【書評】「本格らしさ」が詰め込まれた大注目ミステリーを読み解く、5つのキーワード―『罪名、一万年愛す』レビュー【評者:吉田大助】
吉田文学史上最も「本格」にして、最も挑戦心にあふれた新作を読み解く、5つのキーワード
評者:吉田大助(書評家)
その1 私立探偵、登場
吉田修一は純文学畑出身でありながら、『パレード』(2002年)や『悪人』(2007年)、『怒り』(2014年)など、ミステリーと評される作品を数多く手がけてきた。ただ、なんらかの謎を物語にビルトインし、読者が読み進めるうえでの推進力とする手法は、純文学かエンタメかを問わず、あらゆる作家が試みている王道中の王道と言える。最新作『罪名、一万年愛す』は、著者がこれまでに発表してきた作品とまったく様子が違う。本作は、横浜の雑居ビルに事務所を構える私立探偵・遠刈田蘭平の元へと、依頼人がやって来る場面から物語が始まる。そして……。
導入部から結末部に至るまで、「本格(ミステリー)らしさ」が詰め込まれているのだ。
その2 謎の宝石「一万年愛す」
探偵の元を訪れた人物は、福岡で百貨店事業を営む梅田一族の三代目・梅田豊大だった。創業者の祖父・壮吾はプライベートアイランドの「野良島」で隠居生活を送っているのだが、屋敷内で夜な夜な宝石を探し回るという奇行で周囲を困惑させているという。祖父によればその宝石の名前は、「一万年愛す」。認知症による妄想を疑われたが、調べてみると1940年にスイスで行われたオークションで、同名のルビーのペンダントが落札されたという記録が見つかった。落札価格は現在の相場でなんと35~36億円。三代目は探偵に、野良島で開かれる祖父の米寿(88歳)の祝いに同席し、「一万年愛す」と名付けられたルビーを探して欲しいと依頼する。
本作は、物語の歴史において最も古典的な、宝探し譚でもある。
その3 絶海の孤島で起きた失踪事件
舞台は長崎県の北西に位置する「野良島」の屋敷へ。絶海の孤島、金持ちの一族、夕食会に出席している元警部と探偵。白いガウンを纏って登場した壮吾は、「こんな状況で、殺人事件が起こらないなんてことがありますか?」と探偵に問う。「まあ、私がもし、ポアロや金田一耕助ならば、そういうことも起こるのかもしれませんが、残念ながら、当方、同じ探偵とはいえ、そういった有名どころとはまったく縁のない者でして……」。ところが翌朝、事態は急変する。壮吾が野良島から消えてしまったのだ。寝室の枕の下には、手書きの遺言書が残されていた。そこに記された文言は、「私の遺言書は、昨晩の私が持っている。」──。
台風が近づき外部との行き来が遮断された状況下で、探偵は捜査と推理を始める。クローズド・サークルものはどうしても会話劇になってしまい、カギカッコ続きで読み心地が単調になりかねないところを、カギカッコの付け外しや語りの妙で小説としての鮮度を維持する手腕が見事。
その4 多摩ニュータウン主婦失踪事件
元警部の老齢の男・坂巻丈一郎が夕食会に参加していた理由は、ある事件の捜査で壮吾と出会い、その後も親交が続いていた縁によるものだった。事件が起きたのは、1978年。多摩ニュータウンの団地で夫と暮らしていた40代の主婦・藤谷詩子が、近所のスーパーに買い物に出かけたまま姿を消した。失踪した主婦が、吉原の遊郭に身を置いていた元娼婦だったと明らかになったことで、事件報道は加熱する。そんななか、担当刑事だった坂巻は、主婦が消息を断つ前に、若き実業家として著名な梅田壮吾と会っていたという目撃談を得る。二人の間に接点は見つからなかった。しかも二度の目撃情報のうちの一つには、壮吾が九州にいたというアリバイもあったのだ。
45年前に起きた迷宮入り事件と、壮吾の失踪にはどんな繋がりがあるのか? 本作の裏テーマは、昭和史だ。探偵は、過去の事件の捜査と推理も進める過程で、昭和の知られざる歴史に立ち会うことになる。
その5 鍵を握るのは3本の日本映画!?
壮吾は整理整頓が得意だったが、なぜか屋敷の地下にあるシアタールームで映画が流れっぱなしになっていた。そして、テーブルには3つのDVDのパッケージが置かれていた。『人間の証明』、『砂の器』、『飢餓海峡』。いずれも1960年代から70年代にかけて大ヒットした邦画だ。3本の映画にはどんな共通点があるのか?
ポアロや金田一耕助といった名探偵、いわゆる社会派ミステリーとして知られる上述3作など、要所要所で過去のミステリーに言及するスタイルも、「本格らしさ」を支えている。これ以上はネタバレにすぎるのだが……実は本作は、ある一点において、「本格」のマスターピースとして知られる海外ミステリーの傑作を本歌取りしている。過去にどのような素晴らしい物語(ミステリー)が存在したかを認識し、それらを参照していることを読者に提示する。それは、自分なりの新しい物語を今まさに紡いでいる、という作家の意思の表れだ。
かくして本作は、吉田文学史上最も「本格」にして、最も挑戦心にあふれた一作となった。
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