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鍵盤楽器音楽の歴史(55)オルガン組曲

フランス・クラヴサン楽派の始祖がシャンボニエールであるなら、オルガン音楽については、ギヨーム=ガブリエル・ニヴェール Guillaume-Gabriel Nivers (c.1632–1714) にその栄誉が与えられるべきでしょう。

彼が1665年に出版した最初の曲集『すべての教会旋法による100のオルガン曲集 Livre d'orgue contenant cent pièces de tous les tons de l'église』(1665) に収録されているのは、多彩な小品からなる「オルガン組曲」というべきもので、これは以後半世紀に渡ってフランスのオルガン音楽の支配的なフォーマットとなるものです。

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この曲集は100の小品が調ごとにまとめられて12の「組曲」を成しており、それらがどの教会旋法に対応するのかが表で示されています。

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調と旋法の対応については前回説明したとおりです。例えば左上の「低声のための通常の旋法」の表では、第2旋法と第3旋法が共にト短調に関連付けられていますが、これは下図のような「移調」によって説明できます。

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(Almonte C. Howell, Jr., French Baroque Organ Music and the Eight Church Tones, 1958)

ちなみに、表の "D la re sol" だの "G re sol ut, par ♭" などというのは主音の音名とヘクサコルドによる階名を示したもので、この頃の一般的な「調」の表記法です。

すなわち「D」はFをドとするソフト・ヘクサコルドの階名では「ラ」であり、Cをドとするナチュラル・ヘクサコルドでは「レ」、Gをドとするハード・ヘクサコルドでは「ソ」であるということです。

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ニヴェールはこれらの教会旋法の説明に加え、運指法や装飾音、そして何よりレジストレーションに関する詳細な指示を書いてくれています。

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それでは例として最初の「第1旋法(ニ短調)の組曲」を見ていきましょう。

これは10曲からなり、それぞれ多彩なレジストレーションが用いられます。フランスのオルガン音楽の特色は、クラヴサン音楽と同じく、なによりも楽器の魅力を最大限に引き出すことを追求していることです。

Prélude

「組曲」は短いプレリュードから始まります。というより、この曲集の作品はどれも短く、概ね1ページに収まります。

彼の、そしてフランスのオルガンのためのプレリュードは、クラヴサンのためのプレリュードとは大きく異なるポリフォニックな音楽で、「プラン・ジュ」すなわちプリンシパル系ストップのフルコーラスによる、荘厳な不協和音とその解決の繰り返しによって進行します。ルイ・クープランの場合もそうでしたが、これにイタリアの "Durezze et Ligature" 形式の影響を見ることもできるでしょう。

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Fugue

プレリュードの後には活発なフーガが続きます。フランスではフーガは一般にリード系のストップで演奏されるもので、プラン・ジュによるプレリュードとは音色的にも対照をなします。

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Diminution de la Basse

第3曲はルイ・クープランでもおなじみのバスのディミニューションです。これもルイ・クープランのものと同じく大きな跳躍が目立ちます。

右手の "Jeu doux" とは Bourdon や Montre などによる静かな伴奏用のレジストレーションで、左手は "Tierce" が指定されています。もちろんこれはストップ単体というわけではなく、二ヴェールの指示によれば "Jeu de Tierce" は Prestant, Bourdon, Tierce, Quinte に加えて Doublette や 8' や 16' をお好みで、というものです。

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Récit de Voix humaine

第4曲は「ヴォア・ユメーヌのレシ」。「人間の声」を意味する Voix humaine は、主オルガンに装備されている共鳴管の短い特殊なリード管で、癖の強い音色を有し、ソロで効果を発揮します。しかしあまり人間の声には聴こえませんね。

Récit は独唱のことですが、レチタティーボよりはむしろアリアというべきものです。静かな伴奏の上でソロが叙情的な旋律を歌い上げるという、この歌曲風のスタイルはオルガン音楽として前例のないものであり、果たしてこれを二ヴェールが発明したのかはわかりませんが、現存する最初期のものには違いありません。

このレシは以後のフランスのオルガン音楽の花形ジャンルとなります。

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Duo

第5曲「デュオ」。デュオは2つの異なる鍵盤のストップを使って、速いテンポで演奏されます。ニヴェールは主オルガンとポジティフの "Tierce" や、Cornet と Trompette の組み合わせを指示しています。

