DV男の両親との同居生活
私たちは夫の国に移り住んだ後、夫の実家で彼の両親と暮らした。
それは私が提案した。
表向きは夫と夫の両親を仲直りさせるためだった。
けれど実際は、その頃すでに私は彼と二人で生活などしたくなかった。
すでに頃の頃私は夫のことを気狂いだたと思っていた。
けれど子供が生まれたばかりで、仕事をやめてしまっていたこと、正直にいうと世間体も気にしていたのだと思う。
そして、夫が変わってくれればと願っていた。
夫の生まれ育った国で、夫の両親や親戚、友達が近くにいれば、きっと彼はあの優しかった頃の彼に戻ると期待していた。
そう、私は自分を変えることではなく、夫を変えよう、夫に変わってもらおうと期待していたことが問題だったのだ。
そして、夫も私に変わってもらおう、私を強烈に変えようとしていた。
これは共依存の一部だと思っている。
相手に、相手が、相手を、、といつも主語が相手になっている。
もちろんこの時は全くこんなことに気づくこともなく、日々の赤ちゃんのお世話や夫の機嫌、外国での生活でいっぱいいっぱいで、そんなことを考えている余裕はなかった。
立ち止まる余裕がなかった。
私の気持ちとは裏腹に、赤ちゃんが産まれ、彼の国に引っ越し、外国での生活が始まり、言葉を覚えなければいけないし、全く土地勘もなく、この国のシステムもわからず、、ただただ大変だった。
彼の両親は働かなくても生活できるようで、義父は時々会社に行き、義母はずっと家にいた。
義母は親族に怒った不幸により、精神を病んでおり、一日中横になっていて、食事も1週間に一食作るか作らないかぐらいで、外出も義父がいないと全く出かけないような人だった。
私と義母は言葉が通じないけれど、彼女が私のことを喜んで受け入れてくれていることだけは分かった。
義母は一人で赤ちゃんの面倒を見ることすら辛いようで、赤ちゃんを義母に預けて私が一人で出かけることは不可能だったため、義両親と暮らしてはいるが私が一人で息抜きできることはなかった。
今思えば、義母は赤ちゃんを預かるのが精神的に辛かったのではなくて、赤ちゃんに何かあった時夫に責められるのが嫌だったのではないか?と思う。
義母は部屋で時々泣いていた。
そんな義母を見てしまうと、私は何も言わずに義母を抱きしめた。
彼女に起こった不幸は知っていた。
夫の家族が皆それで辛い思いをずっと抱えているのは知っていたが、あまりにも悲しい出来事で、私が簡単に理解できるよ、なんて言えるような事ではなかった。
その出来事は私と夫が出会う10年以上前に起こった出来事で、私にはどうすることもできない事なのに、何もできないことに罪悪感を感じたりしていた。
そんな私の気持ちを夫は利用して、この出来事をまるで私のせいで起こったかのように私に罪悪感を植え付けるようになる。
義母は精一杯私たちにできることをしてくれたし、夫が仕事でほぼ家にいなかったため義父が代わりに私たちを病院や買い物に連れて行ってくれた。
そして義父は義母をいつもケアしていたし、義父が怒ったところを一度も見たことがない。
義母は時々ヒートアップしていることはあったが、義父はいつも彼女を宥めていた。
私は夫があんなふうなのは、義父が怒鳴るような感じの人なのか?と疑っていたから意外だった。
義両親は本当に私たちを大事にしてくれた。
今でも思い出すと感謝でいっぱいで涙が出る。
彼らに恨みはない。
夫と義両親の間に何があったのか、夫からは聞いたが、正直納得できなかった。
それで絶縁?
そんなことどこの家族でもよくあることだと思った。
こうして義両親と私たちは彼らの家で生活を始めたのだった。