コレッリ以前のソナタについて
Sonata という語は、ラテン語の Sono(音)が語源で、Canto(歌)と対比される形で13世紀頃から器楽を指すものとして用いられていました。「奏鳴曲」という和訳は、そういう意味では少なくとも間違ってはいません。
17世紀中頃までは、ソナタという語は特定の曲種というより単に器楽を意味するものに過ぎませんでした。例えば、ジョヴァンニ・バッティスタ・ブオナメンテ(c.1595-1642)『種々のソナタ集 第5巻』(1629)は、ソナタと題する曲は全く収録しておらず、雑多な器楽曲をまとめてそう呼んでいるだけです。
カンツォーナとソナタ
しかし器楽曲の中でも特にソナタと関係が深かったのがカンツォーナです。
カンツォーナは別名 "Canzon alla Francese" とも呼ばれるように、元々はフランスのポリフォニックなシャンソンの器楽編曲ものでしたが、16世紀後半には、もはや声楽とは関係の無い純粋な器楽曲と化していました。やはりカンツォーナの別名である "Canzon da sonar" や "Canzona per sonare" というのをソナタの語源とする説もあります。
17世紀前半においてソナタと題された曲は、概ねカンツォーナと違いがありません。もっともシンフォニアやコンチェルトと称するものも、やはりカンツォーナと似たようなものでした。それらに区別を立てる作曲家もいましたが、その使い分けも人によりけりで統一的な見解など存在しなかったようです。ただ「カンツォーナあるいはソナタ」というような両者を同一視するようなタイトルが良く見られることは確かです。
Giovanni Gabrieli:《Sonata Pian e Forte》- Sacrae Symphoniae (1597)
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院のオルガニストを務めたジョヴァンニ・ガブリエリ(c.1555-1612)によるこのソナタは、ピアノとフォルテの対比を特徴とするユニークな作品ですが、別にカンツォーナと呼んでもよさそうなものです。
プレトリウスによれば、ガブリエリは動きの少ない荘重なものをソナタ、活発なものをカンツォーナと使い分けていたとされます。確かにカンツォーナはシャンソンの活気あるリズムを受け継いでいるのが一つの特徴で、それを欠くものをカンツォーナと呼ぶことに抵抗があったのでしょう。
通奏低音
そもそもカンツォーナと呼ばれる曲のスタイルも一様ではありません。
最も基本的なのは、ポリフォニー世俗歌曲の編曲ないしそれを模倣したもので、活気のある主題による「フーガ」といえるものです。17世紀の鍵盤音楽の「ソナタ」の多くも、この種の厳格なポリフォニー作品です。
しかし一方で17世紀には通奏低音と上声部に二極化したタイプのカンツォーナが現れました。ソナタも同じ。
Giovanni Gabrieli:《Sonata XXI con tre violini》- Canzoni et Sonate (1615)
ガブリエリの没後出版された「3つのヴァイオリンのためのソナタ」は、通奏低音上で3つのヴァイオリンが綾を成すバロック音楽らしい作品で、これも一種のカンツォーナといえるのですが、何となくソナタという方がしっくりきますね。
Dario Castello: Sonate concertate in stil moderno(libro 1, 1621 / libro 2, 1629)
カンツォーナはしばしば明確な節構造を有しますが、ソナタも同じで、これが後の楽章形式ソナタにつながるものと考えられます。
ダリオ・カステッロ(1602-1631)のソナタは、通奏低音と1つから4つの旋律パートのための作品で、それぞれ対照的な3つか4つのセクションから構成されます。彼の「当世風」ソナタも基本的にはカンツォーナの発展形と言えますが、その表現は極めて独創的で過激です。
カステッロはヴェネツィアのサン・マルコ寺院で吹奏楽長を務めており、そのためか彼のソナタには楽器にトロンボーンやファゴットの指定がよく見られます。彼はペストによって若くして亡くなったようですが、その作品は1650年代になっても再版されていました。
教会ソナタと室内ソナタ
Tarquinio Merula: Canzoni overo sonate concertate per chiesa e camera, Op.12(1637)
タルクィニオ・メールラ(1595-1665)の『カンツォーナあるいは合奏ソナタ集 Op. 12』(1637)のタイトルには、例の「キエザ」と「カメラ」が登場します。しかしこれに関する説明は、ずっと時代を降ったセバスティアン・ド・ブロサールの『音楽辞典』(1703)に求めなければなりません。
メールラの作品12に戻ると、目次には固有名詞的なタイトルを持つカンツォーナが並び、それに舞曲のバッロが少々とチャコーナが1つ。何がキエザなのかカメラなのかよく分かりませんが、おそらく舞曲は教会向けではないでしょう。
