だれかの戯言

24歳。ここでは誰の目も気にせず、その時その時のホンネを綴っています。

だれかの戯言

24歳。ここでは誰の目も気にせず、その時その時のホンネを綴っています。

最近の記事

泣き言、からの

なんのために書く? 「エッセイって、書く、その人に興味があるから読むんでしょう。」 その言葉を聞いた時、何故か身体に重くのしかかった。このnoteは誰かに読まれることを目的としていなかったが、今わたしは、人から読まれるための文章を書いていくことを決めた。 なんとなく。 孤独な表現 他人軸での創作、表現活動(自分が表現したものの評価を他者に委ねることの是非)について考えた結果、流行を追いすぎたり、他人任せな表現はしたくないなぁ。とりあえず基礎的な文章力をつけようと、誰

    • 今、いま、イマ

      せっかくこの星に生まれ落ちたからには  私は生きている限り、ホットミルクのような優しい文章を綴り、耳に心地よい歌を歌い、美しい絵を描きたい。なぜなら、自分という生き物が生まれ、生きた証のようなものを残したいと思うから。何かを生み出そうと思ったとき、心が豊かな時の方が、すんなりと進む。 心の豊かさと貧しさ  ずっと自分の心は貧しいのだと思い込んでいたが、豊かでみずみずしい時もあれば、カラカラの砂漠のような時もあるし、忘れられたヤカンのように、グツグツしている時もあるということ

      • 非日常の連続

         誰かに読まれることを目的としていないとはいえ、リアクションをもらえると嬉しいものだ。矛盾しているが、誰にも読まれない安心感が心地よい。  着飾っても着飾らなくても、だあれも気にしていないのだから。着飾りたい気分の時には着飾った言葉を並べ、着飾りたくない時には投げやりな言葉を並べる。それに対して何か文句を言う人は誰もいない。  わたしに興味を持たない人、わたしのことを苦手とする人に対して労力を費やすことを辞めてみる。もちろん、必要最低限の関わりは保つ。変に気を遣うことをや

        • しなやかな軸

           noteで他の人の投稿なんてほとんど気にしたこともなかったが、ふと目に入った投稿があまりにも繊細かつ美しく、心奪われる文章だったため、私は若干落ち込んだ。誰かに見られたり、いいねをたくさんもらうことは目的としていないとはいえ、自分の心の整理と同時に私もあの文章のように、繊細で美しい言葉を綴りたい。完璧主義が故、一度目指してしまうと執着してしまうので、できる時にできる範囲でを心掛けたい。 他人軸はギフトだと思う  とある先輩から言われたこの言葉が胸に刻まれている。きっと私

          優生思想に支配された現代社会

           私はできない私を差別していて、私と同じような人々をも差別している。 優生思想とまではいかないが、それに近いものがあることを自覚している。思想は自由だが、言葉にするかしないかは大きな差。生まれながらの白黒思想の完璧主義が招く思想なのか、それとも私に知識や教養がないから生じる思想なのか。要因として両方あるように感じるが、意外なことに視聴を選択するユーチューブは障害者のドキュメンタリーや戦争、差別や人権について訴えかけるものばかりで、至って真剣に見ているし、どうにもならない現実に

          優生思想に支配された現代社会

          もう、逃げない

           ずっと「頑張らなくてもいい理由」を探し続けてきたようにも思える。 その積み重ねが、生きることを放棄したくなったのだろうか。それとも、頑張っても報われない現実に嫌気がさして、生きることを放棄したいから「頑張らなくてもいい理由」を探すようになったのだろうか。  「できない自分自慢をしているようにしか見えないし、人をコントロールなんて普通の人は思わない。」  この文字が目に入った瞬間、私は送り主に怒鳴り込みに行くことを決めた。怒りなんて今までにあまり感じたことはなかったし、感じた

          もう、逃げない

          足元

          【母から見た私】  うちの子は幼いころから、癇癪もちで、こだわりが強く、それはそれは育てることに苦労した。言うことは聞かないし、どちらかというと人見知りだったので私以外の大人を受け付けられなかった。そんな中、瑞葵を一生懸命に愛して、たくさんの経験をさせながら、一生懸命に育てた。それなのに、何だか思うような子には育ってくれなかった。危なっかしい大人になっている。 【私から見た家庭】  団地に住んでいたので、そこでできた同年代のお友達とまるで暴走族のように広い敷地内を自転車で暴

          愛を求めていたら愛に溢れていた話

           私は愛を受け取るのが下手くそだと悩んでいた。愛情を受け取るバケツがあるとしたら、きっとその底が抜けていて、いくら注がれても流れていってしまっているような感覚だった。だからきっと良かれと思って与えてくれている愛を受け取れないから、私と関わって嫌な気持ちになる人は一定数存在することは間違い無いだろう。全力で愛を伝えてくれる人がたくさんいるのになぜ私は素直に受け取れないのかと自分で自分を責め続けた。  親友が企画したキャンプに参加してから、受け取れなかった周りの愛を感じることが

