奈良まん

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画面の向こうのアフガニスタン/⑥鉢巻とタリバン

アフガニスタンでの鉢巻 2015年以降、タリバン運動のプロパガンダ動画や写真で戦闘員がおそろいの鉢巻をしているのがよく見られるようになります。この記事は、その背景を見ていきます。キーワードはクンドゥズの戦いとイスラム国ホラサーン州です。 第一次クンドゥズの戦い クンドゥズ州の州都クンドゥズを巡っての戦闘で、2015年4月〜10月にかけて発生しました。タリバンによって州都主要部分が陥落、その後共和国軍が奪還しましたが、タリバンによる初の州都奪取に衝撃が走った戦いです。

    • 画面の向こうのアフガニスタン/⑤独立記念日

      1919年8月19日 イギリスの保護国として資金供与と引き換えに外交権がなかったアフガニスタンが第三次アフガン戦争の結果、外交自主権を回復した独立記念日です。イギリスからの資金が途絶えたので、この後アフガニスタンは国庫の確保に苦労することになります。 記念式典から見える女性の社会参加 アフガニスタンイスラーム共和国時代は、独立記念日のアイコンはアマーヌッラー・ハーンでした。この国王は第三次アフガン戦争を指導しました。また、彼をは社会文化を無視したラディカルな西欧近代化

      • 画面の向こうのアフガニスタン/④M65ジャケット

        冬の定番アウター アフガニスタンでここ40年間は大人気のアウターM65ジャケット(以下、M65)について書いてみます。この服はミリタリー関係から市井の人々にも愛されています。 1979年からのソ連の侵攻に立ち上がったムジャヒディンのオリーブドラブのM65がアフガンでの初観測になります。民族衣装のカミースはポケットがろくにないので、4つポケットがあるM65は重宝されたことが想像されます。一方で共産政権のアフガン人民軍はあまり防寒服の印象がなく、着ていてもシュネリなのでM6

        • 画面の向こうのアフガニスタン/③パトゥ

          強力な防寒具 約260×120㎝の長方形の毛布です。 ウール100%である程度の厚みがあるため、毛布という名前や見かけ以上に風や熱を強力にシャットアウトします。肩にかけて逆側の方まで回すポンチョスタイルや頭からかぶってのジェダイ・ナイトみたいなのが着こなしの例になります。肩に回す時に一回転させてひねりを加えるのもオシャレです。 サバゲ定例会の休憩時間のベンチコートかわり。コミケ等の同人イベントの待機列の防寒に非常に重宝しています。 注意点 脱脂していないウールなのか犬

          画面の向こうのアフガニスタン/②パコール

          アフガニスタンを代表する帽子 ミリタリーでないアフガニスタン報道でも登場する天板が平たく巻き込み部分があるエリンギめいた帽子がパコールになります。これ一つでぐっとアフガニスタンらしくなるアイテムです。 現地の方々は巻き込み部分にこだわりがあり、膝に天板をひっかけて巻き巻きしたり、端切れを巻き込んでボリュームを出したりしているのが複数の和書で確認できます。 ムジャヒディンのアイコン この民族帽が一躍有名になったきっかけは、ソ連のアフガン侵攻に立ち向かったムジャヒディンで

          画面の向こうのアフガニスタン/②パコール

          画面の向こうのアフガニスタン/①カミース

          ポピュラーな民族衣装 ペラーン・トンボン。シャルワース・カミーズ。はたまたカミースと複数の呼び名がある民族衣装ですが、前後の垂れがあるシャツとカボチャポンツめいたズボンで構成されるアフガニスタンで一般的な服になります。 本稿での呼称は、カタカナで現地語の発音を正確に再現することは不可能なのと長くなるので本来であればシャツ部分を指す「カミース」で統一させてもらいます。 ムジャヒディンのシンボル 市民や民兵含めてポピュラーな服装であり、ソ連のアフガン侵攻での露出。世界各地

          画面の向こうのアフガニスタン/①カミース

          画面の向こうのアフガニスタン/はじめに

          8月15日 我が国では、太平洋戦争で帝国日本が連合国に降伏した「終戦の日」として、各地で戦没者への慰霊が行われ平和への思いを新たにするというのが位置づけです。 一方で、2021年のそれは南アジアのアフガニスタンでアメリカや我が国を始め西側諸国が支援した共和国が崩壊してタリバン運動=首長国が権力を奪取した日となります。 アフガニスタンのオワコン化 1979年のソ連侵攻と撤退。ムジャヒディン政権とタリバン政権の成立。9.11からのアフガニスタン紛争と戦場となった場所と暴力

          画面の向こうのアフガニスタン/はじめに