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【インタビュー】小説でしか表現できない方法で描く 「私の場所」を見つけた人たちの物語 篠田節子『ロブスター』

1990年のデビューから現在まで第一線で活躍し、日常ものから海外舞台の冒険小説、ホラーやSFから恋愛小説まで、多彩な作品を紡いでいる篠田節子さん。
新作小説『ロブスター』は、生と死の尊厳に迫る優しく美しい一冊だ。
物語は、フリージャーナリストの女性・寿美佳が、灼熱の砂漠でトラックに乗っているシーンから始まる。仕事の展望がひらけずくすぶっていた彼女は、オーストラリアの鉱山での強制労働の噂を聞きつけ、記事を書いて一山当てようと潜入取材に乗り込んだのだ。
だがそこで出会った3人の男たちの状況は、寿美佳の想像とは大きく異なるものだった。
静かな感動を呼ぶ本作の執筆背景をうかがった。

取材・文=門賀美央子 写真=冨永智子


『ロブスター』篠田節子インタビュー

――本作はディストピア化した近未来を背景に、恵まれぬ境遇から脱しようともがく女性・寿美佳が、予想だにしていなかった人生の変転に直面する物語です。現実的な側面もありながら、サイバーパンク風の幻想的風景も随所に見られましたが、 この作品が生まれるきっかけのようなものはあったのでしょうか?

篠田:夜の砂漠で釣りをするシーンですね。あれを一度書いてみたかったんです。常々、砂漠だったら何が釣れるんだろう、なんてことを考えたりしていたものですから。それともう一つ、十年ではきかないほど前から“巨大な機械の中で一生を過ごす”というイメージがずっと頭の中にありました。イタリアのアレッサンドロ・バリッコの小説で、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が映画化した『海の上のピアニスト』という作品がありますよね。あれは、一生を豪華客船の中でピアノ弾きとして過ごした人の話ですが、そのような普通の社会からは隔絶された場所で、なおかつ豪華客船のようなものではなく、もっと巨大な機械の中から出ないまま暮らしていくという状況になんとなく惹かれるものがあったんです。どんな感じなのだろうって。

――なにやら不思議なシチュエーションですが、巨大機械のイメージの源は?

篠田:たぶん、ずいぶん前にディスカバリーチャンネルで見た巨大な建設機械の特集かなにかだと思います。構想から十年二十年近く経った一昨年あたりに、ようやく手を付ける気になりまして。それでどんどん書いているうちに今回の物語に結実しました。

――本作はSF的な物語ではあるものの、寿美佳の境遇や社会の様相は身近に感じられ、グイグイ引っ張られて一気に読んでしまいました。今の世相の批判にも感じられる部分もあったのですが。

篠田:現代の問題について批判する意図はありません。もうデビューして35年近く経ちますが未だに、人間っていうのはなんだろう、人間にとっての文明とはなんだろうなどといった思考に引きずられるようにして書いています。ただ、普段目にするところの延長線上にある近未来ですので、そう感じられたのかもしれません。私がデビューしたのは1990年ですけれども、その頃からすでに気候変動や環境問題は大きな話題になっていました。また、人権についても、世界的に民主化が進んでいるようで、一方では全くされていない国もあり、そちら側に次第に侵食されているような恐怖感があります。だから、今回書いたようなことが起きてくる可能性は多分にあると思います。私の作品は、幻想小説的なものも含め、今ある現実からそのまま書いていくと虚構の世界に自然に飛び立っていく感じなんです。

――もうひとつ興味深く感じたのが、登場人物たちの扱いでした。メインとなる人たちには名前がありますが、その他の人物は役割や外見的特徴で呼ばれるのが中心です。これはなにか意図があってのことでしょうか。

篠田:はい。名前のいらない世界、役割の中で生きている人々を一度書いてみたかったのです。外国の小説には、時々こうした手法を使う作品があります。たとえば、ジェフ・ヴァンダミアが2014年に発表した小説『全滅領域』は、登場人物全員に名前がありません。生物学者や心理学者と表記されるばかりで、固有名詞が一つもないんです。私にとっては非常に面白い作品でした。なので、いつか全員名前をつけない小説を書いてみようと思っていました。今回は全員というわけにはいきませんでしたが。そのうえで、今の日本の小説では主人公の“キャラ”が重要視されるような流れもありますけれど、今回はその“キャラ”を全否定するような感じでやってみました。

――わかりやすく強いキャラクターを作り込んで、その人格に共感させていくドラマツルギーは取らない、と。

篠田:どちらかというとアンチを突き付けていく感じですね。小説として、それはどうなんだろうっていう気持ちがずっとあるので。テーマがあって、物語があって、それに付随して“キャラ”ではなく血が通った、きちんと動いてくれる登場人物がほしいので。

――たしかに、それぞれの人物造形はとても自然で、物語の外側にあるそれぞれの人生が感じられました。同時に、人間にとっての幸せとは、ということについても深く考えさせられました。

篠田:私自身は「幸せとはなにか」なんてあんまり考えたこともないんですけど。ただ、今夜食べるものが手に入らないとか、お金がないために必要な薬が買えないとか、暑さ寒さをしのげないといった事態は確かにありますし、最近はそうした状況を目の当たりにすることも多くなってきました。生存自体が脅かされる不幸はお金で解決できることがほとんどです。ですから、お金で幸福は買えないなんてことは言えないだろうと常々思っています。人は生きていく上で誰もがいろんな意味で強い制約を受けています。生活だけでなく、価値観自体も制約を受けている。そうした前提で考えると、とりあえず「ここが私の場所」と思える場所を見つけられれば幸せと言えるのかもしれません。

