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執着が溶ける時。

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

今日は土曜日なのでnoteでつらつらと書いていきたいと思います。
記事の最後には今週の記事まとめを貼り付けますのでそちらだけでもみてやってください。

では雑記を続けていきます。

今週明けに父親が転院する為の手続きに同席してきました。
入院後初めて父親に会って、私は少し変わったように感じています。

今日はそんなお話を書いていきます。


ずっと父親が好きではなかった


これまでも度々noteやmedyで父親について書いてきましたが、私は父親のことがずっと好きではありませんでした。

子供の頃の記憶を掘り返しても、どれも良い記憶ではありません。

外食をしに家族で出掛けた駐車場で車止めブロックに躓き転んだ私を大声で怒鳴りつけたり。

公園で遊び道路に飛び出して車に跳ねられた時には、一緒に遊んでいた上級生の胸倉を掴んで怒鳴りつけ、しまいには倒れて泣いている私を
怒鳴りつける。

仕事から帰ればすぐに酒を飲み、酔っぱらってはくだらないテレビを観て大声で笑っている。かと思えば嫌いな役者や芸人に対して文句を言ってみたり、仕事の愚痴を吐いてみたり。

そのまま寝てしまい、時に夜間トイレに行く私が足でも踏もうものなら夜中だろうが大声で怒鳴りつける…。

そんな父親でした。

なので私はいつも父親の顔色を窺って過ごしていました。


成長するにつれて


そんな父親でも父親であることには変わりはないので、学生の頃は進路などについて相談をしてみたこともありました。

シラフでいることがほとんどない父親の仕事帰りを捉まえて話しかけてみるも「ちょっと待って」と言われ、待っている間に酒を飲み話をする時にはほろ酔い…。

適当な返答が返ってきてまともな答えが出たことはありません。

そんな父親ですから次第に私も話をすることはなくなり、大学生にもなれば話しかけることすらなくなりました。

そのまま私は家を出て、定期的に自宅に帰っても父親と話をすることはありませんでした。

自分が成長するにつれて、父親の存在はどんどん疎ましくなってきました。

毎日酒を飲み過去起きたことをいつまでも愚痴り、母親に対する文句などを耳にするたび「器の小さい男だな」と思っていました。

「こいつの血が俺には流れているんだ」

そんな風にずっと思っていました。でも父親が見せる器の小ささは明らかに自分で認めたくない「自分の姿」でもありました。

子供の頃に受けた嫌な思い出も相まって、自分が見たくない姿を常に見せ続ける父親に恨みにも似た感情がずっとうごめいていました。

「俺はこうはなりたくない」

大人になってからも時に友人の父親にあったりすると、友人の父親が羨ましくもありました。

「こういう人に育てられていたら自分はどうなっていたのだろう」

そんな思いが時に生まれたりもしました。

どこかで今の自分の嫌な部分を全て父親のせいにしていたのかもしれません。


アルツハイマー型認知症になった父親



先日病院であった父親は家族のことも全く分からないほどに認知症が進んでいました。

既に認知症の兆候は昨年ごろから現れていましたが、それが酔っているからなのか認知症だからなのか分からない状態でした。

何度も母親や妹が病院へ行こうと話をしても酒が飲めなくなるのが嫌だかららと断固として病院に行こうとはしませんでした。

その結果てんかん発作を起こし、急激な認知症の進行と共に記憶の大部分を失うという結果になりました。

転院する為に病室から車イスに乗せられ家族の前に現れた父親はキョトンとした顔で家族の前に現れました。

表情を変えることなく、まるで初めて会う人の中にポンと放り込まれたように。

私はこのような状況を予想していたので予め母親と妹には話をしていましたが、母親も妹もショックを受けているようでした。

イスに腰かけている家族の前に父親は車イスで現れ、病院の方が準備をする間、家族で顔を向き合わせている時間がありました。

そうこうするうちに母親が父親へ話しかけました。

「調子はどう?」

すると父親は「良くはないですね」と敬語で答えました。

その後も母親がする質問にすべて敬語で返す父親。

私は「やっぱりな」と思うと同時に不思議な感覚が起こりました。
「あれ?この人はこれだけしっかりと丁寧に人に対応できる人だったんだ」
という思いです。

その後は母親の質問に答えながら、妊婦である妹のお腹が気になったのか黙って座っている妹に「そのお腹、子どもがいるわけではなかったら笑っちゃいますね」と冗談なのか何なのか分からない声を掛け笑顔を見せました。

この時思い出しました。昔冗談の苦手な父親が人に声を掛ける時、こうした冗談とも分かりづらい話し掛け方をしていたなと。

その時は場の空気感が微妙になることも多く、子供ながらにひやひやしましたが、それは不器用な父親なりに人を気遣っていたのだとこの時初めて気が付きました。

そして今日は目の前の「他人」に対して出来る限りの気遣いをして、分からないなりに一生懸命話をしているんだなと感じると何だか自分の中の感情が溶けていくのを感じました。

「この人は根は真面目で良い人なんだ。ただ、弱いから酒に逃げ続けることしかできなかった。弱いのは自分も一緒。父親も俺も変わらない。この人は俺の父親なんだな」と。

そして、私に対して教育らしい教育を全くしてこなかった父親は自分の身をもって「今」私に教育をしたんだなとも感じました。

すると初めてといって良いほど素直に父親に感謝が出来ました。

決して裕福ではないけれど、子どもとしては金に不自由を感じることなく大人になるまで育てて貰えた。

それは紛れもなく、この人が働いて家族を食べさせてくれたからだなって。

それから数日経った今。私は以前ほど自分を責めることがなくなってきたように感じます。

私はこれまでずっと「父親」という存在に執着していたのかもしれません。
認めて欲しい時に認めて貰えなかった、教えて欲しい事も教えて貰えなかったとずっと感じて生きてきました。

でもその時「点」でしかなかったモノが、今やっと「線」になって自分の腑に落ちた時、すべてが一つになって溶けていった感覚があります。

次に父親に会う時があったら、私からも話しかけてみようかな。

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
ではここからは宣伝と週間記事を貼っていきます。
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明日はMedyで記事を書きます。
宜しければそちらも覗いてみてください。

記事まとめ

Medyでは介護・ケアマネ関係、noteは週1回土曜日にその日の気分でツラツラ書いています。

さいごに


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カイゾウ@現役在宅ケアマネ15年目
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