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家族の系譜と正月の集合写真

ある時は普段の生活を捉え、ある時は人生の節目を彩り、ある時は今は無き形を遺のこす。そうして大切に用いられてきたカメラには、人の心に寄り添い、共にしてきた歴史が詰まっています。良いものは、いつだって親世代から子世代へ、子世代から孫世代へと受け継がれます。

赤いライトの点滅が次第に早まる。

"パシャッ"

まだまだ幼子たちは、集合写真に慣れていないようで、10秒のレリーズの間によそ見をしてしまいます。3枚続けざまに撮影しても、なかなかカメラの方を見るというのは難しいようでした。

私の家では毎年のお正月には、親戚が集まって恒例の宴が開かれていました。少ない親戚であっても、集まって食事をする機会はこういう時を除いてほとんどありません。私が生まれる前からずっと続いてきた恒例行事。しかしながら、昭和初期と大正生まれの祖父母は次々と鬼籍に入り、もう4人のうちの一人しか残っていません。

そして最後の一人も90を超える齢を重ね、随分と高齢となっています。もうお正月に親戚が一堂に会するということもありませんが、大晦日には両親の家に祖母と私の兄弟の家族、そして私たち家族が集まることになっています。

毎年毎年の集合写真は、私たちの家族にとって恒例行事でした。そして子供たちにとっては、成長の記録でもありました。叔父が撮影してくれていた役回りも、今では私の役回りとなっています。叔父が大切にしていたフィルム写真機であるNikon FEやOlympus XAは、私へと引き継がれています。

そして今、新しい顔ぶれの家族が並んでいます。今はまだまだ集合写真は私の役回りで、カメラもデジタルに変わりました。しかし、いつかはこの役回りもバトンタッチすることがあるかもしれません。子供たちも大きくなれば、親戚の集まりよりも友達と遊ぶ方が良い、もしくは都会に行ってしまって帰ってこないという年頃になるかもしれませんが。

私の職業柄、盆や正月など一切関係ありません。そんな中、こうした恒例行事も何時まで続くか分かりませんが、少なくとも毎年毎年が掛け替えのない大切な思い出になっています。少しずつ年齢を重ねていくほどに、家族の歴史や系譜に自分が組み込まれている事が、なんだか嬉しく感じます。

元旦から仕事でしたが、なんだかそういうことに感じ入るお正月でした。

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