Yas Hig

ロシアぐらししていたりアメリカぐらししていたりしました。今は日本。しばらく日本。ここで使ってる写真は全部自前。世界中で撮ってきました。どれから読んでも面白いですよ。

Yas Hig

ロシアぐらししていたりアメリカぐらししていたりしました。今は日本。しばらく日本。ここで使ってる写真は全部自前。世界中で撮ってきました。どれから読んでも面白いですよ。

マガジン

  • ロシアぐらし

    2014-2015年の間、ロシアぐらししていました。思ったこととか撮ったものとか。備忘録兼情報発信スペース的なトコロに。今はほとんどアーカイブ状態です。

  • ポーランド旅行記

    またの名をクラクフ滞在記。クラクフを訪れる方のためのお役立ち情報……というよりは自分のため。血は湧かないし肉も躍らないとは思いますが、追体験くらいには……?

  • アメリカぐらし

    ロシアの次は、アメリカ!というとものすごく安直なようですがそんなことになってしまいました。アメリカぐらしです。

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シベリア鉄道の楽しみ方

    • 「むなしい」という防波堤

      「なんだか気にはなっているけれど、よしやるか! とまではならない、けれどやっぱりなんだか気になってしまうもの」。前回の葉巻チャレンジでいい思いをしてみて、あらためて自分の好奇心に向き直ってみて。そんでもって向かった先はパチンコだった。 パチンコ。したことある人の割合は分からないけれど、何かしらで目に耳にしたことある、というカウントをすれば日本で暮らす人ならほぼ全員になるのでは。イメージの良し悪しは個人差があろうものの、ある意味みんなに馴染みがある、でも自分は、実際に触れたこ

      • 煙草は「のむ」。煙管も「のむ」でいいようだから、葉巻も「のむ」でいいのかな。ただ、「水煙草をのむ」というと、なんだか致命的な勘違いをしている人みたいだな。

        • 葉巻がおいしかったよ、のはなし

          葉巻がおいしくて、びっくりした。 たまたまふらっと入ったバーに、葉巻があった。 「積極的に『今度やろう!』とはならないけれど、漠然とした憧れがある」ものというものは、誰にでもあるのでは。自分にとっては葉巻がそうだった。 そもそも喫煙者ではない。家族が煙草を嫌うので。ただ、のんだことはあった。一度。たしか、セブンスター。おいしくはなかった。あーこれは、コーヒーが欲しくなるやつだ、という感想を抱き、鼻の中ににおいが残るのがきついな、という教訓を得た。総合的に、「まぁこんなもの

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        • ロシアぐらし
          20本
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          10本

        記事

          壁なのか溝なのか

          人と人は分かりあえない。 ではその間、人と人との間には何があるんだろう? 壁?溝? 大学院の授業で、ある先生は「壁」と呼んだ。他人に対する完全な理解というものはなく、コミュニケーションを行う人と人との間には、どう頑張っても越えられない壁がある、と。 違うなぁ、と思った。 別に正解がある話ではないので、どれが正しくてどれが違うということはないんだけど。前半の「完全な理解はない」という点については全くの同意ではあるが、それでは人と人の間にあるのは何かと言うと、「溝」の方が近

          壁なのか溝なのか

          長崎にひっこしました

          何年つくばにいたことだろう。タイトル通り、お引越しです。と言っても今年の春頃ですが。長崎(長崎市)、おもしろいところです。自分は福岡生まれ。なので生まれた島に戻ったとも言える。その点では同じ九州のノリも感じられるんだけど、やっぱり独特な雰囲気もある街。長崎。 海に注ぐ川のそばを歩くとほんのり海の匂いがする。 引っ越してきた日に家の風呂に入っていたら遠くから汽笛が聞こえてきた。おそらく、港から。なかなかいい気分になったんだけど、その1回だけ。たまたまだったのか、聞き間違いな

          長崎にひっこしました

          辞世の句はいつできあがる?

          辞世の句。よんでますか。 辞世(の句)とは、死ぬときに詠むもの。それはそう。それはそうと「辞世」だけで詩歌の意味になるんですね。勉強になりました。 しかし、「はい今一句詠んで!」と言われたとして。しかもそれが、自分の命が潰えようとしているその時に言われたとして。果たしてぽんっと詠めるものでしょうか。ましてそれが、夜中のテンションでtwitterに垂れ流して朝起きた頃には忘れているようなものではなく、自分の人生の締めくくりを飾る一句だ、というラベルが先にできている状況で。

          辞世の句はいつできあがる?

