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BULA SPIRITS~幸せの見つけ方〜


「Bula〜!」

ビーチへ行く途中、遠くからホテルのスタッフの女性が声を掛けてくる。

フィジーの「Bula」という言葉はとても便利な言葉だ。

ハワイの「Aloha」みたいなもので、
「おはよう」「こんにちは」
「元気?」とか「さよなら」
など、あらゆるあいさつの言葉としてよく使われる。

その挨拶に気づいて、私たちも「ブ〜ラ〜」と返す。
彼女たちはみんなアフロヘアで、真っ白な歯と笑顔がかわいらしい。

何をしているのかよく見てみると、客室のシーツを手洗いしていた。

「全部手洗いなんだ」

ホテルでは、洗濯機で洗うのが当然と思っていたので驚いた。
しかし、私が滞在していたホテルはマナ島という離島である。

「ここでは、水も電気も、とても貴重なんだ。」

河川があっても、観光客や島民の暮らしに対して、充分な淡水を確保できないため、水は本島から送られてくる。

そのため、トイレの水は海水や排水を浄化して使っている。
しかし、日本のような完全な浄化機能があるわけではないので、トイレの水にはいつも謎の虫が住んでいる。

最初驚いて水を流してみたが、なぜかまた水溜りに戻ってくる。
本当は虫が苦手なのに、日に日に慣れてくるのが不思議だ。

レストランではキャンドルが灯りになっており、夜は幻想的な灯りに包まれる。
夜空には今まで見たことのないくらいの星々が見える。

「フィジーは、地球温暖化で、気候変動の影響を受けやすい国なんです。
だからいつかはここも海面上昇して沈んでしまうかもしれないと言われてる」

ふいに言われた、その言葉に重みがあることが伝わる。
さっきまで笑顔で話していたガイドさんの顔が真剣になった。
私は何も言い返す事ができなかった。

エコだとか、地球に優しい、というのはブームでもあったので自分自身も取り入れていたが、
自分が、先進国の人々の暮らしが彼らの生活を脅かしていることは当時は恥ずかしいことに全く知らなかった。

だからといって、彼らは私達に何かしてもらおうとしていたわけでもない。

水や電気、食べ物は観光客のために充分すぎるくらいに用意されていた。

フィジーの自然環境の変化

島の中をバスで移動中に、乗り合わせた現地の人達が、
「ほら、あれを見てごらん!火事になってるよ!」
と、焼き畑を指差して冗談混じりに声を掛けてきた。

「うわ!すごい火だ、火事だ!」
とその言葉にリアクションすると、彼らは盛り上がり、大笑いした。

フィジーでは、海面上昇により砂浜が減少し、サンゴ礁の白化が進んでいる。
ただこれはフィジーだけの問題ではなく、他の南国、モルジィヴでも問題視されていた。

地球温暖化がどうのこうの、というつもりはないが、生態系が崩れてきているということは、こういった島国で自然環境と密接に暮らしている人々にとっては、ごく身近に感じる。
それは確かな事実だ。

サンゴはサンゴ虫と褐虫藻が強制する形で形成されている。

海面上昇が発生すると、サンゴ虫に光合成をして栄養を与えている褐虫藻に光が届きにくくなって、光合成ができなくなり、サンゴは死んでしまう。

それにより、サンゴ礁に住んでいた魚もそこから遠のく。

もっと沖にでなければ魚は獲れず、漁獲量が減ったという。

そうなると、食料確保のため、農業の生産高を上げなければならない必要が出てきた。

畑を開拓するには時間や労力もかかり、大変な作業だが、土地を焼けば、草木や雑草などを一掃できる焼き畑を主流にしているため、その一帯にあった、必要な植物、動物の生態系も一緒に崩れてしまう。

