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兄弟

10月。暑苦しい初日。死ね。本当は今日夏休み明け後期最初の登校日だった。以前僕が作った予定表では今日1〜6限までフルで授業を入れていたがまたBAD(病み)期に突入してしまった。薄々嫌な予感はしていた。「淡白女」を書いている時に途中から「あの子に会いたい」(あの子の事が分からない人は、僕が以前書いた淡白女を読んで下さい)と久しぶりにあの子に対して感情を動かしてしまっていたのだ。そしてこの状態になった僕は直ぐに気を紛らわそうと、X、youtubeを見たり、音楽を聴いたり、本を読んだりなどの様々なエンタメに傾倒しても、あの頃と同じ感情を持って数日は生きて行かないといけない体になってしまうのだ。辛い。忘れたいのに。戻れないから。そんな時はまた関係の無い昔の事も思い出す。僕には兄がいる。現在22歳。僕とは4つ離れた兄だ。彼は昔から僕とは違い陽気で、友達も多くて、少し学校の中でも異質な存在だった。僕が小学1年生の時、兄の軍団みたいな奴ら30人ぐらいで、教室の隅で妖怪ウォッチのレベル255にするバグ技を習得しようとしている僕ら数人の友達といる時に教室に入って来て「コラムニスト(仮)いる?」と大きな声を上げた質問が飛んできた。僕は「僕、コラムニスト(仮)だけど、」と返事をすると兄が後ろからのそのそと出て来て、「ちょっと来て」と言われ廊下に出ると兄が「こいつ俺の弟だから、仲良くしてやって。」と兄の同級生、たまは1学年上の奴にも偉そうにキショい事を言っていた。そんな兄に当時の僕はかなりビビっていた。何故なら当時兄は少しでも自分が嫌だと思う事があると、僕をボコボコに殴って来ていたからだ。痛かった。苦しかった。だけどこの家族で父の暴行シーンを3日に1回ぐらいのペースで見ていると、殴る事で自分の存在を肥大化する事が出来、肥大化する事で自分の欲望通りに周りが動いてくれるという、もう少し後で習う世界史の動きを彼は幼い頭で理解していたのだ。(因みに、兄は当時10歳にして身長170〜173cm、体重80kgぐらいのバケモノで、警察の密着24時が大好きで、死ぬ程持ってたトミカで録画しておいた24時映像を完全再現していた生粋の車野郎だった)なので僕もボコボコにされる事で、兄に対して何も逆らう事はできず、兄の思うがままの生活を送っていた。ある夏休みの日。僕は家で数少ない冷房が効くリビングで読書感想文を書く為にカップヌードル創業者安藤百福さんの伝記を読んでいると兄がリビングに来て「コラムニスト(仮)、家出て坂降りた所にある自販機で何でもいいからジュース買って来い」と言われて、「安藤百福はこんな事されて無かっただろうな」と思いながら渋渋家を出た。渡されたのは150円。当時の自販機市場では何でも買える金額。「何でもやからな、何が良いんだろう。」と炎天下のアスファルトの上を歩きながら自販機到着。見てみるとどれも100〜110円ととても安くてまず安堵した。そして僕は炭酸が大大大好きだったので、110円のカルピスソーダロング缶を1つ購入して、「ぬるくならない様に早く帰らないと。」と炭酸の事をすっかり忘れて早く帰る事に意識を集中しながら帰宅した。そして兄に「カルピスソーダ買って来たよ。」と言うと「まあまあOKやな」と相手が松本人志でも殺したくなるフレーズを言われながらプルタブを開けようとした時「プシューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーシュワシュワシュワシュワ、、」と僕が早く帰ろうと強く腕を振りながら帰宅した事により、勢い良くカルピスソーダが吹き出して兄の顔面に全て掛かった。「なんやこれ!お前何したんや!」「いや早く帰ろうとダッシュして、、」「炭酸持ってダッシュしたらこうなるに決まってるやろ!」「ごめん。早く帰る事しか考えてなかったから。」「ボッッッン。ボッッッン。」「お願い。殴らないで。痛い。痛い。」「ボッッッン。ボッッッン。ボッッッン。」「痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。」「あんた達何してるの!」「お母さん。お兄ちゃんが殴って来て」「いや、こいつが炭酸なのにダッシュして帰って来て、俺の顔面ビチャビチャにしたんや」「とりあえず殴らないで。何でお兄ちゃんもお父さんみたいになったのかな?」

死ね死ぬ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
俺いつでもやったんねんからな。

追記
少し過激になりました。申し訳ございません。
今では兄とは仲良く接しています。
根底の気持ちは変わらないですが、時々落ち込んでいる僕を笑わそうとあれこれしてくれたりする姿にトキメキを感じる時もあります。
だけど死ね。

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