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万里の長城との、甘酸っぱくて切ない大人の思い出

北京に留学したことがあるのですが、北京を選んだ理由の一つに、中国の首都であり、名所旧跡が沢山ある事も、北京を選んだ理由のいくつかでした。


北京の見どころは沢山あるのですが、中でもやはり万里の長城!


日本ではすごく有名でも、本場では何故か(?)あまり箸が進まない本北京ダックや、ラストエンペラーで有名な故宮も、多分万里の長城の知名度には今一つ届かないような気がします。(あくまで私一個人の主観的な感想です。学術的な見解ではありませんので。。。)


私も春秋戦国時代の本を読んで、多少の知識と憧れがあったので、万里の長城には何度か行ったことがあるのですが、残念ながら相性が悪いせいか、「めっちゃよかった~!」となった記憶がありませんでした。


「万里の長城」と言うと、私もそうですが、真っ先に思い浮かべるのはやはり北京!

なのですが、万里の長城は、東西に非常に長い建造物ですので、西は遥か…

(難しい専門的な話は…)

で、一応東の端っこには、幸い北京から近かったこともあって、行ったことがあります。


東の端っこは「山海関」と呼ばれ、河北省の秦皇島というところにあり、万里の長城が少しだけ海に突き出しています。


もともと万里の長城は、その昔北方の異民族である匈奴の侵攻を防ぐために…

(難しい専門的な話は…)

でしたので、内陸の山脈に建てられたものだとばかり思っていたのですが、それが海岸を超えて(少しですが)、海に突き抜けていたのは意外でした。


当時、中国の友人に連れて行ってもらったのですが、出発が1996年12月31日の夜遅く。多分、次の日が中国でも休みなので、この機会に!という事だったのですが、片道電車で数時間。しかも記憶にあるのが、電車の連結部に雪が積もっていました(アイヤ~!)

勿論、寝台ではなく、座席(硬座という、一番安い座席)です♡


で、現地に着いたのが、確か翌日1月1日の午前4時?5時?(どっちでもいいかな?どっちもおんなじくらい寒いし…)くらいで、現地にもばっちり雪が積もっていました。


とにかく電車の中が寒かったので、現地に着いた時に、まずは暖かい食べ物を。。。と、凍えながら探したこと30分(寒っ)。奇跡的にも一件食べるところが開いていて(なんせ1月1日ですからね。超ラッキーだったのは、お店の人も同じだと思います (笑) )、さっそくワンタンを注文。


私の大嫌いなパクチーが山盛りでしたが、命には代えられませんからね。おい… ゲホッ! …しく、頂きました。


で、軽く暖を得た後、山海関へ観光に。



なのですが・・・



と言うよりも、寒さに耐えるだけの、昔あったテレビ番組の「ザ・ガマン」でした(笑)


で、何故こんなに寒かったのかと言いますと。。。

河北省の秦皇島って、そもそも避暑地だったからです \(^o^)/

(おいおい朋友よ、行く前にそれを言ってくれ)



それから数年後。。。



天津に居た時に、母親を中国に招待したことがありました。北京が近かったので、北京にも一泊し、北京では日帰りの旅行プランで、万里の長城や、明の十三陵を周りました。


万里の長城に母親を連れて来た私は、嘉門達夫のハンバーガーショップと同じくらい、「どやっ!凄いやろ!」という勢いでしたが、母親が一言。


「テレビで見てるやつとあんまり変わらへんやん。」


………。


ちょっと待て!俺がオカンに出してる交通費、宿泊費、全部でいくらするとおもってんねん!


と言うことで、万里の長城とは、あまり仲良くなれる機会がありませんでした。(笑)


母親は今でも時々、中国に来てくれたことの思い出話をしてくれるのですが、いつも決まって、


「故宮のトイレなぁ~、お金取るくせにドア無かったねん~。あれは超ショックやったわ~。よ~みんなあんなとこでしてるわ~」


…ところで、万里の長城どやった?と、聞きたくなるのを我慢している今日この頃です。


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