【演劇・感想】江戸時代の思い出(ナイロン100℃)
2024年7月16日(火)、下北沢の本多劇場で、ナイロン100℃の『江戸時代の思い出』を観劇しました。記録を残します。
東京公演は、7月21日(日)までで、その後、新潟、兵庫、北九州と続くようです。
■はじめに
ナイロン100℃は、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんが主宰する劇団です。作風を人づてに聞いたり、調べたりすると「ナンセンスコメディ」とありました。
しかし、私は、あまり「お笑い」に強くありません。しかも、ナイロン100℃の舞台を観るのは初めてです(※本記事の最後段に但し書きあり)。そのため、今回の記事は、作品個別の感想というより、範囲が少し広くなりそうです。
■作風:ナンセンスコメディを中心に
(1)ナイロン100℃の作風について
ナイロン100℃の始動は1993年。今回の公演も「30周年記念公演第二弾」とあります。
購入した公演プログラム内に、「ナイロン100℃をもっと楽しむマトリックスマップ」という見開きページがありました。これまでの上演作品を、2軸のマトリックス上に、プロットしています。
初めての私には、すごく参考になりそうな気がします。あまり詳しく書くことは出来ませんが、そのページの文章を少しだけ引用します。
(2)ナンセンスコメディとは
では、そもそも「ナンセンスコメディ」とは何か。喜劇やコメディの分類を調べるのがよいのかもしれません。ネット検索してみました。
実際、「お笑い」があまり得意ではない私ですが、観劇中、笑いがこぼれる場面がたくさんありました。ただ、今回の『江戸時代の思い出』が、上記した「だじゃれなどたわいない笑い」に、ぴったり当て嵌まるかどうかは、多くの作品を観てきた訳ではないので、分かりませんでした。
(3)「ナンセンス」の持つニュアンス
更に掘り下げ(?)てみて、「ナンセンス」という言葉をネット検索しました。
「だじゃれ」というと軽く捉えてしまいそうですが、私は、「ナンセンス」という言葉に「否定する」「批判する」といった、相手に立ち向かっていくエネルギーのようなものを、感じます。しかも、正面から肉体的にぶつかるのではなく、インテリ的、形而上学的雰囲気を感じたりもします(ここは私の感覚の問題なのかもしれません。)
追記:あまり私の感覚で記載しても意味がないかもしれません。「ナンセンス」という言葉の由来や語源、「不条理」との関係など調べ、各作品に当たるのがよいのかもしれません。(追記はここまで)
また、海外の言葉で、日本語に翻訳するのが難しい言葉・概念ようにも思いました。そして、喜劇やコメディというのは、程度の差はあれ、多少は「風刺的」側面を持つのかもしれません。
■『江戸時代の思い出』の感想
今回の作品の感想を、少しだけ記載します。
題名に「江戸時代」とあるように、時代劇です。ただ、「思い出」ともあるように、現代から振り返るような視点もあり、その2つが結びつくような場面が面白いなぁ、と思いました。
あと、上記したニュアンスとは異なるかもしれませんが、空想的ではなく、現実的に舞台を展開していく元気やエネルギーを感じました。
本当に感想が短くなり、すみません。
■最後に
私が、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの作品を観ようと思ったきっかけを記載します。私が住む近くの大学に、桐朋学園芸術短期大学があります。最近、演劇専攻の大学生の方々の「自主上演実習」があり、その中に、『フローズン・ビーチ』(短縮版)がありました。同作は、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんが、1999年に、岸田國士戯曲賞を受賞した作品です。こちらも観劇しましたが、作品・公演ともに面白かったです。
今回、メモのような要素が強くなってしまいました。でも、今回の記事は、私自身「お笑い」があまり得意でないことから、書くことが出来た部分もあるように思います。ポジティブにとらえ、これから初めて観劇する人のお役に少しでも立てればと思います。
最後に、冒頭の画像は「(タイム)カプセル」で検索し、旅スケ(tabisuke)さんの作品を使用させて頂きました。ありがとうございました。
本日は、以上です。