アフガニスタンでの鉢巻 2015年以降、タリバン運動のプロパガンダ動画や写真で戦闘員がおそろいの鉢巻をしているのがよく見られるようになります。この記事は、その背景…
1919年8月19日 イギリスの保護国として資金供与と引き換えに外交権がなかったアフガニスタンが第三次アフガン戦争の結果、外交自主権を回復した独立記念日です。…
冬の定番アウター アフガニスタンでここ40年間は大人気のアウターM65ジャケット(以下、M65)について書いてみます。この服はミリタリー関係から市井の人々にも愛されて…
強力な防寒具 約260×120㎝の長方形の毛布です。 ウール100%である程度の厚みがあるため、毛布という名前や見かけ以上に風や熱を強力にシャットアウトします。肩にかけ…
アフガニスタンを代表する帽子 ミリタリーでないアフガニスタン報道でも登場する天板が平たく巻き込み部分があるエリンギめいた帽子がパコールになります。これ一つでぐ…
ポピュラーな民族衣装 ペラーン・トンボン。シャルワース・カミーズ。はたまたカミースと複数の呼び名がある民族衣装ですが、前後の垂れがあるシャツとカボチャポンツめ…
8月15日 我が国では、太平洋戦争で帝国日本が連合国に降伏した「終戦の日」として、各地で戦没者への慰霊が行われ平和への思いを新たにするというのが位置づけです。 …
奈良まん
2023年8月20日 18:44
アフガニスタンでの鉢巻2015年以降、タリバン運動のプロパガンダ動画や写真で戦闘員がおそろいの鉢巻をしているのがよく見られるようになります。この記事は、その背景を見ていきます。キーワードはクンドゥズの戦いとイスラム国ホラサーン州です。第一次クンドゥズの戦いクンドゥズ州の州都クンドゥズを巡っての戦闘で、2015年4月〜10月にかけて発生しました。タリバンによって州都主要部分が陥落、その
2023年8月20日 17:32
1919年8月19日イギリスの保護国として資金供与と引き換えに外交権がなかったアフガニスタンが第三次アフガン戦争の結果、外交自主権を回復した独立記念日です。イギリスからの資金が途絶えたので、この後アフガニスタンは国庫の確保に苦労することになります。記念式典から見える女性の社会参加アフガニスタンイスラーム共和国時代は、独立記念日のアイコンはアマーヌッラー・ハーンでした。この国王は第三次
2023年8月18日 21:26
冬の定番アウターアフガニスタンでここ40年間は大人気のアウターM65ジャケット(以下、M65)について書いてみます。この服はミリタリー関係から市井の人々にも愛されています。1979年からのソ連の侵攻に立ち上がったムジャヒディンのオリーブドラブのM65がアフガンでの初観測になります。民族衣装のカミースはポケットがろくにないので、4つポケットがあるM65は重宝されたことが想像されます。一方で
2023年8月17日 21:39
強力な防寒具約260×120㎝の長方形の毛布です。ウール100%である程度の厚みがあるため、毛布という名前や見かけ以上に風や熱を強力にシャットアウトします。肩にかけて逆側の方まで回すポンチョスタイルや頭からかぶってのジェダイ・ナイトみたいなのが着こなしの例になります。肩に回す時に一回転させてひねりを加えるのもオシャレです。サバゲ定例会の休憩時間のベンチコートかわり。コミケ等の同人イベント
2023年8月16日 20:28
アフガニスタンを代表する帽子ミリタリーでないアフガニスタン報道でも登場する天板が平たく巻き込み部分があるエリンギめいた帽子がパコールになります。これ一つでぐっとアフガニスタンらしくなるアイテムです。現地の方々は巻き込み部分にこだわりがあり、膝に天板をひっかけて巻き巻きしたり、端切れを巻き込んでボリュームを出したりしているのが複数の和書で確認できます。ムジャヒディンのアイコンこの民族
2023年8月15日 21:20
ポピュラーな民族衣装ペラーン・トンボン。シャルワース・カミーズ。はたまたカミースと複数の呼び名がある民族衣装ですが、前後の垂れがあるシャツとカボチャポンツめいたズボンで構成されるアフガニスタンで一般的な服になります。本稿での呼称は、カタカナで現地語の発音を正確に再現することは不可能なのと長くなるので本来であればシャツ部分を指す「カミース」で統一させてもらいます。ムジャヒディンのシンボル
2023年8月15日 21:19
8月15日我が国では、太平洋戦争で帝国日本が連合国に降伏した「終戦の日」として、各地で戦没者への慰霊が行われ平和への思いを新たにするというのが位置づけです。一方で、2021年のそれは南アジアのアフガニスタンでアメリカや我が国を始め西側諸国が支援した共和国が崩壊してタリバン運動=首長国が権力を奪取した日となります。アフガニスタンのオワコン化1979年のソ連侵攻と撤退。ムジャヒディン政