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鍵盤楽器音楽の歴史(33)続々・パッサカリアとチャッコーナ

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フレスコバルディの『トッカータ集 第1巻』は1637年の第5版で26ページ追加増補されます。この追加分はフレスコバルディの生前に出版された最後の作品群であり、その中核を成すのがこの『パッサカリアによる100のパルティータ』Cento partite sopra Passacagli です。

これは全部で326小節に達する長大な作品で、下図のように大きく4つの部分に分けられます(M.カッロッツォ、C.チマガッリ『西洋音楽の歴史』第2巻、2010年)。

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この作品については、まずタイトルの「100のパルティータ」というのからして問題で、前出のV.ガリレイの『ロマネスカ第11番 100のパルティ』はしっかり100個ありましたが、フレスコバルディが番号を振っているのは最初のページだけで後は放棄しており、しかも彼の『ロマネスカ』や『ルッジェーロ』とは違って、パルティータとは言っても一つのパルテが短くシームレスに連続しているため、どこまでが1パルテなのかよくわからない箇所もあります。

一応数えてみましたが、コレンテを除いて113個といったところです、どうあがいても100ちょうどにはなりそうにありません。そもそもタイトルの "cent" の文字は続く "PARTITE SOPRA PASSACAGLI" とは字体が異なり、後から付け加えられたようにも見えます。

このパッサカリアも例によって明確なオスティナート・バスは存在せず、和声の観点から見たほうがいいと思います。ここでは I-V-IV-V というパターンが見て取れます。

Frescobaldi-Toccate et Partite, etc. Libro I (1637) 76のコピー

ところで6/4という拍子のせいで譜面が無駄に読みづらくなっている感があるのですが、初期稿と思われる手稿譜 (Chigi Q.VIII.205-206) では音価が倍で書かれており、このほうが自然です。あえて音価を小さくしたのは速いテンポで弾いてほしいということなのかもしれません。

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第1部の最後、2小節に渡る長いトリルを経て終止した後、唐突にコレンテが始まります。

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「パッサカリアによるパルティータ」というコンセプトがいきなり崩壊していますが、目次を見るとここから先は『コレンテとパッサカリア』という題がついており、もしかしたら『100のパルティータ』とは別の曲である可能性すらあります。そうすると『100のパルティータ』は100どころか20しか無いことになりますが。

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コレンテは3/2拍子ですが、コレンテという舞曲の性格からしてここで減速は意図されていないはずで、むしろ加速する必要があるでしょう。そして3/2拍子で再びパッサカリアが始まるのですが、ここではかなりテンポを落とす必要があります。この後6/4に拍子がチェンジして加速、さらに音価が半分になる二段階加速が用意されており、かなりの難所となっているのです。

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第2部の終わり近くで Altro tono というセクションに入ります。文字通りに「転調」で、ニ短調からヘ長調に転調します。これは曲と曲を橋渡しするリトルネッロとしてのパッサカリアに元々備わっていた機能なのかもしれません。

altroのコピー

ここではフラットを撒き散らしてヘ短調に転調する瞬間があるのですが、ミーントーンで演奏した場合には恐るべき効果があります。

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フレスコバルディと音律については奇妙なエピソードが伝えられています。ジョヴァンニ・バッティスタ・ドーニの De præstantia musicæ veteris (1647) によると、「チェンバロの弾き方以外は何も知らないみすぼらしい老人」が「しばしば酒を振る舞いながら」フレスコバルディに平均律の優位性を説いたため、彼はサン・ロレンツォ・イン・ダーマゾ教会の新しいオルガンを平均律に調律する提案をしたので騒ぎになったというのです。

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確かにフレスコバルディの作品ではミーントーンでは無茶と思えるような箇所にしばしば遭遇しますが、しかしそこを平均律で弾くと抵抗なく通過できてしまうため面白くありません。分割鍵盤という手も考えられますが、やはりあえて普通の鍵盤に素の1/4コンマ・ミーントーンで派手に汚い音を出すのが愉快だと思います。音律的に無茶な転調はエレキギターがオーバードライブで歪んだ音を出すような演奏効果の一つなのではないでしょうか。