――寿美佳が見た砂漠の鉱山は、一般的な基準で見る限りあきらかに過酷で、非人道的な環境です。だからこそ、最初の告発には説得力があったわけですが、実際に現場に立った寿美佳はまったく違う価値観を見出します。この流れには、なにかヒントになるような出来事があったのでしょうか。

篠田:以前、南キプロスやギリシャを旅行した際に、ギリシャ正教の修道院を見て回りました。贅沢な修道院もありますが、私が行ったところの修道士はみんな極端な粗衣粗食で、各々の部屋はベッドが一つ置いてあるだけ。まさに生存ギリギリの生活をしているのです。また、教義の問題で知的な作業は神に近づく障害になるとみなされるのか、お勉強もしない。ただひたすら祈る日々です。同行者は「なにが面白くて生きてるのかね、あの人たちは」と首をひねっていましたが、ギリシャに長らく住んでいらっしゃる案内人が「彼らには彼らなりの幸せというものがあるんですよ」と軽く言われまして、それを聞いた私は、何か計り知れない文化がここにはあるのだなと感じました。私たちにはちょっと想像もつかないような形で積み重なり、屈折した世界があって、まったく異なる死生感を一部に残している。本作の登場人物のひとりであるクセナキス博士はアメリカ人ですが、ギリシャにルーツを持つ人物として設定したのは、そういう思考を強く残している人として書きたかったからです。くだんの修道士たちのように、ある人から見たら「なにが面白くて生きてるんだか」という生活の中でしか感じられない幸福もあるのでしょう。幸福感とは、厳しい状況に置かれた中からの一瞬の解放感とか、そういうものかもしれません。何もない平和な天国みたいなところにいたら幸せと言えるのかというと、なかなかそういうものでもありませんから。

――社会と隔絶された世界に四人の人間が閉じ込められる、というシチュエーションだと冒険大活劇にできそうなものですが、本作は基調がとても静かですね。

篠田:構想時からそれでいこうと思っていました。展開が派手な作品も時には書きますけれども、今回は、機械の中で一緒に暮らしていくそれぞれの考え方をくっきり浮かび上がらせたかった。そして、それは派手な展開で読ませるものでもない。殺人事件なんかを起こしちゃうとなんだかよくある内容になってしまいますので。

――それにもかかわらずとても面白くて、ページを繰る手が止まりませんでした。

篠田:世界観と描写だけでテーマを浮かび上がらせることができるのが“小説”なのだと思います。映画でもできるけれども、説明ができない分だけ小説よりわかりづらくなるし、ハリウッド的なものが席巻している今ではなかなか見なくなってきました。タルコフスキーやアンゲロプロスの作品などかつてはたくさんあったのですけれど。私はそれらを見てきた世代なので、原点に戻る感じです。デビューしてからの何年間かは、ストーリーを展開させることによって読ませていかなくてはならない、みたいな感覚がありましたけれど、今はそうでなくても読める小説を書きたい。かなり風変わりな、主流とはいえない小説だとは思いますが、もはや活字でしか表現できないことをできたらいい。そういう意味で、今回の作品は物語を作る上で必要のないものを削り取っていったらこうなりました、という感じで。読者の皆さんにもそこを楽しんでもらえればうれしいところです。


プロフィール

篠田節子(しのだ・せつこ)
1955年東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン‐神の座‐』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。他の著書に『夏の災厄』『静かな黄昏の国』『純愛小説』『失われた岬』『ドゥルガーの島』『四つの白昼夢』、エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』など多数。20年紫綬褒章受章。


作品紹介

あらすじ

私は人生の終着点を見つけてしまった 生と死の尊厳に迫る優しく美しい一冊

おちこぼれの女性ジャーナリストが異国の砂漠の地で掴んだ、
自分しかできない仕事、そして、人間のほんとうの幸せとは

フリージャーナリストとしての活躍の道が拓けずくすぶっていた寿美佳(すみか)は、摂氏六十度を軽く超える砂漠の地で、鉱石を運ぶトラックに乗っていた。
ここはオーストラリアでも「デッドエンド」と呼ばれる地帯。この先の鉱山で、元引きこもりの日本人労働者や、海外の政治犯が強制労働に従事させられているという疑惑を聞きつけて、記事を書いて一山当てようと潜入取材に乗り込んだのだ。金がない寿美佳のスポンサーとなったのは、夫の研究者・クセナキス博士がここに閉じ込められていると訴える博士の夫人だった。
博士を救い出すという任務も帯びながら、命からがら苛酷な砂漠を越え現地にたどり着いた寿美佳だったが、そこで出会った博士をはじめとする3人の労働者が語ったのは、寿美佳が全く思いもよらない背景だった……。

ここは見捨てられた場所、そして、途方もなく自由な土地――
「他の場所では生きられなくても」、今、自分の身体が、能力が、拡張していく。

人生の本質や、生と死の尊厳を、外から判断できるのか。
ほんとうの幸せとは何かに迫る著者の真骨頂。

書誌情報

書名:ロブスター
著者:篠田 節子
発売日:2024年09月28日
定価:1,980円(本体1,800円+税)
判型:四六判
頁数:216頁
ISBN:9784041153291
発行:株式会社KADOKAWA
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322405000188/

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