          映画に「問われる」―「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」という〈体験〉

          「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」というアニメ映画があります。この記事は、その映画の感想。ネタバレをめちゃくちゃするわけでもないけれど、留めようとはしません。ただ、多少のネタバレによって「削がれる」ような作品でもないのでは、という思いもある。そんなスタンスで書きます。 「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」を観に行ってきました。映画館へ。この作品、観ること自体は3度目です。2回は配信で観ました。劇場版が公開されたのは3年前(2021年)。その前段階としてあるTV

          映画に「問われる」―「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」という〈体験〉

          ひこうきのはなし

          飛行機が好きだ。人の夢が詰まっている。 ぽて、っとしたエンジンを、ぱか、っと開いたところのあの「この配線、1本くらいなくなってもなんとかなるんじゃない?(なりません)」みたいなメカメカしい感じも嫌いではないけれど、メカメカしいから好きというわけではない。テクノロジーのひとつの極致然としたあの機械のかたまりは生まれ出でた結果でしかなく、自分の「好きだなぁ」ポイントはそれを成り立たせてきた、人間の生々しさにある。 空を飛びたい! という単純というかシンプルというか根源的な気持ち

          ひこうきのはなし

          大丈夫だよ、って言われたい

          トランペットを買いました。楽譜も読めやしないのに。 きっかけは、ふと寄ったショッピングモール。なんの用事だったかも忘れたけれど、確かダイソーか何かに行く用があってモール内を歩いていたところでYAMAHAの前を通りがかりました。1枚のポスター。「トランペット吹いてみませんか」。そんなイベントをやっていました。 トランペット! 前々から、楽器ができないことに引け目を感じて……というほどではないけれど、弾ける・吹ける・できることに羨ましさを感じていたことは確かにあって。とはいえ

          大丈夫だよ、って言われたい

          「初めての外国」の話

          アメリカという国がある。わざわざこういう言い方をしなくったって、大体の人は知っているし、何かしらのイメージがあるんじゃないかと思う。 昔の自分にとって、やはり「アメリカ」は「外国」だった。というか、「外国」は「アメリカ」だった。漠然とした、「日本」ではない場所としての代表格。もちろん、「フランス」とか「中国」とか「アンティグア・バーブーダ」とか知ってはいたが、「外国」(または、「海外」)という語の響きの中で「アメリカ」が占める割合は少なくなかった。何がどうしてそうなったかは分

          「初めての外国」の話

          自分の論文が世に出た話

          自分の名前で論文が出ることになった。めでたい。 「論文が出る」というのは、自分が書いた論文が、学会や研究会、大学などが発行する論文集(「学術誌」などと呼ばれます。有名どころは『Nature』とか『Science』とか。今回はもちろん『Nature』とか『Science』とかではない)に掲載される、ということ。掲載されるといっても「これ載せて」「いいよ」とあっさり進むわけではない。 論文ができたら、「これ載せて」と学術誌を作っているところに送る。そうすると、その学術誌を作っ

          自分の論文が世に出た話

          誕生日のめでたさ。誕生日がめでたいというよりは、生への寿ぎを表明できるスペシャルデイという心持ち なので実際は別にいつだってめでたい 気がしています。

          誕生日のめでたさ。誕生日がめでたいというよりは、生への寿ぎを表明できるスペシャルデイという心持ち なので実際は別にいつだってめでたい 気がしています。

          自分にとって悲しいことよりも、他人にとって悲しいことが自分のせいで起こることのほうが辛いなという事に気づいた。前者は気の持ちようでどうとでもなるが、自分にはどうにもできないものに自分がどうにかできたはずだという反省がついて回るということあたりが後者には効いている気がする。

          自分にとって悲しいことよりも、他人にとって悲しいことが自分のせいで起こることのほうが辛いなという事に気づいた。前者は気の持ちようでどうとでもなるが、自分にはどうにもできないものに自分がどうにかできたはずだという反省がついて回るということあたりが後者には効いている気がする。

          みんな戦っているのかな

          【注意】2022年のウクライナ・ロシア戦争についての記述を含みます。 暮らすように旅をしよう、みたいなキャッチコピーがありましたね。 泊まりはホステル、食事は外食、といったように、どちらかと言うとバリバリ旅行者的に楽しんできたわけですが、偶然の出会いも楽しみつつ、気の向くままに大いにその街の空気を吸ってエンジョイしてきました。2018年、11月。ウクライナ・リヴィウ。 よもやこの世界がこんなことになろうとは。海外どころか同じ国にあるはずの実家にも2年半ほど帰れなくなって

          みんな戦っているのかな

          『映画大好きポンポさん』は映画より漫画が好みだな、という話

          映画大好きポンポさん。何年前のことだったかバズった時にpixivマンガで読んでまあ面白くて。なんてものすげー作品だ!と感が動したのを覚えている。 それが映画化。めでたい。めでたいんだけど、なんとなく「映画になるのかな?」という思いがあった。映画についてのお話だけど、お話自体は「映画らしさ」にそぐわない感覚。 しかし、雨の中を車を走らせていった甲斐はあった。ちゃんと映画でした。映画、と言うか映像作品、というかアニメ映像作品らしさ全開で。きらびやかで、よく動いて、ブァーっと。

          『映画大好きポンポさん』は映画より漫画が好みだな、という話