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【演劇】ピローマン・感想(後半)

 10月に鑑賞した演劇『ピローマン』の感想です。後半を記載します。後半は主に「暴力」についてです。少しネタバレありになります。
 前半はこちら(↓)です。

■『ピローマン』について(続き)

 あらすじの続きを引用します。

あらすじ②
刑事たちはカトゥリアンの愛するミハエルも密かに隣の取調室に連行しており、兄を人質にしてカトゥリアンに自白を迫る。カトゥリアンが無罪を主張する中、ミハエルが犯行を自白してしまう。自白を強要されたと疑うカトゥリアンは兄に真相を問いただすが、それはやがて兄弟の凄惨な過去を明らかにしていく……。

公演プログラムより抜粋。

■「暴力」について

(1)本作において

 刑事たちからの取り調べで、カトゥリアンは暴力を振るわれます。今回の事件の被害者は子どもたちです。
 そして、ミハエルとカトゥリアンの兄弟、刑事のトゥポルスキとアリエルも、子ども時代に心の傷を追っていました。
 題名にある『ピローマン』の「ピロー」は、枕のことですが、子どもを窒息死させることにも使われるようです。他方で、「物語」(想像)の世界に出てくる「ピローマン」は、フカフカしていて優しく、夢の世界に誘ってくれる印象を私は持ちます。この相反する2つの印象が、本作の一番の魅力のように思うのです。

(2)「暴力」についての議論

 「暴力」は、いけないことと言われます。私も勿論「暴力」を肯定する訳ではありません。しかし、「暴力」は実際、世の中に存在しており、「暴力」についての議論はした方がよいのではないかと思うのです。

 例えば、以下のような問です。
・「暴力」の定義は?
・ふるってはいけない「暴力」とは?
・「暴力」は、なぜふるってはいけないのか?
・腕力や武力以外にも、相手を従わせる手段は「暴力」ではないのか?
・「暴力」をふるってよい場面があるのか?
などなど。

 「暴力」を嫌うあまり、「だから、暴力は駄目なんだって。」と議論自体出来ないとような空気がある時があります。しかし、実際に「暴力」は存在しているのです。「なぜ暴力をふるってはいけないのか。」は、暴力を肯定しているのではなく、価値中立的な問いとして、議論してよいように思います。

 『ピローマン』の作者、マーティン・マクドナーの作品を、私は他に観たことがないのですが、他の作品も触れて、彼の問題意識や世界観に触れてみたいと思います。

 この項目は、なかなか書きづらく、問題提起のみのような形になってしまい、申し訳ありません。

■その他

(1)映像性

 本作を見て、あくまで個人的ですが、近未来的な感じもしました。取り調べの場面など、映像の世界にも合っているような気もして、作者のマクドナーが、映画監督としても活躍しているのが、分かるような気がします。
 私も、媒体の違いや、それぞれの特性など、学んでみたいです。

(2)ギャラリープロジェクト

 今回、私は、公演期間中に開かれたギャラリープロジェクトに参加することが出来ました。
 テーマは「作家、マーティン・マクドナーに絡め取られてみる」で、演劇研究者の關智子さんと、今回の翻訳・演出の小川絵梨子さんの対談でした。
 私は特に、ひとりで鑑賞することが多いこともあり、他の方(しかも、専門家の方や制作された方)の話を聞けて、とても良かったです。

(3)専門誌『悲劇喜劇』

 私は、あまり演劇の専門誌を読んだことは無かったのですが、今回、『ピローマン』の戯曲(翻訳:小川絵梨子さん)が載っているとあり、『悲劇喜劇』を購入してみました。
 まだ深く読んでいないのですが、戯曲はもとより、最近、上演された作品についての劇評なども掲載されています。専門家の視点で淡々と(?)書かれており、納得する部分も結構ありました。また、こういう視点で鑑賞しているのか、と気づく点もあり、時にはこういう専門誌を読んでみるのも面白いかもしれないな、と思いました。

■最後に

 「物語」が好きな私としては、(ダークやブラックかは別として)『ピローマン』は、とても楽しい作品でした。また、戯曲を読んで、振り返りたいと思います。
 冒頭の画像は、「こぶた」で検索し、コジミさんの作品を使用させて頂きました。どうもありがとうございました。

 本日は、以上です。

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