          愛を求めていたら愛に溢れていた話

          価値

          昔からずっと、何者かになろうと足掻いている。今は経済的に貧しく仕事もないため、ただの貧乏人。心が弱い、貧乏人。 心が弱くて貧乏って救いようがないじゃないか。 何者でもない私の生み出す言葉や文章に価値はない。 クリスマスイブに路上で歌いながら通り過ぎてゆく人々を横目に流石に心が折れそうになった。どうやら私の生み出す音楽にも価値がないようだ。1時間歌って足を止めてくれたのはたったの2人。私を知らない世間の人々の評価はとてもシビアで現実的であった。 路上で歌い始めるようになり

          意思

           私が自分の意思が強くなったことを自覚したのは、家庭環境ががらりと変わった高校生の時期だった。それまでは親の言うことが全てだったが親の言うことを疑い自分なりに知識をつけて反抗しようとした。 サイレントマジョリティ  「どこかの国の大統領が言っていた。(曲解して)声を上げない者たちは賛成していると」サイレントマジョリティより。ちなみにサイレントマジョリティは「物言わぬ大衆」「物言わぬ多数派」という意味で、積極的な発言行為をしない一般大衆のことを指すそうだ。何となく意思をテーマ

          平等とは

           平等という言葉を聞いて真っ先に学校を思い描いた。この世の中不平等が当たり前なのに、6歳ごろから公教育を受けるすべての子どもの足並みを揃えさせようとする現実がある。  不平等なこの世の中、学校の中で平等を追い求めることにより、いくらかバランスが取れるのかなとも思う一方で、学校と社会をわけて考えると、どこかで歪みが生じるのではないかとも感じる。  平等とか公正とか、公平とか合理的配慮など似たような言葉がいくつかあるが私は「ひとりひとりを特別扱いする」という考え方が今のところ一番

          他人軸での創作・表現活動

           朝起きて、気持ちがぐしゃぐしゃだった。基本的にそんな時はわざわざ文章を残さず、Twitterにその時の気持ちを短文で投稿しているが、やることもないのでこちらに残しておこうと思う。気持ちが上向いている時と、下向いている時では文章や選ぶ言葉にも差があるのか後から読み返してみようと思う。  昨日は「よしよし」しないを選んだ、大好きな人の思いを聞いて寂しさを飲み込んで自分なりに納得したつもりだったが、今朝起きてみて周りに大人が誰もおらず、不安になって気持ちがぐしゃぐしゃになった。よ

          他人軸での創作・表現活動

          自分に与えられた使命

           パソコン嫌いを克服するために、気が向いた時にはパソコンでnoteを更新することとします。何となく過去の下書きに戻してある記事を見返していると、あー、必死に足掻いていたな。とか、頑張って自分なりに調べて考えていたなあとか、あれ?あの時点でこんなことに気が付いていたんだなあ。まったく実践できていないぞ?なんて気づきもあり、面白い。  ここ最近一緒に過ごしている人が、毎日思考を言語化する時間を確保してくださり、自分のやりたいこと、これから意識していくこと、生まれてきた意味などを

          自分に与えられた使命

          方向性を変えてみる

           私は、恩師のような教育者になりたくて必死に走り続けてきた。どこにも居場所を感じられず真っ暗闇の中にいた時に、居場所がない。と漏らすと少しの沈黙の後、こんな言葉をかけられた。  「音楽はいつでもあなたの心に寄り添ってくれる。離れもしない」  どんな時でもこの言葉は私のお守りだった。それからというものの、何が何でも最短ルートで教師になるために留年や卒業の危機に見舞われていたが、どんなに苦しくても地面に這いつくばるような気持ちで登校していた。授業中苦しくても保健室へ行くと欠課扱

          方向性を変えてみる

          最近気づいたこと

          「甘えたい」という、何年も口にすることを避けてきた言葉を、私のそばにいてくれる人々に伝えられるようになった。 絵本を読んでほしい 一緒にお料理したい 抱っこして欲しい 寝かしつけして欲しい 高校生の頃から学校の先生に対してこのような感情を抱き、ここ最近までうまく表現できずに苦しんできた。私は病的でダメな人間だから、もっと頑張らないと。成長したい。周りの人を笑顔にしたい。歌で人の心を動かしたい。そう思い必死に頑張り続けてきた。それでも人並みか、それ以下にしかなれない自分が情

          最近気づいたこと

          育ちに傷のある大人が子どもと関わる仕事をするということ

          学生の頃から、子どもの教育や福祉に携わる仕事に就くことを夢見て進路を選んだ。公立の学校で経験を積んだのち、家庭や学校に居場所が感じられない子どもたちが気軽に立ち寄れる場を作ると、心に決めていた。 夢にまで見た公教育の現場に教員として足を踏み入れたのも束の間、私は学校に行けなくなった。情けなくて、悲しくて、悔しくて、何と名づけていいのかわからない感情が私の中をただただ渦巻いていた。 普段の私は、溢れ出ようとする何かをぐるぐる巻きにしてカチッと固めている。そうすることによって

          育ちに傷のある大人が子どもと関わる仕事をするということ