画面の向こうのアフガニスタン/⑤独立記念日
1919年8月19日
イギリスの保護国として資金供与と引き換えに外交権がなかったアフガニスタンが第三次アフガン戦争の結果、外交自主権を回復した独立記念日です。イギリスからの資金が途絶えたので、この後アフガニスタンは国庫の確保に苦労することになります。
記念式典から見える女性の社会参加
アフガニスタンイスラーム共和国時代は、独立記念日のアイコンはアマーヌッラー・ハーンでした。この国王は第三次アフガン戦争を指導しました。また、彼をは社会文化を無視したラディカルな西欧近代化を強行したことで有名です。フェミニズムの文脈では、ヒジャブやスカーフなしに王妃の髪を露わにしたのが象徴的なエピソードとして知られています。この西欧化のイメージにあやかってアイコンになったと推測されます。
共和国時代のいくつかの州の式典では、男性だけでなく女性も参列していました。画像は亡失しましたが、リベラルなカブールでの式典では髪を露わにした王妃のパネルも飾られていました。
しかしながら、カンダハルやヘルマンドといった南部州。それに国軍の式典では参列者に女性の姿はありませんでした。共和国時代も女性の社会参加については地域差が色濃かっったことが伺えます。
2023年は?
観測範囲ではナンガルハル州の式典の写真がありました。
わかってはいましたが、女性参列者は見当たりません。
来年はどうなるんでしょうか。
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