そんな恵まれた環境に生まれ育ちながら、あなたはその程度なんですか。
上京した田舎民の中にあるコンプレクス的差別意識のなかには、恵まれた環境に置かれながらその程度の知識しかないのかよっていう蔑みがあるんですよね。
僕らが本やビデオやカセットテープでしか触れられなかったホンモノの世界、電車でせいぜい数百円でアクセスできるのに、なんであれもこれも知らないの?っていう。
美術館とか博物館、落語、歌舞伎、演劇、相撲、まあ映画は地方にも来るけど、文化そのものを形成してるあれこれ。
行事とか祭りとかまあいわゆるカルチャー。
おまえらそんな恵まれた土地に住んでいながら、なんで私たち田舎者みたいにドラマとバラエティ番組とファッションの話しかしないのみたいな。
おまえらそんな恵まれた土地に住んでいながら、恵まれてる事に気づいてないなみたいな。
途上国から日本に来た子供が、食べ物が捨てられるのを見るような複雑な気持ち。
しかもそんな量産型低スペックのどんぐり共にまでただ生まれた場所が遠いというだけで途上国扱いされて潜在的に見下されるわけでしょう。
10代くらいで一度体験する明確な差別。
そりゃ悪堕ちしますよって。
外に出ても恥ずかしくないようにとか、もっとすごい人たちがいるんだから人一倍努力しなきゃって頑張ってきた道徳的に徳の高い人ほど、その失望は大きいんですよね。
デビルマンですよ。
こんな連中を救う価値があるのか。
「申し訳ないけど、しょうがないよね、言っちゃ悪いけど、」っていう明確な差別。明確な悪意。良くない事だとされてきた、教科書の中にしか存在しないとされていた生まれや育ちでの差別。
その差別は、個々人ではなくて出身という属性に対する差別だからそこは同じ論理で属性に対して逆襲が起きるのは当然なんです。
で、その逆襲の感情は、若いころに植え付けられてしまうもんだから根深くて、呪いとしてほとんど永遠にその人を縛り続けるんですよね。
悲しい呪い。
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対して、彼らをモンスターに変えてしまった中途半端な都会の人もまた、自分は何者でもないという事に気づいていますよ。
本当は活躍するはずだった輝かしい未来を努力を怠って棒に振ってしまった、ただ東京に近いだけの無能であるという事に気づいています。
地方出身者からの蔑みの視線にも気づいています。
だからこんな田舎者になんで見下されなければならないのかっていうのが攻撃の理由なんですけど、そもそもその感情を持つ事自体が倫理的におかしいという事に気づけないので解消不能です。
無い実力と経験を持ち物や属性でなんとかして補強しようとするのですがその価値って相対的なものでしかないので「自分より低い人」と比較しないと価値を持ちません。
故に、埼玉よりはマシ、栃木に生まれなくてよかった、という程度のレベルの低い形でしか自分のことを肯定させてあげられません。
誰かを傷つけることでしか保てない自尊心。
それが良くない事だと本当はわかっているので自分も傷つき、その矛盾を肯定するために認知がゆがんでいきます。
なにか一芸に秀でていたり、自分より評価されているのはずるい。田舎者の癖に。田舎者の癖に教養やマナーが身についているなんておかしい。私が知らない事を知っているなんてずるい。
まあこんな感じの醜い感情が渦巻いています。
ズルい。って面白い感情ですよね。
本来自分が得るはずだったもの、と思ってるんですよ。なにもしていないのに。
結局もう自分自身の実力や経験ではどうしようもないので
他者の権威にすがるしかありません。
輝かしい経歴や職業についた親戚や家族をトロフィー化して「彼らと同じ教育を受けた私は素晴らしい存在である」と暗に誇示します。
友人や知人もトロフィー化して「彼らと対等に付き合える私は素晴らしい存在である」と。
では、あなたは?と聞かれたことはありませんからそれに対する回答は持っていません。
なぜなら、付き合う人たちはそれを知った上で、憐れんでいるからです。
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20代のうちに日本中を仕事で飛び回って、かつて自分が埼玉〜東京に住んでいたころに見えていた漠然とした田舎観がいかにあいまいで無知で思い込みによる、現実に基づかない認識だったかを思い知らされました。
そして、他者や肩書き、システムに依存した自尊心のむなしさも。
電車が通っているというのはそれは電車が凄いのであって住民が凄いわけではないという事、それを言葉や文字ではなく事実として自分に取り入れることができていますか?
ネットワークとサービスの発達によって、住む場所自体が持つ価値の差は少しづつ薄まってきました。
学ぼう、知ろうとする意識があればなんでも取り寄せることのできる時代。
あなたの中には、いったいなにが入っていますか?
肩書を捨てたあなたは何者か、胸を張って言えますか?
いまも、学んでいますか?
あなたは、誰ですか?
おしまい。