

六連島灯台(山口県 現存・現役・1872年)

部埼灯台(福岡県 現存・現役・1872年)

友ヶ島灯台(和歌山県 現存・現役・1872年)

和田岬灯台(兵庫県 現存・廃灯・1872年)

この江戸条約8基、大坂条約5基の合わせて13灯台を“条約灯台”と呼ぶ。


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すずきたけし
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