魏志倭人伝に記された邪馬台国への「南」を分かりやすく教えてくれていました 86 上森三郎 2023年12月31日 03:30 邪馬台国オリオン座説香住観光協会発行の御崎平家村のおはなしそのなかに、こんなくだりがある。 壇ノ浦の合戦に敗れた平家の一門の内、清盛の異母弟にあたる平教盛(たいらののりもり)は、そのとき入水したことになっているが、実は落ちのびて、香住に来たという。 その教盛が落ちるときに言った言葉が、 「この壇ノ浦よりも遥か南に壱岐・対馬という国がある。そこは食べ物も豊富だから、何とかして暮らしていけるだろう」 というだ。結局、日本海を東に流されて香住に着くのだが、壱岐・対馬は、壇ノ浦からは、北西方向だ。「この壇ノ浦よりも遥か南」とはどういうことだろう。「南」は方角を指していないのだろうか。 この小冊子は観光協会が地元に伝わる伝承を元に作成したもので、「史料的価値なし」あるいは「勘違いか書き間違えだろう」と言って片付けてしまえばそれまでである。しかし、上森の探究には、こういったことがつきものなのだ。ヒントは思わぬ形でやってくるのだ。 では、「南」の字そのものを検討してみよう。まず上の「十」は「草の芽」だ。そして「冂」は「囲い」、「 」は「ナン」の音符であるとともに「入れ込む」意味を含んでいる。全体として「草木を囲いで囲って、暖かい小屋の中に入れ込み、促成栽培をするさまを示し、囲まれて暖かい意。転じて、暖気を取りこむ南がわを意味する。」(『学研漢和大字典』藤堂明保編より)邪馬台国新論 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する この記事が参加している募集 #日本史がすき 8,977件 #日本史がすき #卑弥呼 #邪馬台国 #平家 #魏志倭人伝 #南 #邪馬台国論争 #壇ノ浦の戦い #平家の落人 #邪馬台国への道程 #香住観光協会 #御崎平家村のおはなし #遥か南に対馬 86