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第3部はチャッコーナで始まります。当時としても時代がかった白い音符だらけの譜面になりますが、チャッコーナの性格からいってそれほど遅いテンポが意図されてるわけではないでしょう。後の加速マージンを稼ぐためか、あるいはチャッコーナの明るい雰囲気を演出するために単に楽譜を白っぽくしたかっただけかもしれません。

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ここからはチャッコーナとパッサカリアが交互に現れるのですが、両者の区別をはっきり定義するのはなかなか困難です。

最初のチャッコーナはヘ長調でわかりやすい I-V-VI-V の和声定型をもっており自信を持ってチャッコーナだと言えますが、先に進むにつれチャッコーナとパッサカリアは互いに張り合うように変容を繰り返し、安易な分析を受け付けません。

強いていえば、チャッコーナは「・・・ー・・」という駆け回るようなリズムが支配的で、パッサカリアは「ー・・ー・・」という重厚なリズムが特徴であるといえるかもしれません。

1. チャッコーナ ヘ長調

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これは前述の通り典型的なチャッコーナです。後半で拍子が変わって加速し、ハ長調で終止します。

2. パッサカリア ハ長調

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パッサカリアはチャッコーナに寄り添うように長調で現れますが、足取りは重く、フラットが頻出して短調に寄りがちです。後半でやはり拍子が変わって加速。

3. チャッコーナ ハ長調

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ハ長調で始まるもののすぐに短調の影が忍び寄ります。非常に半音階的な旋律が飛び出しますが、E♭とF♯の混在するこれはブルーノート・スケールに踏み込んでおり、妙に現代的な雰囲気を醸し出しています。

終盤は激しく上昇音形を両手で交互に繰り出すも、最後は下降音形でイ短調に着地。

4. パッサカリア イ短調

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一転して荘重な短調のパッサカリア。頻出する半音階が狂おしく、後半は下降音形を繰り返して落ちていきます。

5. チャッコーナ イ短調

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そして最後に行き着くのがデモーニッシュな短調のチャッコーナです。第3部の微笑みに始まり狂乱に終わる一連の流れは見事というほかありません。

Altro Tono

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そしてチャッコーナは熱狂のままニ短調へと回帰し、カスタネットを打ち鳴らすような断続的なトリルとともに盛大なフィナーレを迎えます。

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そうして折角綺麗に終わったところに何故か第4部 Passacagli Altro Tono がものすごい蛇足感をもって始まります。

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"Altro Tono" の名の通りニ短調からイ短調そしてホ短調に転調しホ長調で終了しますが、宙ぶらりんでどうにもすっきりしない終わり方です、まだ何かが続くと思わざるを得ません。それは本来のリトルネッロとしてのパッサカリアという形式からすれば正しいのですが。

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蛇足とは言いましたが、第4部の曲自体はフレスコバルディのパッサカリアの中でも最上の出来で、この平行六度で駆け昇っていくあたりなどは痺れる格好良さがあります。

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リナルド・アレッサンドリーニは、この Passacagli Altro Tono を独立した作品として、CDでは『100のパルティータ』とは別々に収録しています。

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おそらくは『100のパルティータ』そのものがフレスコバルディが作りためたパッサカリアやチャッコーナのパッチワークなのだと思います。

晩年の彼はパッサカリアとチャッコーナという2つの形式に余程傾倒していたと思われます。目次を見てのとおり『100のパルティータ』の前後にパッサカリアとチャッコーナを含む舞曲組曲が対称的に配置されていることから、この2つの形式に陰と陽、静と動のような対立的原理を見ていたのかもしれません。

パッサカリアとチャッコーナという形式は、その黎明期というべき時点においてフレスコバルディによって高みを極められてしまった感があります。

しかしフレスコバルディはあまりにも怪物的であり、その音楽の真髄は余人に模倣できるものではなく、以後数多のパッサカリアやチャッコーナが生み出されるもフレスコバルディのような作品が作られることはありませんでした。『100のパルティータ』は酷く不完全で歪ながらも空前絶後の傑作として音楽史上に特異な地位を占めています。

次もまだもう少しフレスコバルディの作品について。

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