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BPSDは特別じゃない『人として当たり前』を受けとめる介護姿勢

介護現場の「BPSDの特別視」への違和感

私が介護をしていて感じるのは、認知症のBPSD(行動・心理症状)というものを特別視しすぎているのではないかという点です。介護者にとっては問題行動として捉えられることも多いものなのですが、その問題は介護者にとっての問題であり、要介護者にとっての困りごとにすぎないということです。しかもその反応は、人間であれば誰もが備えているし、むしろ人間として備えていなければならない精神的な当然の反応であると考えています。

帰宅願望など「危険行動」の捉え方

確かに認知症の人に帰宅願望などがあるとして、出て行ってしまったり、または足元がおぼつかない状態で歩こうとするといった行動は、実に危険極まりない行動です。ほったらかしにしていては確かに本人の安全は守られません。

しかし同時に、このような帰宅願望があることが当然であると考えることも大切な姿勢です。「あの人は昨日から何度も立ち上がろうとしている」「あの人は本当に危ない」「あの人がいると大変だ」このような不満を抱えていたとしても、そのような声を本人が耳にすれば居心地の悪さを感じ、更に帰宅願望を増すというものでしょう。

「人間として当たり前の行動」としてのBPSD

これは一人の"人間"として当たり前の行動なのです。行動・心理症状自体を認知症の主症状そのものからくる不安要素がもたらしたり、現実を直視することによる恐怖感が常にあるということも確かに誘因の一つではあります。しかし、本人の立場になって考えてみれば、自分のことを認めてくれる大切な人や場所から完全に切り離されることによる不安感なども大きいのです。

BPSDというラベルをつけて「問題行動」として扱うのは、介護者の都合でそう見えているだけではないかということです。つまり、要介護者にとっては「自分の置かれた状況が不安」「帰りたい場所があるのに止められる」「見知らぬ(と感じる)人たちに囲まれて居心地が悪い」など、“人間として当然の心理”が行動として表出しているにすぎないのです。

介護者が取り組むべき第一歩:受容と安心感づくり

だとすれば、介護者が考えていかなければならないのは、まずもってどのように要介護者が自分自身を受容し、そして他者から受容されていることを実感できるか。まさにこのことが一丁目一番地に考えなければならないことだと考えています。

たとえ本人に聞こえていなくとも、何か自分のことを言っているような気配がするだけでも、人は居心地が悪くなるのは当然のことです。我々介護者の姿勢としては、そうした雰囲気すら廃していかなければならないのです。

BPSDへの医療的支援と介護的支援のバランス

BPSDが表出するとき、その症状に対しては、そもそも医療的支援よりもまず介護的支援のほうが大切であり、重要なアプローチであることを理解せずに安易に服薬で済ませようと考える人々もいます。しかし最終手段として薬物的介入が必要になることがあったとしても、常に非薬物的介入をまず考えて環境改善に取り組まなくてはなりません。その改善すべき環境には、介護者が含まれていることを理解しなければならないのだということです。

家族介護の難しさと“自分を責めない”選択肢

しかし、この場合は介護職としての立ち振る舞いのことを言っているのであって、決して家族介護のことを言っているわけではありません。家族介護ではお互いが疲弊し、追い込まれる場面も少なからずあります。このような場面においては、逆に決して自分たちを責めるようなことはせず、服薬に頼ることも必要になります。

BPSDは誰にでも起こる“当たり前の反応”

BPSDは決して特別な反応ではありません。あなたがおなかがすいたら不機嫌になりやすい。便秘になったら気持ちが悪い。気分が悪かったら冷たく当たる。機嫌が悪かったら不貞腐れる。こうした当たり前の反応であることを理解して行動しなくてはなりません。何でもかんでも服薬こそが解決してくれるという態度では無く、もっと科学的な対応を行いたいところです。

科学的態度と成功事例の共有

科学的態度、それは失敗と成功を繰り返しながら、考え方や行動を論理的、実証的、体系的によりよい方策を積み上げていく事です。成功例を共有し、そのような環境を構築していくことが大切な姿勢になるものと私は確信しています。

介護者も“人間”だからこそ生まれる葛藤

そして、こうしたことは自分に対する戒めでもあります。介護をしているといつも笑顔で居ることが出来なくなることもありますが、笑顔で居るためにどうすればよいかを常に考えなければならないのだと感じています。感情のある人間同士が介護を行わなければならないからこそ、このような葛藤は常に存在しています。

「特別な症状」ではなく“当たり前の反応”としてのBPSD

BPSDを決して「特別な症状」として切り離すのではなく、“人として当たり前の反応”として理解することが、本来の介護の出発点となります。要介護者の不安や戸惑いの背景を探り、安心できる居場所と関わりを整えていくことで、本人が自分らしく暮らせるようになる可能性は大きく広がります。

同時に家族介護では行き詰まりを感じることもありますが、介護する側も心身の健康を守ることが大切であり、ややもすると介護者側が同時にBPSDのような状況になってしまいます。当たり前でもある要介護者も介護者も同じ“人間”であるという視点を忘れずに、失敗や成功を重ねつつ、一人ひとりに合ったよりよい方法を見つけていきたいところです。

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