日本と違う!アメリカの生徒の学習プロセス
アメリカの高校で働き始めてすぐに気づいたこと。それは、アメリカの生徒は日本の生徒と学びのプロセスが何か違うと言うこと。
アメリカの生徒は
- 自分が納得しないと、「分かった」と言わない。
- 自分でスキル(読み書きなど)使えると感じなければ、「できる」と言わない。
- 聞いて理解するより、自分がスキルを使うことで理解しようとしている。
- よくできる生徒は授業中に発言をして疑問をその場で解決している。
- 考えながら取り組んでいる時間が長い。
などなど、日本の教室ではあまりない様子を目の当たりにしました。また、できる子は書きながら練習をする時間が多かったり、できない子はすぐに諦めたりと、日本と同じ様な特徴も見られました。
学習プロセスが日本の生徒と違うと感じた理由の一つは、生徒の多様性にあります。生徒の人種も年齢も性別も多様であるクラスにおいて、ひとりひとりの学び方もまた多様です。
多様であるがゆえ、生徒ひとりひとりのプロセスを私(教師)が把握することが難しくなった事実については以下↓にまとめた通りです。これも、「この子達(アメリカ人生徒)の学びのプロセスは何かが違うっ!」と感じた理由の一つです。
そして、基本的にはやはりアメリカの教育はPractical(実用的)である点も外せません。実用的なアメリカの教育については以下にまとめています。
実用的である学びに価値を見出しているアメリカの生徒。日本の多くの子どもたちが「どうせ使えないけどやるしかない」というマインドセットなのに比べて、アメリカの生徒は「話せてなんぼ」「使えてなんぼ」と思っています。だからこそ自分が納得したり、使えた感覚がないと習得したと思わない。よって学習プロセスも日本の子供たちのそれとは当然違うのです。
レッスンの多様化に加えて、公教育に期待しているもの自体が日本とアメリカでは異なります。また、詳しく分析して見たいと思っていますが、日本は「よき市民教育」に注力している節がありますし、アメリカは「生産性のある市民の育成」を目指しているのではないかな、とぼんやり考えています。
最初は「アメリカの生徒は学習プロセスが違う」と、なんとなく、しかし確信を持って感じただけでしたが、分析してみると、生徒は望むと望まざるとに関わらず、教育制度の影響を大きく受けていると言うことがよく分かりました。子どもたちの教育に影響を与えているものは何か、どのように学んでいるか、それは何のためか、このグローバル社会や21世紀にどのような意味を持つかなどもう少し、いろんな側面から、考えて行きたいです。
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