日本の英語教育はどう変わればいい?
今回の記事では、現在の日本の英語教育に関してのあれこれ書いていきます。あくまで僕個人の意見ですので、ご理解のほどをお願いします。
今の英語教育ってどんなもん?
現在、日本の学校で行われている英語教授法は「文法訳読式」と呼ばれるもので、例えば受動態の授業で黒板に「He took a picture.」と書いて、主語と目的語を入れ替えるように矢印を書いて「A picture is taken by him.」と書き換えるような授業です。このやり方の問題点は文法に特化し過ぎていて本質的な部分が一切解説されない点です。
そもそも文法訳読式教授法は「言語学習を通して母国語の運用能力を高めることが目的」で日本では、戦後近代化を進めるにあたって、先進国の情報を得ることができる人材が必要になって導入され、行ってしまえば「読んで理解できればOK」というもので、現在の「英語を使って情報を得たり発信し、英語を使ってコミュニケーションができる」というような教育方針とは根本的に噛み合わないのです。
勘違いしてほしくないのは、文法訳読式は現在の英語教育方針にこそ合わないものの前述の戦後近代化に多大な貢献をしたことは確かです。
今の英語教育は何がいけないの?
前項でも触れましたが、もっと掘り下げていきます。本質的な部分が一切解説されないことが問題だと書きましたが、具体的にどういうことなのかを最初に解説します。
例に出した受動態の本質とは「なぜ主語と動詞を入れ替えるのか?」や「by以下はなぜ省略されるのか?」などで、いわば「ネイティブの感覚」です。ここを知らなくては相手の本当の気持ちは分かりません。
さらに別の問題点を挙げると「圧倒的なリーディング重視」です。最近では英検や共通テストに変わり、リーディングとリスニングの配点が1:1になったなどの影響で薄まりつつある気もしますが、依然として根強く残っているように思います。
かなり前から高校の学習指導要領では「英語の授業は英語で行う」ことが原則とされ、少し前の改訂で中学校の学習指導要領にも同じ文が追加されました。
しかし、実態はどうでしょうか。多くの授業はほぼ全て日本語で行われ、教師は英語を喋らないなんてことが当たり前になっています。
これに関しては「英語教師の能力不足」だと批判するのは簡単ですか、そんな簡単な話ではなく、教師の業務量や労働時間の多さは連日いろんなところで語られているので言うまでもないですが、そもそも今の英語教師が学生時代に受けていた英語の授業は今と同じ文法訳読式で、今ほど英語教育も重要視されていませんでした。
つまり、「英語の授業=文法訳読式」という図式ができてしまっていて、そういう授業をするために大学で勉強して、教員免許を取ったわけですから、教師を批判するのはお門違いです。
どう変わればいいの?
今後、英語の授業はどのように変わっていくべきなのか。まずは教える側の英語力の向上です。具体的には教育実習に行くのに必要な条件(現在は英検2級もしくはTOEIC500点以上など)を少なくとも英検準1級、TOEIC800点程度は必須にするべきだと思います。
英検を例に考えると、高校受験であれば3級、大学受験では準1級の取得が目標になることが多いのにも関わらず、その子達を教える教師が2級相当では不十分です。
英語教師に英検準1級相当の英語力を求める動きはありますが、依然としてその取得率は低く、受験経験がある教師は全体の半分もおらず、受験経験があり、かつ英検準1級相当以上を取得しているのは20%未満というのが現実です。
この数字を挙げていくことが最初の一歩だと思います。
今回は以上になります。最後までお読みいただき、ありがとうございます。