1曲目の《La Gallina》は、通奏低音と2つのヴァイオリンのための軽快なカンツォーナで、全く重厚でも荘厳でもありません。全体は3つのセクションに分かれ、中間で3拍子となりますが別にフーガでもなく、その後冒頭部を繰り返して終わります。
第4曲《La Treccia》は、短調ということもあり、落ち着いた荘厳なムードで始まりますが、平行調に転調する中間部は典型的なチャコーナ。そしてやはり最後に冒頭部が繰り返されます。
言うまでもなく、これらのカンツォーナは『音楽辞典』のソナタの説明には全く当てはまりません。
Maurizio Cazzati: Suonate a due Violini, Op. 18 (1659)
ブロサールの『音楽辞典』のソナタの説明はアルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)等の作品を念頭に置いたものに違いなく、そしてコレッリは、マウリツィオ・カッツァーティ(1616-1678)に遡るボローニャ楽派にルーツを持ちます。
カッツァーティはボローニャのサン・ペトロニオ大聖堂のマエストロ・ディ・カペラを務め、66巻に上る膨大な音楽作品を出版しました。彼は自前の印刷所まで作り上げており、出版者が明記されていない晩年の曲集は自力で出版したものと考えられます。
カッツァーティの作品18は、2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ、つまり「トリオ・ソナタ」を12曲収録します。タイトルページからカンツォーナの文字は消えましたが、ソナタのネーミングはカンツォーナの流儀を受け継ぐもので、何だか格好は良いですが内容は想像できません。
ソナタ第7番《La Rosella》は当時としては珍しいハ短調。全体は4楽章からなり、それぞれがリピートされます。
始まりは荘厳な Adagio。続く Allegro は模倣的な応答や通奏低音を巻き込んだストレッタなどがあり、フーガと言って差し支えないもの。3/8拍子で舞曲風の Presto ではフレーズの繰り返しに Piano の指示が見られます。最後は Grave ですが、後半で切れ目なく Presto に移行して幕引き。
ここからコレッリの『Op. 1』(1681)のソナタ・ダ・キエザまでの道程は遠くないでしょう。
Giovanni Legrenzi: Sonate dà Chiesa, e dà Camera, Op. 4 (1656)
カッツァーティがボローニャに来る前、ベルガモのサンタ・マリア・マッジョーレ教会のマエストロ・ディ・カペラを務めていた頃、そこのオルガニストだったのがジョヴァンニ・レグレンツィ(1626-1690)です。
レグレンツィは最終的にヴェネツィアで大成しますが『Sonate dà Chiesa, e dà Camera, Op. 4』(1656)はフェラーラ時代のもの。しかし彼の「ソナタ・ダ・カメラ」は組曲ではなく単体の舞曲でしかありません。コレッリの『Sonate da Camaera, Op. 2』(1685)以前には、イタリア人はソナタを組曲だとは考えていなかったようです。
アルマンド、コレンテ、サラバンドという馴染みのある面子が並んでいますが、しかし彼のサラバンドは・・・/ ―・・というリズムの「速い」サラバンドです。テンポはおそらく Allegro になるでしょう、これは緩徐楽章にはなりません。
一方、コレッリの『Op. 2』のサラバンドはフランス式の「遅い」サラバンドなのです。
Johann Rosenmüller: Sonate da Camera (1667)
イタリア人ではないですが、コレッリ以前にも舞曲の組曲をソナタ・ダ・カメラと称して出版した前例はあります。
ヨハン・ローゼンミューラー(1619-1684)は、ライプツィヒの聖ニコラス教会や聖トマス教会でオルガニストをしていましたが、1655年に同性愛の容疑で投獄されました。しかし彼は脱走し、ハンブルクを経由してヴェネツィアに逃亡、サン・マルコ寺院のトロンボーン奏者として再起を図り、1660年頃には当地でも有名な音楽家となっていました。
彼がヴェネツィアで出版した『Sonate da Camera』(1667)は、通奏低音と5パートの合奏という、ドイツらしい大規模な編成で、前奏曲であるシンフォニアの後に、同じ調の一連の舞曲が続く組曲が収録されています。これでレグレンツィの舞曲をどういう順番で演奏すればいいのかも分かりますね。
しかしローゼンミューラーのサラバンドも、やはり速いサラバンドです。
コレッリがどこからフランスの流儀を仕入れてきたのかは分かりません。ルソーによれば、コレッリはフランスを訪れたことがあり、リュリが彼の才能に嫉妬して追い払ったのだとか。
それはともかく、コレッリのキエザとカメラのソナタは、その比類無い完成度をもってパレストリーナに代わる新たな音楽の規範となりました。キエザとカメラを半分ずつ収めたヴァイオリン・ソナタ集『Op. 5』(1700)は、とりわけ人気が高く、18世紀の間に少なくとも42の版が出ています。
コレッリのソナタが現代人には些か凡庸で退屈に感じられてしまうのは、彼の優れた作曲技法が、その後あまりにも模倣され過ぎたからでしょう。