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フランツ・リスト編『ジョン・フィールド:6つのノクターン』序文翻訳(198)

John Field, Six nocturnes pour le pianoforte: Nouvelle édition revue, Avec une préface de Franz Liszt, ed. Franz Liszt, Hamburg: Schuberth, 1850. 
https://nbn-resolving.org/urn:nbn:de:gbv:32-1-10039123398

 この度、フィールドの六つのノクターンが初めてまとまった形で出版されたことは、これらの親密な詩に心打つ魅力を感じる人々の願いに確かに応えるものだろう。これらは作曲者がその道程に気まぐれに撒き散らした頁であり、これまでは様々な出版物から取り集めなければならなかった。彼は出版にあたっても演奏と同様に無頓着であった。この怠慢は彼の才能に大きな恩恵を与えたが、感性の真の傑作であるところの彼の作品をすべて揃えることの困難が、彼の崇拝者たちを嘆かせることになった。遺憾なことに、所有権の問題から完全版は依然として作成できないのだが、ひとまずは転載が許可されたものをこれに集めた次第である。

 フィールドのノクターンは、数多のものが古びてゆく中で、その若々しさを保っている。それが初めて現れてから三十年以上が経過した今も、爽やかな瑞々しさと芳しい香気を放っている。これほど比類なき無垢の美の完成を他に見いだせようか。彼の語法の魅力、そのしっとりとした優しい表情は誰にも再現することができていない。それは水面に浮かぶ小舟や、優しく揺れるハンモックにも似て、我々はその穏やかな揺れのなかに蕩けるような愛撫の消え入る囁きを聴く。

 この風のような曖昧さ、形にならない溜息、静かな嘆き、恍惚とした呻きには誰も達していない。誰も試みようともしていない。就中フィールド自身の演奏を聴いた、というよりはむしろ彼が夢見るのを聴いたならば。彼は自分の書いた音符に囚われず、尽きることなく次々と新しい一群を創り出しては花吹雪のようにメロディーを飾り立てたが、その物憂げなうねりと魅力的な輪郭が覆い隠されることはなかった。彼はなんと豊かな創意で着想を彩ったことだろう。彼はその想いを覆い隠すことなく、稀有な趣味をもって繊細極まりないアラベスクの格子で包んだ。

 彼の演奏を支配する穏やかな感動に心を奪われた者は、それを模倣することなど不可能だと確信するだろう。極めて素朴な情感と多彩な装飾を併せ持つ、この甘美な独創性を真似できようとは期待できるものではない。探求不能な自然の奥義があるとすれば、それは純真な気品と天真爛漫の魅力である。それは天賦のものであり、決して獲得できはしない。フィールドにはそれが備わっていた。だからこそ彼の作品は時を経ても色褪せることがない。

 その印象に完全に適合しているために、この楽式は古びることがない。その印象なるものは、芸術家の生活する社会の影響下で生まれた一時の月並みな感傷ではなく、人の心を永遠に魅了する純粋な感情に帰属するものである。なぜなら彼はいつでもそれを自然の美と愛らしさのもとに見出すからだ。それは感情のプリズムに影が落ちて暗くなる前の人生の朝に彼を招き入れる。

 我々はこの魅力的なモデルを模倣することすら叶わない。なぜなら極めて特別な志向なくしては、探していないときにだけ見つかるその効果を達成することはできないからだ。その自然な魅力の源を分析しても無駄である。それはフィールドと似た魂にしか生じない。感受性に恵まれすぎた人の通例として、彼にとって創造は容易く、形式の多様性は必然であった。そのため彼の気まぐれな作品に見られるあらゆる優雅さにも関わらず、彼の才能に気取ったところは少しもない。むしろ彼の探求は、心を満たす単純で幸福な感情の和音を、無限に転調させることを楽しむ本能でしかない。

 このことは作曲にも演奏にも当てはまる。彼が作曲と演奏にあたって考えたのは、彼自身の感情を具現することと、彼自身が楽しむことだけであった。彼以上に公衆の声を無視する人物は想像しがたい。彼がパリにやって来た時、彼は演奏会でスクエア・ピアノを弾くことを否まなかったが、それは彼が知らぬうちに魅了してきた熱心な聴衆で満員のホールにより適した楽器なら可能であったろう効果には確かに及ばなかった。彼のほとんど動きのない態度と無表情な顔は目を引かなかった。彼は他人の目を気にしなかった。彼の演奏は淀みなく澄み切った流れだった。彼の指が鍵盤の上を滑ると、呼び起こされた音が泡沫のように続いた。彼にとって主たる聴き手は彼自身であるということは明らかだった。彼の静謐さは眠気を催すほどで、聴衆の印象などはほとんど気にかけていなかった。彼は軋みや雑音を立てず、身振りや拍子を取ることもせず、妨げられることなく音楽的な空想に耽り、夢心地を空中に漂わせた。愛の囁き、メッツァ・ヴォーチェ、甘美極まる印象、魅力的な心の驚きを。

