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中央線 #21 吉祥寺駅

『常』

いつも変わらない、ありふれた様で、あたり前。
そんな意味らしい。

“日常”ってなんだろう?と最近よく考える。

常日頃、ってことでいいんだろうけど、今がそうだとは思えないし、思いたくはない。

僕は“日常”を撮りたいと思っているから、人が少ない状況下で、カメラを持ち歩くことが気持ち的に萎えてきていた。

僕の中の定義での“日常”とはすでに過去なのか?
人がいない状況がすでにあたり前だという錯覚。

僕としては、街に行き、歩き、写真を撮り、そして、そこで何かしらお金を使う。

その街がこれからも残る、ほんの些細な助けになれば、とお店に入りお金を遣う。

そんなことを考えながら酒を注文する。

だけど、最近までの緊急事態宣言下で営業自粛ばかりだとそれもかなわない。

どこのお店も休みだからか、あまり写真も撮らない日が増えたのは、しごく当然な話なのだ。

まぁ、それが、この久しぶりの投稿である、と言い訳にしておこう。

他にも理由はあるが、

それは錠をかけて秘密にしておこう。

閑話休題

10月に解除されてから、行きつけのお店をまわっている。

『なかなか人が戻らないよ』とマスターは言う。

先日、某横丁で飲んでいる時に、何度も同じ顔が店の前を通るのを見た。
首からカメラをぶら下げている彼は、横丁の写真を撮っているのらしい。

『写真なんて撮ってないで、寄ってきなよ』

僕の中の日常に戻りつつある、最近は街歩き腹を満たすことが増えている。

“ただの酒好きの自己満”

この街を撮り続けたいのなら、どこかに入ったらどうだい?

“本音なのか建前なのか”


もちろん口にはしない。

いや、もう少し酒が入っていたら口にしたかもしれない。

“酔うほど弱気となれ僕”

殴りかかってきたらどうするんだ?

そうしたら、僕は矢吹丈にでもなるさ。

“あの時を思い出せ!僕”

呑んだ翌日はいつも同じことを思う。
これこそが僕の『常』かもしれない。


写真は吉祥寺。5月に撮ったものだ。
文章は昨晩、酔った勢いで(笑)


駄文については、情をかけていただきたい。

最後まで見ていただき、ありがとうございます。

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