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鍵盤楽器音楽の歴史(65)ベントサイド・スピネット

《The SECOND PART of Musick's Hand-maid》(1689) の対象楽器は、今までのヴァージナルとハープシコードに加えて新たに「スピネット」が挙げられています。

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これはいわゆる「ベントサイド・スピネット」のことです。スパイン(ケース左側面)が鍵盤に対して斜めで、弦も斜めに張られる省スペース楽器で、この頃イングランドではヴァージナルに替わる家庭用鍵盤楽器として普及していました。

弦が鍵盤と平行に張られるヴァージナルでは、高音の弦が奥にあり、高域ほどキーレバーが長くタッチが重くなりますが、ベントサイド・スピネットではキーレバーがほぼ同じ長さであるため、ハープシコードと同じく均一なタッチが得られます。

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Bentside spinet: John Crang, 1758, Victoria and Albert Museum.

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Rectangular virginals: Thomas White, 1642, Victoria and Albert Museum.

イングランドでベントサイド・スピネットが普及しだしたのは1660年代のことで、あるいは1666年のロンドン大火が一つのきっかけであったかもしれません。ロンドン市内の家屋のおよそ85%が焼失したという、この火災によって多くのヴァージナルが失われ、世代交代を押し進めることになったでしょう。もっともサミュエル・ピープスが記すところによると、ロンドン大火の時に家具を積んで避難する小舟の3艘に1艘がヴァージナルも載せていたといいますが。

1680年代にはもはやヴァージナルは時代遅れの楽器になっていました。以後18世紀半ばまでイングランドではベントサイド・スピネットが家庭用鍵盤楽器の主流となります。

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"Garton Orme at the Spinet," Jonathan Richardson the Elder, c.1705–8.

ベントサイド・スピネットの発明者はイタリアのジローラモ・ゼンティ (c.1609–c.1666) であると考えられており、彼による1637年製の楽器が現存する最古のベントサイド・スピネットです。イタリアらしくアウターケースに楽器本体が格納されるインナーアウター式、音域はC/E-c3の4オクターヴで、後の楽器に比べるとかなり小ぶりです。

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Ripin, Edwin M. “The Surviving Oeuvre of Girolamo Zenti.” Metropolitan Museum Journal, vol. 7, 1973, pp. 71–87.

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Girolama_de_Zenti,_Rome,_1637_-_spinet_-_IMG_3881.JPG

カストラートのジョヴァンニ・アンドレア・ボンテンピ (1624-1705) の著書《Historia Musica》(1695) にある「ジローラモ・ゼンティの発明した最新式のチェンバロは不均等な三角形の形状をしている」という記述はベントサイド・スピネットについて語っているものと思われますが、続けて「2段鍵盤と3つのレジスターを備えている」とあるので困ります。ベントサイド・スピネットは一般に1段鍵盤で弦も1組しかありません。

ただ、そういう例がないわけでもないです。

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Double-manual spinet, c.1680, Musical Instrument Museums Edinburgh.

この作者不明の2段鍵盤のベントサイド・スピネットは、下鍵盤が8フィート、上鍵盤が4フィートの弦に対応しており、元はドッグレッグ・ジャックで同時に鳴らされていたようです。

またピアノの発明者であるバルトロメオ・クリストフォリの作品には「スピネットーネ Spinettone」と称する大型スピネットがあり、これも 1×8′ , 1×4′ のレジスターを備えています。

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https://en.wikipedia.org/wiki/File:CristoforiSpinettoneLeipzigIII.jpg

イタリアで生まれたベントサイド・スピネットがどのようにイングランドにもたらされたのか、ということについては、まずゼンティ本人が1663年にロンドンを訪れているので、その際に自作楽器を売り込んだ可能性が考えられます。しかしながらこの線は少々望み薄でしょう。

イングランドにおけるベントサイド・スピネット製作の初期、17世紀後半から18世紀初頭にかけてのステュアート朝末期の代表的なスピネット製作者はスティーブン・キーン Stephen Keene (c.1640–1719) です。彼が製作したスピネットは30台ほどが現存しています。

彼の初期の作例は、逆S字型のベントサイド、白黒逆転したG/Bショートオクターヴの鍵盤と、フランスの影響が明白です。実際フランスのミシェル・リシャールの1690年製の楽器とそっくりといっていいでしょう。

ゼンティはフランスにも訪れており、最後はパリで亡くなっています。したがってゼンティのデザインがフランスでアレンジされ、イングランドに輸入されたという筋書きが書けます。なにしろフランスかぶれのチャールズ2世の時代のことです。

ウォルナットの木目を生かしたシンプルな外観は、後のカークマンやシュディのハープシコードにも見られるイングランドの楽器の特徴となりますが、ある意味19世紀のスタイルを先取りしているともいえます。

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Stephen Keene, c.1685, Royal College of Music.