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Récit de Cromhorne

第6曲「クロモルネのレシ」。Cromhorne は必ずポジティフにあるストップなので、「ヴォア・ユメーヌのレシ」とはソロと伴奏の位置が入れ替わります。

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Fugue Grave

第7曲は重厚なフーガ。ニヴェールは "Jeu de Tierce" にトレムラントをかけたものか、Trompette を指定しています。

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Echo

第8曲「エコー」。エコーは音量が小さいディヴィジョンで、他のディヴィジョンの後に続けて弾くことでエコーの効果をもたらします。それがない場合はポジティフの flûte などの静かなストップで代用されます。

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(ノルベール・デュフルク『パイプオルガン』文庫クセジュ、1975年)

À deux choeurs

第9曲は2つのディヴィジョンによるダイアローグです。ニヴェールはこれに関してレジストレーションの説明を忘れているようですが、ルベーグ (1676) は、主オルガンに Bourdon, Prestant, Trompette, Cornet ポジティフに Bourdon, Montre, Cromhorne を指定しています 。

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Plein Jeu

そして最後の10曲目はプレリュードと同じくプラン・ジュによる荘厳な響きで幕を閉じます。

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以上のようにニヴェールの組曲は、1曲に1分ほどしかかからず、おまけにペダルも必要としないという控えめな内容ですが、以後のフランス古典オルガン音楽を特徴づける要素がほぼ完全な形で見られます(ペダルを使う "Tierce en Taille" などはありませんが)。

フランスではこういったオルガン組曲がルベーグ(1676)、ボワヴァン(1690)からデュマージュ(1708)、クレランボー(1710)に至るまで、基本的に同様のスタイルで作られ続けます。

しかしこの様な組曲が典礼の場でどの様に演奏されたのか、ということについては、実際よくわかっていません。聖歌隊と交互に演奏するものなのでしょうが、ミサ用の曲は1667年のニヴェールの2冊めのオルガン曲集にありますので、こちらはおそらく詩篇やマニフィカトに用いるのではないかと考えられています。

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(Deuxième livre d’orgue contenant la messe et les hymnes de l’Église, 1667)

このような「オルガン・ミサ」とは違って、ニヴェールのオルガン組曲は聖歌の旋律を使うなどの宗教的要素は無く、「レシ」などは明らかにリュリの歌劇などに影響された世俗的という他ない音楽であり、神を称えるよりも聴衆を喜ばせることを志向しているという誹りは免れないでしょう。しかしながらその荘厳な楽想は、けして祈りと無縁のものとはいえず、現代的な感覚からすればこれほどゴシックの大聖堂に相応しい音楽も無いように思われます。

とはいえ、実際のところニヴェールの重要性は音楽史家の等しく認めるところではあっても、現代の聴衆や演奏家に親しまれているとはとても言えません。確かに凄い傑作というようなものではありませんが、短い中にもフランス古典オルガン音楽のエッセンスが集約されているこれらの小品は、もっと知られて良いものと思います。幸いこの曲集は手鍵盤だけで弾けてしまうので、フランス・バロック音楽をピアノで弾くならクラヴサン曲よりはむしろこちらをお薦めしたいですね。

ニヴェールは実際傑出した芸術家とはいえないが、彼に与えられている否定的な評価には相応しくない(ピロ「非常に平凡」、フローチャー「平凡を超えることは殆どない」他)。彼の明らかな娯楽志向にもかかわらず、彼の作品は過度に世俗的な歌や踊りの雰囲気を避けており、また彼の作品は典礼への適合性についての今日の考えとは合致しないとはいえ、尊厳と好ましい姿勢を保っている。適合性の疑問を除けば、その多くは興味深く、音楽的に実に魅力がある。ニヴェールは避ける、ステレオタイプなターンあるいは退屈な繰り返し、フレーズの長さの変更、(同時代のリュリがやったような)頻繁な3/4拍子の導入などを。彼は活き活きとしたメロディを書き、十分な対位法的要素への考慮を行い、そして適当な長さを守っている。これらの特徴はニヴェールのオルガン作品を特別なものとしており、それらが今日もはや用いられていないことが惜しまれる。

Willi Apel, Geschichte der Orgel und Klaviermusik bis 1700, 1967.


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