記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

毒育ちが語る『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

 遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。

 年末年始に以前金曜ロードショーで放映された『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を観ました。ビビりなので全年齢版です。 話題のホラー映画として観ましたが、家族問題やスクールカースト要素が散りばめられており、観賞後に色々考えさせられました。

※ネタバレ全開かつ観賞済み前提なので未観賞の方はご了承下さい※








◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


子供を死へと誘う死神

 映画を観る前の私は、「ペニーワイズっちゅーピエロが児童を誘拐したりするんやろ?」と思っていました(笑)
 ペニーワイズとは“IT/ それ”である、つまり概念のようなものだと気がついた私は、彼を「子供の希死念慮による行方不明、自殺、事件事故に巻き込まれる事象のメタファー」と認識しました。
 健全で安定した精神状態の大人には、ペニーワイズの手招きは見えませんが、多感な子供が抱く希死念慮は彼を引き寄せてしまいます。その魔の手をつい取ってしまうと、自らの手で命を絶ってしまったり、行方をくらませてしまうのです。 作中の子供たちは、思春期から希死念慮を持ってしまうような境遇に置かれていました。主人公のビルたちは「LOOSERS CLUB」という徒党を組んでいるように、スクールカーストの下位に位置しています。
 吃音を患うビルは、強い精神ショックやトラウマを抱え、母親への畏怖の念が強いようです。その弟のジョージーは、雨の日にペニーワイズに誘われて行方不明になってしまいますが、ビルに母親を独占されてしまう恐怖と嫉妬を抱いていたのかもしれません。
 ビルと友人であるリッチー、ベン、ベバリー、マイク、スタンリーも家庭や学校における諸問題に頭を悩ませています。 喘息持ちのエディは母親が過保護で束縛気質であり、代理性ミュンハウゼン症候群の可能性が示唆されています。 ヘンリーは父親を警官に持ちながら、ベルチュやパトリックと「LOOSERS CLUB」のメンバーに度々暴力を振るいます。

 劇中で子供たちがそれぞれペニーワイズ(厳密に言えばそれが作り出した幻覚)に襲われますが、寸でのところで我に返ってペニーワイズを振り払います。 しかし万一心が弱っているときに遭遇すると、ジョージーのように飲み込まれたり、 ヘンリーのように捕らわれてしまうのでしょう。いじめっ子であったヘンリーもまた毒親や家庭の問題によって心に傷を負っていたのかもしれません。


子供の希死念慮

 子供の自殺が昨今の社会問題となっていますが、希死念慮は自殺のみを引き起こすとは限りません。
 社会的、経済的に未熟な子供たちは、基本的に保護者の庇護の元生活を送ります。その保護者は愛情の伴ったサポートを手掛け、時には叱咤激励し、時には優しく抱きしめながら子供が自立できるよう成長を見守らなければなりません。 ところがその保護者の情緒や精神が不安定すなわち毒親だと、たちまち子供は混乱してしまい、その心を深く傷つけられたりします。以下はその例の一部です。

・性的虐待(ベバリーの父親)、暴力、ネグレクト
・精神疾患、アルコール・ドラッグ依存症、ギャンブル依存症、買い物依存症
・子供の人格否定や侮辱発言、暴言
・過干渉(エディの母親)、過度な期待
・子に無関心、世話をほかの家族や親せきに押し付ける
・貧困、多忙、管理能力不足によって親の時間や精神に余裕がない
・新たな恋人や不倫相手に熱を上げる
・子供よりも仕事や趣味を優先する
・両親や家族仲が良好でない
・親や環境が引き起こす強いトラウマ(ビルやマイク自身)

 いずれのケースでも、「自分なんていらない、必要とされていない」「自分なんて生まれてこなければよかった」といった希死念慮に近い思考が芽生えてしまいます。このような不安定な家庭の子は、いじめや陰口の標的にされやすい傾向にあり、その事実がますます彼らを追い詰めていきます。
 そんな生きづらさや息苦しさを感じていても、彼らは子供ゆえに親や家から離別することも自立することもできません。早く大人になりたいと願えど、時間が経つのが恐ろしく長く感じる……いっそ死んでしまった方が楽かもしれない──そんな悲痛な叫びを秘めている子供たちに、ペニーワイズは手を差し伸べます。

なぜビルたちはペニーワイズを克服できたのか

 手垢の付きすぎた身も蓋もない言い方をすれば、「信頼できる存在があったから」に尽きます。たとえ親が不安定であっても親戚、成人している兄や姉、学校の先生、習い事の先生といった大人を一人でも信頼できればいいと思うんです。大人でなくても学校の友達、歳の近い兄弟姉妹、近所の人、図書館の司書さんだって構いません。その人がいなくなったら悲しいと思う、反対に自分がいなくなったら同じように悲しんでくれる存在が、その街にたった一人でもいればいいのです。
 ビルたちにとってはクラブの仲間がそのような存在であり、彼らの存在を糧にすることでペニーワイズの魔の手を振り払えたのでしょう。

 家族だから仲良くしないと、家族だからうまくやらないとなんて子供は一切考える必要はありませんし、子供にそうさせている時点で保護者に責任があります。子供だから親に従わないといけないのが常ですが、それは健全な親に限った話です。情緒や精神が不安定な親の元では、子供と言えど家族という概念に縛られる必要はないと私は思います。
 その縛りから解放されないと、子供は心身ともに絞め殺されてしまいます。ペニーワイズの手によって。

【余談】
 原作は未読なのですが、本作についてネット検索しているときに少し気になる記事がありました。原作では、ペニーワイズを振り切った後に子供たちは"あること"を強いられるそうです。それは、子供から大人になる儀式に近いものですが、一般的には愛するパートナーに恵まれた上での行為です。しかし子供たちはそれを強いられ、何とも名状しがたい気持ちに苛まれます。これは、アダルトチルドレンのメタファーで「子供でありたい時期に大人にならざるを得ない」という表現であると考えました


総括

 ホラー映画としても一映画としても秀逸な作品でした。全年齢版でも恐怖心を駆られる場面は多々あるので、ビビりの人は明るいうちに見ましょう(笑)

 ペニーワイズは世界中に存在して、今日も彼の魔の手を取ってしまう子供がいるかもしれません。この世に生を受けたすべての子供たちが笑顔で健全に成長できる社会になればいいなと思う反面、初代映画から三〇年近く経つ今でも毒親の存在とペニーワイズは絶滅していないという現実に胸が痛みます。同時に三〇年以上前からそのような存在に目を向けて表現していたスティーブン・キングには舌を巻くしかありません。
 どの時代も家族問題、親子問題は存在していたのだと思いますが、昔は子というものは親に従い、その子がまた親にされた通りにするのが当たり前でした。その円環に乗ったまま過ごす、つまり家族問題も毒問題も認識せずに生きていくのと、それに立ち向かうのとではどちらが幸せなのでしょうか。

 目を瞑ったまま何も知らずに生きるか。それとも目を見開いて己の為に戦うのか。本人が決めたことならば、どちらも否定しませんし肯定もしません。ただ目を瞑ったままでは、人と手を繋ぐことはできないと私自身は思っています。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 たまたま『ミスト』も見たのですが、完全に自業自得でした。なんとも胸が悪くなりました。

 今度は『ミザリー』も見ようと思います。
【追記】ミザリー観ました↓


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?