『和敬清寂』こそ、日本流の民主主義
(※「茶道はお点前三割、古典文学七割」とイケメン講師のトオルさん:よりの続き)
私と講師のトオルさんの会話をおっしょさんは、私の隣りの席で黙って聞いていた。
お稽古が終わって帰りの挨拶の時の事である。おっしょさんはいつものように、
「何か質問は?」
と聞かれた。私は、
「聞きたいことが沢山あったのですが、全て忘れてしまいました」
と本音を漏らした。すると早速、おっしょさんは、
「なんと、全て忘れてしまったのですか」
と、ツッコミを入れて来た。しかも、さらにおっしょさんは私にツッコミを入れたい様子だったので、機先を制して先制攻撃。
「そういえば、トオルさんとも先ほど話していたのですが、茶道はお点前が三割、古典文学の教養が七割だと。それでよろしいのでしょうか」
おっしょさんのツッコミは一度始まると、止まるところを知らない。一度なんかあまりのツッコミの激しさに、私が泣きそうになった。苦し紛れにおっしょさんのツッコミの矛先を交わそうとして「このお茶室にいる時が、私の人生の中で一番幸せな時間です」とつい本音を喋ってしまった。それに驚いたのは周りで聞いていた姉弟子たちである。あちこちからクスクスとひかえめに笑う声が聞こえた。そんな姉弟子たちの失笑に勇気付けられたのか、挙げ句の果てにおっしょさんは「私は男の人には厳しいんです」と来た。もう、白旗を掲げるしかない。
「それでいいと思います。教養がいかに重要かということでは、アインシュタインとフロイトの逸話が残っています」
おっしょさんは私に話して聞かせてくれた。以下、おっしょさんの話の大要である。
あるとき機会に恵まれてアインシュタインがフロイトに聞いたそうだ。「戦争は、どうやったら無くなりますか」
それに対して精神科医のフロイトはこう答えたそうである。
「戦争は無くなりません。しかし、、それを阻止出来るものが一つだけあります。それは教養です。本来、抑えることのできない人間を戦争に駆り立てる欲望を唯一制御できるのは、高い教養です」
と、教養がいかに重要かを説いた。
おっしょさんの教養に関する話に対して、私はこんな逸話を返した。
「第二次大戦後、アメリカが日本に民主主義を浸透させようとしていた頃のこと。アメリカのとある将軍が日本の民主主義について、こう語ったそうです。日本にはすでに民主主義があります。それは茶道です、と。それが意味するものは、茶室の躙口が持っている真の思想です」
と答えて、茶室の隅にある躙り口を指差した。すると、おっしょさんも、
「そうです」
と私の指摘に同意してくれた。
この日のおっしょさんの質問タイムは、まさに二人の哲人の魂の対話のようだった。
教室を出る時、おっしょさんが出入り口まで見送ってくれた。特にこの日は、あることに気づいた。以前は、たまたまおっしょさんのお稽古の手が空いたので見送ってくれているのかな、という程度にしか先生の見送りについては思っていなかった。この日はどうも、見送りの持つ意味が違うように思えた。その根拠として、三国志の言葉を思い出した。
「将は将を知る!」
おっしょさんは見送りの意味について何も言わないが、これは、おっしょさんに以前言われたことのある言葉で、「将」に関連しているように思えた。
「カゲロウさんは、見た目は大茶人ね」
である。もしかしたら、
『中身も一歩、大茶人に近づいたわね』(推測であるが)
と認めてくれたのかも知れない。
でも、これも私の得意な思い過ごし、かも……。
以下は、産経新聞からの抜粋である。
《若宗匠となった翌年、CIE(連合国軍総司令部の民間情報教育局)から渡米して茶道紹介を、という話が来る。戦後間もない昭和26年、日本は占領下でパスポートもない時代だった》
(中略)第六軍司令官ダイク代将が、講演で茶道の話に触れて「千利休の『和敬清寂(わけいせいじゃく)』こそ、日本流の民主主義ではないか」と語ったとのことでした。私はびっくりしました。アメリカの軍人が日本のお茶を知っていて、利休居士の言葉を紹介した上に、茶道の精神は民主主義にかなうものだというお茶の神髄を理解していたのですから。
《「和敬清寂」とは、千利休が茶道の精神を表すとした言葉。主人と客とが心なごやかに互いを敬い、茶室や茶道具などは清らかで質素を心がけることをいう》
利休居士が語ったお茶の中心ともいうべき大事な言葉です。まず「和」とは平和と調和のことで、私はこれを一体のものと考えます。調和があって平和になり、平和でなければ調和を作れません。「敬」は心から相手を尊敬すること、「清」は清らかなこと、「寂」は静寂であり、常に静かで動じない心持ちのことです。
私は感激してダイク代将に手紙を書きました。日本は戦後、急速にアメリカから民主主義を学ぼうとしましたが、もともと日本には茶道という民主主義があったのです。例えば、戦国時代でも武士は茶室に入るとき腰の刀を外しました。茶室では武士も商人もなく、皆平等なのです。私はどうにかしてアメリカに行き、あちらの人たちにお茶を紹介できないかと考えたのでした。
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