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知らないけど、知ってる。『翻訳できない世界のことば』

素敵な絵本に出逢ったので紹介します。

『翻訳できない世界のことば』
An Illustrated Compendium of Untranslatable Words from Around the World
エラ・フランシス・サンダース著/前田まゆみ訳

この絵本には、「ひとことでは訳せない、世界のユニークな単語たち」が紹介されています。

たとえば

FORELSKET
フォレルスケット/ノルウェー語
「語れないほど幸福な恋に落ちている」
COMMUOVERE
コンムオーベレ/イタリア語
「涙ぐむような物語にふれたとき、感動して胸が熱くなる」
JAYUS
ジャユス/インドネシア語
「逆に笑うしかないくらい、じつは笑えないひどいジョーク」
IKUTSUARPOK
イクトゥアルポク/イヌイット語
「誰か来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出てみること」

など。

いかがでしょう。どれもきっと聞いたことのないガイコクゴですが、そこに込められた意味・状況・感情にはどこか覚えがあるのではないでしょうか。

最近だと「ヒュッゲ」とか「セレンディピティ」なんかも私たち日本人にとってはひとことでは訳せない言葉になるのでしょう。

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「その言葉は知らないけどその意味内容には覚えがある」という感覚はとてもおもしろいものですが、これは「言語と身体性」という考えを援用することでより深く理解することができると思います。

スイスにフェルディナン・ド・ソシュールという「近代言語学の父」と呼ばれる言語学者がいます。彼は「シニフィアン」「シニフィエ」「シーニュ」という概念を提唱した人で、「言語(ラング)はシーニュの体系である」と述べました。

・シニフィアン・・・記号
・シニフィエ・・・意味内容
・シーニュ・・・記号と意味内容が融合したもの

例としてそれぞれに「海」をあてはめてみると

シニフィアン:「うみ」「UMI」「海」という文字・音声
→日本語を知らない人にとっては意味を伴わない記号でしかない
シニフィエ:波・青い・広い・魚・夏・ナンパ・思い出
→海という言葉を知らなくても体験により知覚できるイメージ
シーニュ:イメージと一体になった「海」という言葉
→「海」と読んで、聞いて上述のようなイメージを想起させるもの

という感じでしょうか。

つまり「その言葉は知らないけどその意味内容には覚えがある」という経験は、「シニフィアンは知らないがシニフィエは身体的・経験的に知っている」と言い換えることができます。

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では「身体的・経験的に知っている」とはどういうことなのか。

たとえば昔の日本には城があり、地位ある者は高い所に住んでいました。一方で町人の住む町は城下町と呼ばれ低い所にありました。「頭が高い」と怒られたり「頭を上げよ」と許しを得たり「下がれ」と命じられたり。つまり「上は権威的」「下は庶民的」という身体性と慣習が存在していたということです(今だったらタワマンの住んでる階層でマウントとるアレとかと同じかしら)。

他にも「気分が上がる(高揚する)・下がる(消沈する)」「昇級・降級」「右肩上がり・右肩下がり」「絶頂・どん底」などの例を眺めると「上はポジティブ」「下はネガティブ」と認識されていることもわかります。

英語でも「上」「下」という言葉とその表現には日本語と同じような身体性共有しているものが多くあります。

He has a lofty position(彼は高い地位にある)
She'll rise to the top(彼女は最高位まで昇りつめるだろう)
You're in high spirits(上機嫌だね)
He's really low these days(彼は最近本当に沈んでいる)

国や言語が異なっていても、同じ惑星に生まれ皆等しくに重力に縛られながら上下という身体性を共有している(宇宙に上下はない)。眠るときは地に臥し、活動するために起き上がる。気落ちして俯き、天を仰いで決意を新たにする。

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ところで「時は金なり」という諺が"TIME IS MONEY"という形で英語圏にも同時に存在することって不思議だなと思ったことありませんか。「どっちがオリジナルなんだ?」とか。

どちらが先かは結局よくわからないのですが、重要なのは日本語であろうと英語であろうと何語であろうと、この諺が生まれ通用するのはいずれも産業革命を経験し資本家と労働者、そして「時給」という概念が生まれた社会の中だけであるということです。日の出と共に起きて自給自足で暮らす島では身体性の基盤が異なるのでそもそも生まれないし理解されない言葉でしょう。

身体性を共有しているから、「シニフィアンは知らないがシニフィエは身体的・経験的に知っている」が可能であり、つまり「その言葉は知らないけどその意味内容には覚えがある」と理解を共有することができるのです。

これはきっと、異言語・異文化を越えて人と人の相互理解に希望と可能性をもたらすものです。

ということで、「その言葉は知らないけどその意味内容には覚えがある」という感覚と、「言葉は違っても同じ人間として世界と身体性を共有しているのだな」という実感を味わうことができるので、この『翻訳できない世界のことば』という絵本をおすすめします。

絵もかわいいしテクストも美しくて映画みたいです。


<参考文献>




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カイマサヒロ🦉
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