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デジタルアーカイブ時代の「発見」──『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平/柏書房)

音楽家ベートーヴェンにまつわる、おもしろいガセネタが発見された。

ベートーヴェンを崇め奉る目的ででっちあげられたガセネタは山のようにあるが、これはやや毛色がちがう。ベートーヴェンが馬車に轢かれて足に大ケガを負ったというニュースが、1819年にヨーロッパの新聞紙上であいついで報道されたというのだ。

実際は、事故はあったものの、大ケガを負うようなものではなかった。ベートーヴェンはそれからまもなく催された演奏会で、元気に飛び跳ねながら指揮をしていたという。どうも、かすり傷程度の話に相当な尾ひれがついたらしい。

発見したのはわたしではなく、オランダの研究者だ。その顛末がアメリカ・ベートーヴェン・ジャーナル(The Beethoven Journal, 2011, vol26-1)に2ページにわたって書かれている。わたしが見つけたのはその論考のほうだ。

なかなかシュール感のあるタイトル

ガセネタそのものよりもおもしろいのは、こんな代物を見つけられたのはデジタルアーカイブが発達したおかげである、と、研究者が冒頭で明言している点だ。たしかに当時の有名音楽新聞ならさておき、一般紙のゴシップ記事なぞ、検索でたまたまヒットでもしなければ、音楽学者の目には届かない。

「発見」というと、堆積した地層の何メートル下とか、田舎の廃屋敷の蔵とか、そんな手つかずの場所から掘り起こされるようなイメージがあるが、必ずしもそうではない。朝、コーヒーを飲みながら、PCの前でオープンアクセスのアーカイブをカチャカチャ検索していて、とんでもないものを見つけてしまうことがある。

たまたま見かけたものが「発見」になるかならないかは、専門家の見る目にかかっている。先の事故の記事も、ベートーヴェンに関心のあるひと以外には、目に入ったところで発見にはならない。素通りするだけだ。また、検索ノウハウもスキルの一部である。たとえ万人に開かれたアーカイブであっても、Google検索では簡単に引っかからないことが多い。それなりの手を尽くさなければたどりつけない鉱脈だ。

そう考えると、現地に行く手間が省けるという点をのぞけば、発見者に求められるスキルは依然として高いままなのかもしれない。それでもわたしのような広義の「在野の人」にとって、デジタルアーカイブは夢の鉱脈である。


前置きが長くなった。
というより、先のガセネタ論考を読んで、どなたかが最近似たようなことをおっしゃっていたなぁ……と思い返したら、絶賛話題沸騰中のこの本だった。そうだよ!

どちらかといえば学問的な正確さよりも、単純な面白さを重視している。(中略)こんな性質の持ち主が、明治や大正のマイナーな書物を大量に読むというのは、ありえないことだった。しかし過去とは比較にならないくらいに、今はデジタルアーカイブ が充実しているため、それができてしまう。 ──『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平/柏書房)p.1

「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』、通称 #まいボコ 。明治から大正にかけて庶民の間で一斉を風靡したジャンル「明治娯楽物語」の研究成果にしてブックガイドのような本だ。

「明治娯楽物語」とは著者自身が設定したカテゴリー名で、講談速記本、最初期娯楽小説、犯罪実録の3つを指す。いわゆる近代小説の体は成していない作品が多い(それを稚拙とみなすかは、見方による)。主人公はさまざまで、実在の犯罪者だったり、忍者だったり、妖術使いだったり、子どもだったり、森鴎外『舞姫』の主人公・豊太郎の二次パロディ的な人物だったりする。

どこにでもあるんだなぁ、こういうジャンル。庶民の間ですごく流行ったのに、「名作史」にうもれて忘れ去られてしまった作品群。西洋音楽の世界にもある。荒唐無稽なオペレッタやジングシュピールのたぐいはいうまでもなく、ピアノの時事ネタ作品なんて割と近いかもしれない。どこかで大火事が起きると、火事の様子をジャーナリスティックに(?)描写したピアノ曲がすぐさまリリースされてみんなそれを喜んで弾く、みたいな時代があったんである(ターゲットは完全な庶民というより、ブルジョア寄りではあったが)。

とすると、著者がデジタルアーカイブを情報源としていたのも、さもありなん。こういう、時代のその瞬間のために書かれた消費型の作品は、長く読み継がれる名作とちがって、再録されたりすることがまずない。現物(たいがいは初版本)が頼りだ。コーヒーを飲みながら……なんて書いたけど、デジタルアーカイブだって、掘って、集めて、分類して……ってのはそれなりに大変。検索精度もまだイマイチだったりするし。筋肉痛や日焼けはしなくても、肩は凝るし目も乾く。

しかし著者は、そうした苦労を少しもうかがわせずに、「発見」した本たちの概要、略歴、ツッコミどころを生き生きと楽しそうに披露する。本書には「現代の水準では駄作」(p.59)「バランスの悪い作品」(p.210)「あまり面白い作品ではない」(p.250)という率直な辛口評(?)が散見される。読んでいる側は「ええッ(こんなに面白そうなのに!?)」とビックリしてしまう。著者がこんなコメントを添えなければならないのは、その紹介っぷりがあまりに痛快で、愛にみちている証だ。

こんな素敵な採掘場であるデジタルアーカイブ。その未来に期待しつつも、いつまでこんな風に楽しく遊び続けられるのかはわからない、とも思っている。わたしが怖いなと思っているのは、こういうアーカイブが機関向けに有料化されて(まあそれ自体は仕方ないかもしれないんだけど)、かつ経済状況が逼迫している日本の教育機関や図書館がアクセス権を断念してしまい、国内での情報流通が遮断されてしまうことだ。

とはいえ今は、こんな時代にこそ生まれた成果物である本書をたっぷり味わいたい。忘れ去られてしまった一時代と、それを掘り起こせるようになった一時代。その双方の奇跡的なアクセスが、あらたな「発見」を生みだしている。

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