明日好きなものがなくなったらどう生きていくか、多分たくましく生きていく
オートミールがない世界線に飛ばされたらどうする?
突きつけられた瞬間は、なんとむごいお題を…とまーさんを恨んだ。次に出てきたのは…それでも生きていけるわっていう、それでいいのか?!と思わず言いたくなってしまうくらいあっさりな切り替えの気持ち。
そこにオートミールへの愛はあるのか?!
私にとってのオートミールはももクロのしおりん
オートミールマニアな私。何回か発信していて、少しずつ覚えてくださってる方もいるんじゃないかと期待も半分な今日この頃。
私がオートミールにハマった経緯は昨日のnoteで書いた通り。なくてはならない相棒で、5kgで買っているオートミールは枕にしてもいいかもしれない。食べ物だからしないけど。
そんな日常に欠かせないオートミールがなくなったらどうなるか?多分最初はすごい喪失感だと思う。
なんて世界に来てしまったんだ!愛しのあの子はどこだ!
今まで毎朝のレシピに欠かせない存在だったから、朝ごはんを作る気がなくなるかもしれない。大好きなレシピが作れなくなってしょぼーんってしているかもしれない。
でもたぶん1ヶ月もすれば立ち直る。無いことを受け入れる。なくても平気だわ。って多分言っている。
理由はいくつかある、そもそもこの世界にはオートミール以外にも美味しい食べ物がいっぱいある。そして私は1年前までオートミールとは縁遠く生きてこれていた実績もある。
でも何よりもあるのは、オートミールはスーパーサブである、ということだ。(書きながら降りてきたけどこれはなかなかいい切り口だ)
スーパーサブ、それは大事な場面で必要とされるし、どんな厳しいシチュエーションでも生きる。どんな無茶振りにも答える。
でも主役では無い。常に主役を1番輝く形にできるサポート的な立ち位置。
このスーパーサブという表現は私の大好きなももいろクローバーというアイドルのテレビ番組、ももクロchanで知った表現。スポーツの意味とはちょっと違うかもしれない。
ももクロにおけるスーパーサブとは玉井詩織(黄色)のこと。圧倒的なスター性を持つ赤(百田夏菜子)やアイドル性のピンク(佐々木彩夏)、天性の破天荒の紫(高木れに)の個性を最大限生かしている。
他の3色はぶっ飛びすぎてて1人で成り立たないこともある。けれどしおりんがソツなく、でも完璧なパスを渡すことで3人の個性が生きためちゃめちゃ面白い展開になる。
そんななくてはならない、でも、影の主役になるスーパーサブ。オートミールもそれだと思う。
だからこそ意外といなくても生きていけると思う。他に主役がたくさんいるから寂しく無いと思う。
でも多分どこかで物足りなさを感じる直感もある。
いつもハイカロリーでは疲れてしまう。ヘルシーなものが食べたくなった時に、ヘルシーだけど美味しいそして満足感もある、を1番実現してくれるのは間違いなくオートミールだ。
スーパーサブは代打、とはいえスーパーすぎて登板を止められない
オートミールはスーパーサブ。なくても生きていけると頭のどこかではわかっている。それでも9ヶ月続くのは私がオタクで凝り性でマニアだから。
同じことを続けることが好きな人間だな、と思う。同じことを続けるのは楽だし、失敗がない。飽きるまで続けられるけれど、オートミールに関しては飽きがない。なぜなら不満がないから。
正直に言ってしまえば、毎日同じでも多分良いのだ。毎日大好きなチョコケーキだけで十分。でもそうしないのは、ただ”Instagramに載せる写真が毎日同じであってほしくない”というそれだけ。
書いてて笑ってしまう。あれだけ”似たような”写真を連続投稿することに抵抗はないくせに、”まったく同じ”は嫌らしい。どんなこだわりなのかと思ってしまうけど、とりあえずそこだけは嫌なので、味や色は少しずつ変えている。
そんなマニアである意味ずぼらで、そんな自分はたぶん”自らオートミール生活をやめる”という選択肢を取ることが難しい。だからこそ続いている。
なにか大きな変化がない限り止まらないんだと思う。例えば、誰かが毎朝私の好きな朝ごはんを作ってくれるようになる、冷蔵庫が壊れて乳製品が買えなくなる、プロテインにアレルギーを感じて食べれなくなる、オートミールのない世界線に飛ばされる。
そのくらいの大きな変化がないと止まらなくって、だって楽だから。
でももしそんな世界線に飛ばされたら?
多分あっさりと”ない世界”に順応していく。そして多分その世界線ではまた別の何か”同じもの”を毎朝食べるようになると思うのだ。
それはさつまいもかもしれないし、スムージーかもしれないし、ヨーグルトボウルかもしれない。
変わらないことは、①毎日続けていても問題がない健康的な食事であること②手間がかからないらくちんであること③おいしいこと
でも、でも、でも、
やっぱりオートミールが一番なのだ。オートミールがなくなったとしたら、私の料理の楽しさは今見たく感じられなくなってしまう!
私にとってのオートミールはスーパーサブ、それ以外のもので代役はできるかもしれないけど、スーパーが付くはオートミールだけ。
オートミールがあるから、料理初心者で、ずぼらで、めんどくさがりで、そんな私でも楽しくご飯が食べれているのだ。
というわけで結論。
もしオートミールがない世界戦に明日から飛ばされたら、かえでは明日からも同じような毎日を過ごす。だけどその世界線で生きている私は料理の楽しさを知らず、大切な趣味を一つ失った不完全な”かえで”になる。
もはや自分の一部であるオートミールをなくすことは自分自身を見失うこと
オートミールがなくても意外と生きている、そうこのnoteでは書いている。とはいえ、もう私にとってオートミールはないことは想像できないくらい大きいものなのだ。
日本人にとっての白米と同じくらいの立ち位置が私にとってのオートミール。
そんな私だからこそオートミールを人々の日常にじわじわと侵食させていきたい。。。そして願わくば多くの人が食べてくれることでオートミールの単価が下がっていきますように…
自分自身を見失わないために、そして自分のお財布を守るために、私は今日もオートミールの良さをじんわりじんわり微力ながら発信し続ける。
オートミールはいいぞぉ。