 この静謐は決して彼を離れることがなかったばかりか、ますます彼を引き込んでいったように見える。歳を重ねるごとに騒音や動揺は彼にとって総じて不快なものになっていった。彼は静寂を好み、穏やかにゆっくりと話した。唐突で荒々しいものすべてが彼に嫌悪感を抱かせ、彼はそれを避けた。あまりにも洗練され、稀な特色を有する彼の演奏は、ある種病的な雰囲気を孕むようになり、一層倦怠感を増していくようだった。少しでも不要な動きを避けるために、彼が老年に至っても喜んで毎日数時間取り組んでいた練習は、生憎現在では廃れた方法であるが、大きなコインを手の甲に乗せ、素早い動きにおいても決してそれを落とさないようにして弾くというものだった。この訓練は彼の演奏の静かさと、彼の性格とを完璧に表している。

 人生の最後の数年間は全くの無関心が彼を支配した。それは彼の生活すべてに及んだ。立ち上がること、座ること、歩くことが億劫だった。杖の重さは彼の怠惰な努力を超えてしまうことがあった。散歩中に杖を握るためのささやかな力が不足していたために、彼はそれを取り落としてしまい、誰かが拾ってくれるまで彼はその脇に立ち尽くしていた。

 彼は名声についても同じ態度だった。それを気にかけることや、心を悩ますことはなかった。彼にとって広く知られることは大して重要ではなかった。彼にとって芸術とは、それに専念することで得られる満足感がすべてであった。彼はそれ以外の地位や評判、作品の成功や永続性には、ほとんど関心がなかった。

 フィールドは自分自身のために歌った。その愉しみだけで彼には十分であり、音楽にそれ以外のものを求めなかった。彼が曲を書き留めたのなら、それはある種の気晴らしだったのだ。彼のいくつかの作品、とりわけ協奏曲には(残念なことにひどく数が少ないが)、驚くべき独創性と、議論の余地のないハーモニーの冴えが見られる。しかしそれを研究し理解していくと、作曲においても演奏においても、彼はただ自分の空想を満足させただけで、努力せずに創作し、苦労なく完成させ、全く無頓着に出版したのだと思わされる。今日の慣習とは何と対照をなしていることだろうか。

 効果を狙ったものの完全な欠如こそが、ピアノで試みられた感情と幻想の初の試み(それは見事に成功をおさめた)を、それまでの公式の標準的な型から解放することになった。それ以前はソナタやロンドなどの形式を取ることが不可欠とされていた。フィールドは確立されたカテゴリーのどれにも当てはまらず、お仕着せの形式の制約や負担から解放された、情緒とメロディーだけが支配するジャンルを初めて導入した。彼はその後の『無言歌』、『インプロンプトゥス』、『バラード』その他の名称で登場する、すべての作品への道を開いた。個人的で親密な感情を描くことを目的としたこれらの作品の起源は彼に求められる。彼は壮大よりも繊細を想い、情熱よりも親愛に着想した。

 フィールドが名付けた『夜想曲ノクターン』という呼び名は、まさにこれらの作品に相応しい。それは我々の魂が日々の瑣事から解き放たれ、神秘の星界へと思いを馳せる時間を直ちに思い起こさせる。我々は古代のフィロメラの如く魂が淡い翼を広げ、恋い焦がれる自然の花々の芳香の上を優雅に舞うのを見る。幼年期の衝動を残した心を惹きつける純粋素朴な表現への回帰の求めは、現代の流派の大部分によって絶え間なく再生産されているエネルギッシュで複雑な情熱の粗暴な表現によってさらに強くなっている。

 ノクターンという題のもとでさえ、フィールドがそれに与えた甘く静かな情緒とは別種の効果に置き換えられているのを我々は見る。一人の天才が音楽のこの分野を掌握し、その甘美と漠たる憧憬を余さず保ちつつ、それに動きと情熱を与えた。その若者はすべての哀愁の音色を巡り、見出した痛ましい和音によって彼の夢想をさらなる深い哀しみに染めた。ショパンはノクターンにおいて、言語を絶した喜びの源のハーモニーだけでなく、しばしば不安と動揺をも歌った。彼の翼は傷ついていてもなお高く飛翔し、垣間見せる内なる荒廃のために甘美は胸を引き裂く。彼がノクターンの名のもとに出版したすべての作品の創意と形式の完璧さを凌駕することは不可能であり、芸術においては同じことだが、匹敵することもほとんど望めない。それらはフィールドよりも苦悩に接近しているために、より強い調子を持つ。その詩情はより昏く、より魅惑的である。それは一層我々を惹きつけるが、安らぎを与えない。

