生まれ育った場所は特別だった。今になって思うこと。感じたこと。
フォローしている
「たまこさん」の記事を読んで、
下書きにしたままの記事が
あった事を思い出した。
今日は思い出を辿ってみる。
◇ ◇ ◇
思い出を辿る旅。
2018年10月8日
生まれ育った西川口に母と二人で降り立った。
小学校5年生の時に引っ越しをして、
西川口を離れた。
何で行ってみたくなったかというと、
私が決めた引っ越しではなかったので、
当時は気持ちの整理がつかなくて、
寂しい思いをしたから、
きちんとお別れをしたかった。
区切りをつけたかったという気持ちがあった。
改めて考えてみると、
生まれ育った場所で暮らすということは、
特別なことなんだと感じた。
自分が無防備でいられる場所。
安心感がある場所。
素でいられる場所。
成長してきた場所。
写真をみると、
ノビノビした笑顔が写っている。
何者でもなくても、
そのままの私が受け入れられている。
小さい頃からの友達も、
条件なんか関係なく、
一緒にいて楽しいってだけで
繋がっていた。
無防備でいても守られている感覚。
そんな場所から、急に離れることは、
やっぱり不安だったし、
新しい場所でどんな自分になればいいのか
よくわからなかった。
今までは、どんな自分かなんて意識せずに、
その地域に受け入れてもらっていた。
〇〇さんちのかえでちゃん。
と生まれた時から、認識されていた。
守られた場所から、
急に引き離された感覚で落ち着かなかった。
友達もいたし、好きな人もいたし、
西川口で生まれ育ったので、
私の全てがそこにあった。
友達に囲まれてふざけあっていた、
自然体な私がいた。
あの頃の無邪気さ。
友達が住んでいるマンションに遊びに行き、
自転車置き場に置いてある
三輪車を勝手に拝借して、
友達4、5人でマンションの敷地内を
三輪車で競争したり、
そうするとどこかの部屋から
「うるせー」と怒鳴り声が聞こえてきて
「うるせーじじいだ」と、
みんなでアダ名をつけたりしていた(笑)
騒ぎすぎて、
上から水をかけられたりもしていた。
でも、へっちゃらだった。
◇ ◇ ◇
駅に到着し、自分が覚えてる景色を探す。
駅前から続く商店街。
昔はおもちゃ屋さんがあって、
シルバニアファミリーを、
1つずつ集めるのが楽しみだった。
駅からヨーカ堂の方へ歩いていく。
ここも変わっていない。
ちょこちょこお店は変わっていても、
街の輪郭は懐かしいままだ。
よく遊んでいた公園が、
記憶よりもずっと小さかった。
うんてい(渡り棒?)が大好きで、
一つ抜かしでやってみたり、
手に豆が出来て、
皮がむけてもやっていた気がする(笑)
よく買いに行っていた、
手焼きのお煎餅やさんも
営業を続けていた。
ここは、私が覚えていた場所と
左右逆だった。
そして、住んでいた家に到着。
建物は新しくなって、
モダンで素敵なお家が立っていた。
ものすごい感動や、
こみ上げる思いはなかったけど、
やっと、ちゃんと
お別れが言えて嬉しかった。
◇ ◇ ◇
もう一つ目的があって、
小学校にも行ってみたかったのだ。
家から20分ぐらい歩いて
仲町小学校へ。
その隣にある、
横曽根図書館もよく通った場所だ。
昔は、本は買う物じゃなく、
借りるものだと思っていた。
いつも上限の5冊まで選ぶのが楽しみで、
家に帰って夢中で読んでいた。
自転車でよく通った場所。
シーンと静かな空間が、
ちょっと緊張感があって、
特別な場所に行ったような気持ちになれた。
小学校も図書館も変わらない姿で、
そこにあった。
変化も大切だけど、変わらないことに、
優しさや安心感を覚えた。
思い出巡りを終えると、
心の中がジーンと温かくなった。
皆と一緒に登校した道や、
毎日渡った歩道橋も懐かしかった。
10月だけど、まだ暑い日で、
休憩なしで歩き回ったので、
二人ともヘロヘロになってしまい、
ここで旅は終了。
ちょっとおしゃれになった、
西川口駅でお茶をして、
帰路についた。
ずっと行ってみたかった場所。
昔の自分と繋がって、
置いてきぼりだった部分が、
きちんと私の一部になった。
ありがとうとって言葉が自然とこぼれた。