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若手保守たちの「明るさ」に思う

保守派の若手論客、3人が鼎談した「吉田松陰から学ぶ日本精神」というYouTube番組が面白かった。

3人とは、浜崎洋介(京都大学大学院特定准教授)、松野敏之(国士舘大学教授)、大場一央(早稲田大学非常勤講師)です。

吉田松陰から学ぶ日本精神(前半)(藤井聡チャンネル『表現者クライテリオン』2024/5/31)


吉田松陰から学ぶ日本精神(後半)(陽明書院 2024/6/1)


藤井聡の「クライテリオン」周辺の人たちですから、西部邁の流れをくむのでしょうか。

保守の思想事情はよく知らないのですが、日本保守党とか「HANADA」とかの、いわゆるネトウヨかいわいとは一線を画した、知的な保守論議を、久しぶりに聞いたなあ、と感じました。


議論の中身について詳しく話すと、長くなるから、それは別の機会に譲ります。

わたしはリベラルだから、その議論に全面的に賛同するわけではありません。

でも、いろいろ共感するし、儒教の考え方について大いに勉強になりました(松野と大場は中国思想、儒教の専門家です)。


また浜崎が、河上徹太郎の「吉田松陰」に触れているのがうれしかったですね。

わたしも以前、この忘れられた河上の著作の意義を、このnoteで論じたことがあります。



ある意味で、話の中身以上に印象に残ったのは、彼らの若さと、表情の「明るさ」でした。


松野が1976年、浜崎が1978年、大場が1979年生まれ。

もうみんな40歳代後半ですから、世間的には若くないですが、60歳代のわたしから見れば若い。


わたしと同世代か、それ以上の年寄り保守は、いつもニッポンの将来を悲憤慷慨して、深刻な顔をしている印象ですが。

この3人の鼎談は、保守にとって日本の将来はそれほど暗くないという結論になる。


この若い保守派たちの議論が、ある「明るさ」をもっているのはなぜか。

そのひみつを、鼎談の最後に、大場が話しています。



ここにいるの全員ね、昭和50年代初めの生まれでして。

いわゆる戦後民主主義的なインテリとか、あるいはポストモダン世代に引っかからずにすんだという、大変幸せな生まれの世代なんですよ。

就職はものすごく苦労しましたけどね(笑い)

ということがありますから、思想を思想として、直にストレートに語ることができる。

そういう幸せはありますよね。

(後半の49:30あたり)



なるほどなあ、と思ったわけです。

彼らは、就職難はあっても、現実社会での政治的な「挫折」を、経験しないですんでいるんですね。


最近、NHKが「映像の世紀」で、60年安保の特集をやったらしいですが。

その60年安保で挫折した西部邁を典型として、これまでの日本の思想家は、右も左も、ある政治的挫折を背負って「思想」を始める人が多かった。


わたしの上の世代の「左」の場合、60年安保や、68、9年の全共闘などの政治的挫折が、文学や思想を生んできた。

いっぽう、「右」でいえば、日本の敗戦ですね。それも政治的な、非常に大きな「挫折」でしょう。それが、戦後の「右」の、ある種屈折した言動を生んでいく。三島由紀夫のように。


もっとさかのぼれば、明治維新も、江戸の側から見れば「挫折」でしたーーというのが、この3人の鼎談の中身になります。

江戸時代まで、儒教的な士道(武士道)や「人倫」で生きてきた人たちが、急に西洋近代思想への適応を迫られて、屈折する。

福沢諭吉のように、それに適応できた人はいいけれど、たとえば森鴎外は、途中で西洋思想に疲れて屈折し、晩年は「サムライ」に回帰して歴史小説ばかり書くようになるーーといったことが語られています。



ところで、わたしは、大場が言う「ポストモダン世代」です。

全共闘なんかが終わったあとの世代で、若い頃はバブル期だった。

政治的挫折を経験していない、と思われるかもしれないけど、そうではないんですね。


まず「ポストモダン期」が、彼ら若い人たちにどのように認知されているか、浜崎の『三島由紀夫』から引用しましょう。


1970年代後半以降、この国の「思想」を担ったポストモダニズムは、それが「悪夢」であるのかどうかは問わず、「もの」の消滅を「もの」からの解放に、強いられた「非現実感」を演出された「浮遊感」へと裏返していくことになる。そして、それはそのまま、80年代に台頭してくる新自由主義(ネオリベラリズム)の空気とも相まって、使用価値から切り離された交換価値の戯れを、つまり、実物経済(国民国家によって守られた産業資本)から解放されたポスト・インダストリアルな情報産業(IT産業)と、それによって支えられたマネーゲームの戯れを寿いでいくことになる。

つまり、三島由紀夫なき後の私たちの思想ー言葉は、生活に支えられた「夢」をも超えて、どんな生活の必要からも解放された「虚構」の方へと加速度的に傾いていきながら、その「空虚」を次第に晒していくことになるのだった。

(浜崎洋介『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』NHK出版、2020年、p130)


こういうまとめ方をされると、われわれ「ポストモダン」世代は、あの時代の「浮遊感」のままに、「虚構」に加速度的に傾きながら生きているように思われるかもしれないけど。

浅田彰はじめ、そういう人たちはまだ生き残っているかもしれないけれど、あれは一部の恥ずかしい人たち、というのも、このnoteに書いてきました。


わたしの世代にも「挫折」はあった。それは1989年に来たんですね。

バブルの崩壊、冷戦の終了、というのも大きかったけど、わたしには昭和天皇の死去が大きかった。

あの長い「ご不例」の期間、天皇制批判を封じられた言論空間のなかで、わたしのなかの「ポストモダン」は死んだんです。「もの」から解放された「浮遊感」などは、幻想だと思い知らされたからでした。


あの1989年で何が変わったか。

一例をあげれば、昭和天皇の戦争責任や、天皇制についての率直な議論が、それ以前よりも少なくなった。

リベラルや左翼も、天皇制を正面から論じなくなった。共産党を含めて。

そういう「屈折」を、人びとは見て見ないふりをしている。


あれは、われわれの世代の「挫折」でした。

だから、安保世代のひとたちが「1960年」を語るように、全共闘世代が「1968、9年」を語るように、ポストモダン世代は1989年を語るべきだ、とわたしはずっと思っているわけですね。

だから、「小説 平成の亡霊」とか書いたのですが。


でも、わたしの「1989年挫折論」は、あんまり共感されたことがない。

同世代で話をしても、なんか通じない。

やっぱり、挫折の深さが足りないんでしょうか。

わたしとしては、これからもそこにこだわって、若い彼らにもわかってもらえるような形にして、それから死にたいと思います。



<参考>




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