 かくして我々は大海の嵐より遠く離れて開いたこれらの真珠貝に喜びと共に立ち戻る。幸いなるオアシスの椰子の木陰の湧き立つ泉の岸辺で、砂漠の存在すら忘れさせる。

 豊かなメロディと洗練されたハーモニーによって際立つこれらの小品に、私は常に魅力を見出してきたが、それは少年時代に遡る。作曲者に会えるなどとは思いもしなかった頃から、私はこの音楽の柔らかな陶酔の引き起こす幻影に何時間も身を委ねていた。それは薔薇煙草の香りにも似て、ジャスミンの満たされたナギレ[水パイプ]のトンベキ[トルコ煙草]の刺激的な一服に代わるものだった。それは熱も興奮も伴わない幻覚であり、むしろ浮遊する虹色のイメージに満ちていた。その感動的な美しさは幸福な煌めきの時の中にやがて情熱にまで昇華してゆく。牧歌や田園詩を書かせ、また読ませたすべての感情がここには最も魅力的な形で存在している。

 私はどれほどの時をローゼンカンプ夫人の名に想像力と目を漂わせて過ごしたことだろう。この作品群の中で最も長く美しい曲(ノクターン第四番)は彼女に捧げられている。この「薔薇の戦いRosenkampf」にどれほど混乱した愛すべき考えを結びつけたことか。それが与えるインスピレーションは深遠で、優しい憂愁に満ち、幸福に包まれていた。

 ここでは様式の洗練が感情の優雅さと競い合っており、装飾は稀なる繊細の極みにあって、転調構想においては非常に精緻な技が支配している。そのため作曲者はこの穢れなき譜表を書くにあたって、高貴で選ばれた非の打ち所のないものだけを追求し続けたように思われる。

 この曲集の第一と第五のノクターンは輝かしい幸福感に包まれている。労せずに得られ、喜びに満ちて享受される至福が花開いているように感じられる。

 第二のノクターンでは色合いが深まり、日陰の小径に差し込む光を思わせる。この曲にはある種の不在感が感じられる。不在は太陽なき世界と言われるように。

 第三と第六のノクターンは牧歌的な性格を有している。そのメロディーには芳しい風の温かな息吹が吹き込まれている。それは夜明けの霞を彩る移り変わる色彩のように、露に濡れて青みがかり、やがて紫に染まる。しかし最後には、あたかも陽気が朝霧を払い除けたように、形がはっきりと浮かび上がり、輪郭が明瞭になる。そこにダイヤモンドの鱗のように燦めくさざめきを伴う波が現れ、光り輝く涼しげな風景を蛇行しながら通り過ぎてゆく。

 この輝く明るさは、これらの作品のタイトルと少しも不協和を成すものではない。ここに収録できないノクターンの一つにフィールドが『真昼Midi』と名付けたのは、単に奇抜さを狙ったわけではない。それは彼がサンクトペテルブルクで何度も目にした、闇のない夜の半ば目覚めた夢なのではないだろうか。それは何も隠さない白いヴェールに覆われた夜であり、銀の縮緬のようにくすんだ霧で物を包み込むだけだ。秘密のハーモニーが夜の影と輝く光の上辺だけの差異を消し去るが、それが我々を驚かせることはない。その描写の曖昧さによって、それが生の現実ではなく、詩人の夢想の中にのみ現れるものであることがわかるからだ。

 フィールドはその生涯に渡って、一般の人々が陥るような自己顕示欲に駆られた過度に興奮した活動から免れていたと言えるだろう。また激しい情熱が投げかける強い光からも免れた。すべてが夢見るような怠惰の中に費やされ、中間調の色彩と陰影の中で、まるで長いノクターンのように過ぎていった。雷雨の稲妻もなく暴風が静けさを破ることもない穏やかな自然のように。

 彼はイギリスで生まれ、若い頃に師であるクレメンティへの愛着から彼の後を追い、初めドイツに渡って、そこで一、二年だけ過ごした後、ロシアに定住した。サンクトペテルブルクやモスクワで彼は高く評価され、レッスンが求められた。長年にわたって彼の時間は激しく奪い合われ、起床してすぐに隣の部屋で演奏する生徒の演奏を聴かなければならないこともあった。

 あるいは何か思考の蜃気楼に惹かれたのかもしれない。既に高齢になってから彼はイタリアを訪れることを望んだ。彼はパリを経由し、衰えにも関わらずそこでいくつかの演奏会を開き、そしてナポリへと向かった。しかし、そのあまりにも輝かしい空と気候は彼に合わなかった。彼は病気になってロシアに戻った。その第二の母国では彼は常に敬愛の対象であり、その名声はほとんど国民的なものとなっていた。彼はそこで生涯を閉じた。

 クレメンティの愛弟子であった彼は、この偉大な師匠から当時最高の演奏技術を学び、それをある種の詩に用いた。彼はそれによって純真と憂愁、巧緻と放縦を兼ね備えた無自覚の優雅さの比類なき模範であり続けるだろう。彼は芸術史上の特定の時代にしか現れない先行者の典型である。ある芸術がその資産を知り始めたばかりで、まだ使い果たしておらず、より自由に展開しようと自らの領域を広げることを図り、時にはその束縛を破るために翼を傷つけることも厭わない、まさにその時代に彼は出現したのである。

フランツ・リスト


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