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Michel II Richard, 1690, Philharmonie de Paris.
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ただしこのタイプはキーンの製品では初期だけに見られる例外的なもので、彼のスピネットの多くはゼンティと同じくテールが角張った形です。

また白黒逆転の鍵盤は変わりませんが、最低音域のシャープキーが前後に分割されたブロークンオクターヴになります。これで低いC♯などが出せるようになりました。ここまでするなら普通に鍵盤を広げればいいんじゃないかと思いますが、一度確立した規格はなかなか変え難いようです。未だにIPv4を使っている私達は過去の人をとやかく言えないでしょう。

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Stephen Keene, 1704, Musical Instrument Museums Edinburgh.

スケーリングは c2=260.5mm とイタリアのチェンバロに近いショートスケールで、真鍮弦を用いていたと考えられます。ちなみに高域に鉄弦を用いるルッカースのチェンバロは c2=350mm ぐらいです。

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Mole, Peter Geoffrey, The English Spinet with particular reference to The Schools of Keene and Hitchcock, 2009.

18世紀にはベントサイド・スピネットは、どこよりもイングランドで普及していました。これは当時のイングランドにおける中産階級の台頭とも関連付けられます。ハープシコードは流石に無理でもスピネットなら、というわけで、ベントサイド・スピネットには「プアマンズ・ハープシコード」という不名誉な渾名もありますが、当時のイングランドの鍵盤楽器の主流はハープシコードよりもむしろベントサイド・スピネットでした。

18世紀の初期ジョージアン時代を代表するスピネット製作者はヒッチコック一族です。彼らの楽器は40台ほどが現存していますが、シリアルナンバーは2000に達しており、かつて膨大な数の楽器が製作され、そして失われたことが知れます。

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Mole, 2009.

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Mole, Peter. “The Hitchcock Spinet Makers: A New Analysis.” The Galpin Society Journal, vol. 60, 2007, pp. 45–111.

ヒッチコックのベントサイド・スピネットは「角型」も「丸型」も常に同じぐらい製作されています。なぜ2種類の形状で製作していたのかは良くわかりません。鍵盤も普通の配色のものと、白黒逆転のもの両方あります。音域はほぼすべて GG-g3 の5オクターヴです。

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Thomas Hitchcock, No. 1228, National Museum of American History.


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Thomas Hitchcock, No.1241, Musical Instrument Museums Edinburgh.

キーンのスピネットと低音の音域は自体は同じですが、弦長は長くなっています。ただしこれでもハープシコードには及びません、イタリアの楽器では GG=1900mm にもなります。高域は c2=275mm とやはりショートスケールです。

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Mole, 2009.

以下の動画は Thomas Hitchcock となっていますが明らかに誤りで、ネームボードに "Johannes Hitchcock Londini Fecit No. 2012" と読めます。最後期のヒッチコックのスピネットです、2012年製のレプリカではありません。

ゼンティはもちろんキーンのスピネットに比べても、鍵盤の奥行きがずいぶん大きくなったのがわかると思います。それでもまだ現代のピアノよりは小さいのですが。

1750年を過ぎてもイングランドでは依然としてベントサイド・スピネットが人気を保っていましたが、1774年にヨハネス・ヒッチコックが世を去るころにはヨハネス・ツンペ Johannes Zumpe (1726–90) が考案したスクエア・ピアノが家庭用鍵盤楽器として新たに台頭していました。

以後もまだベントサイド・スピネットを作るメーカーは存在したものの、もはや例外的な製品となっています。スコットランドのアンドリュー・ロックヘッドが1795年に製作したものが、現存する最後のブリテン島で作られたベントサイド・スピネットだと考えられています。

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Longman & Broderip, 1780, Royal College of Music Museum


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Square piano, Johannes Christopher Zumpe, 1767,  Victoria and Albert Museum.


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Johann Zumpe's square piano action of 1766, Encyclopædia Britannica, 11th ed., Vol. 21, p. 567.



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