そしてさらに生産高をあげるためには農薬や化学肥料を使う。

それらが海へ流れ出し、サンゴに影響を与えているという。

CO2を吸収する植物が減り、
さらに海面上昇することで、土地も塩化が進み、今度は農作物も取れなくなってきているという、悪循環がそこにはあった。

水が今、より貴重になっているのは、海面上昇した海水が淡水に入り込むからだ。

人々の行った事が、生物の多様性を阻害し、最終的には人々の暮らしに返ってくる、という、負の連鎖を体感しやすいのは、こういった国々である。

「こういった焼き畑をしているから、CO2が増えるんだよね」

「だから地球温暖化は自分たちのせいでもあるんだ」

と、それでも私たちを責めなかった。

世界の幸福度ランキング

世界一幸福な国として、ブータンの名前が挙げられるが、フィジーも2011年、2014年では世界幸福度ランキングは1位を獲得している。

この幸福度ランキングでは

・1人当たり国内総生産(GDP)
・社会的支援の充実(社会保障制度など)
・健康寿命
・人生の選択における自由度
・他者への寛容さ(寄付活動など)
・国への信頼度

という基準が設けられている。

2022年度の上位国は北欧の国々が多い。

常に彼らは日常の中での幸せを追求すること、そして教育や医療が無償だというところが加点となった。

本来なら幸せというものは、心という、見えない部分が大きく査定されるものであって欲しいが、

現在の基準では、GDP(国内総生産)、社会保障が充実していることが査定の上位にあり、経済的に優位な国がランキングが高い。

また、GDPには軍事産業も含まれるため、経済というものが絶対的な幸せなのかも疑問である。

日本のランキングは54位だったが、GDPと健康寿命がポイントが高い。
日本人の謙虚さなのか、はたまたお金があったとしても、家族や友人など、本当の幸せというものが充実しているかはまた別の話であったりする可能性もある。

けれども、幸せの査定の中に、

 ・正当な目的のために寄付する

 ・見知らぬ人を助ける

 ・ボランティアに参加する

というポイントが増えたのは光が見える。

サステイナブルな暮らしを目指して

環境問題と向き合うとなると、都市部で生活を送っていると、ジレンマが起きてくる。

資本主義、拝金主義、消費社会という世界から離れ、農村部に移り住む人が、特にヨーロッパでは多く見られるそうだ。

今までの便利な暮らしから、自給自足の暮らしとなれば、それらの労力がかかること、不便さもあるだろう。

しかし、それらは彼らにとっては喜びでもあるため、そんなに問題ではない。

それよりも問題になるのは、コミュニティ間の対立だという。

隣人との小さな衝突やゴシップなど、都市部で住んでいる時と変わらないことが起きるそうだ。
中には追放された人や、放火事件などもあった。

お金やモノを手放したとしても、人々を思いやり、助け合う心がなければ都会に住んでいることと同じになってしまうのかもしれない。

移住した彼らはそれでもユートピアを目指して常にチャレンジしている人たちであろう。

BULA SPIRITSとは

フィジーでは「BULA」という短い言葉に込められた思いを伝えていこう、という、BULA SPIRITS(ブラ スピリッツ)を提唱している。

1 .BULA is“Hello.”“こんにちは“
2 .BULA is“ Welcome.”“ようこそ”
3 .BULA is“ Way of life.”“人生のありかた”


「BULA」は、英語に直訳すれば、英語の「Life」に翻訳される。

彼らは挨拶で「BULA」と言うとき、

本質的に相手に「良い生活」または「健康な」ことを望んでいることを意味する。

「自然と共に生きる人生」、そのものを生き、彼らにとって全てが家族で、受け入れる寛容さ、彼らにはそれが息づいている。

人々はみんな幸せでありたいと願う。

お金があったとしても、生活が恵まれていたとしても、人と比べればたちまち不幸に感じられたりと、比較することで幸せが感じられないため、世間が経済が潤っていたとしても、幸せとはいえないだろう。

だからといって、それらを嫌悪して、経済やモノを放棄したとしても、人々の心が変わらなければ、何も変わらないのではないだろうか。

いかにどこに住もうと、地球にやさしい生活をしようと、「相手を思いやる気持ち」その心が伴っていなければ、本当の幸せはないのだと思う。

辛い事や危機を乗り越えてきた人は、それだけ人の痛みが分かる優しい人になる。

フィジーの人々は自らの生き方を通して、そう、私に教えてくれた。

つづく






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