他人軸での創作・表現活動
朝起きて、気持ちがぐしゃぐしゃだった。基本的にそんな時はわざわざ文章を残さず、Twitterにその時の気持ちを短文で投稿しているが、やることもないのでこちらに残しておこうと思う。気持ちが上向いている時と、下向いている時では文章や選ぶ言葉にも差があるのか後から読み返してみようと思う。
昨日は「よしよし」しないを選んだ、大好きな人の思いを聞いて寂しさを飲み込んで自分なりに納得したつもりだったが、今朝起きてみて周りに大人が誰もおらず、不安になって気持ちがぐしゃぐしゃになった。よしよしではない存在意義の見出し方を探していく必要があることも分かったが、それまでの間不安になった時ちょっとぐらい、いいじゃないか。やはり、いきなり「よしよししません」と言われてしまうと、広くて何もなくて右も左も分からないような宇宙空間にほっぽり出されたような感覚に陥る。宇宙なんて、私は息の仕方も分からない。
この世の中には誰からも教わらなくても何となく理解して、こなさなければならないことが山のようにある。私は他者へのスキンシップを求めてはならない世界線で生きていく術を知らない。やり場のない承認欲求を横目に、右往左往するばかりだった。SNSが普及した現代社会と承認欲求は、切っても切り離せないように感じる。誰かからの何かしらの反応を求めて創作・表現活動を行ってしまう。言ってしまえば自分の内側から湧き出る感情の処理を誰かしらに求めている、他人軸での創作・表現活動を行っている人が多いのではなかろうか。自分軸が良くて、他人軸が駄目だとか、そんな単純な言葉でまとめるつもりもないが、他人軸での創作・表現活動を行い、自分の思うような他者からの反応が得られなかったとしても、落ち込む必要はないし、それを理由にして創作・表現活動を辞めてしまうのは、何となくだけど私の信念からは外れるように感じる。
生きている限り歌い続けていたいし、その中でチャンスを見つけたら積極的に掴み取りに行きたい。影響力のある人間になるために取り組んだ方がいいと感じることは徹底的に取り組むようにしたい。