積読の効能
書店員をやっていると、よくお客さんから言われるのが「でも家では積読をしちゃっててねえ」というものだ。
積読(つんどく)というのは文字通り本が積まれている様子で、買ったのに読んでいない本がたくさんあることを表す。
そんなふうに言うお客さんに私はいつも決まって「でも私は積読肯定派ですよ」と返す。
私には「積読をするから人は本を読む」という持論がある。
読書はタイミングである。読みたいときじゃなければ、なかなかその本は読めない。
「この本は気になるけど家に積読があるから、まずはそっちの方を読まなきゃ」などと考えてしまうと、結果としてどっちも読まないのだ。
だから気になる本があったら積読のことなんて気にせず買って読めばいいのである。
そもそも積読なんて読まなくてもいい。ただただ本棚に積んでおけばいい。
「読みたい」と思えるから本は読めるのであって、「読むべき」と思ってしまうと読書は途端につまらなくなる。
「せっかく買ったんだから読まなきゃ」という罪悪感こそが、読書から我が身を遠ざける諸悪の根源なのである。
食事で例えると、ハンバーグが食べたい気分なのに無理してそばを食べているようなものだ。
それでは箸は進まない。
ハンバーグが食べたいならハンバーグを食べればいい。
目の前の本が気になるなら積読なんて気にせずそのままレジに持っていき、帰りの電車の中で読めばいいのである。
そうしていろんな本を読み進めていく中で、自分の興味関心が広がってくる。
そのときに積読していた本に目をやると、「あ、この本読みたいかも」と自然な気持ちで手を伸ばせる。
そのときこそがその本を読むべきタイミングなのだ。
私は積読を、自分の家に自分だけの図書館を作る行為だと考えている。
私は出かける前にその図書館から”今読みたい本”を2冊選んで持っていき、電車の移動時間や仕事の休み時間に読むようにしている。
それは日々の生活にゆとりをもたらしてくれる、自分にとって大切な時間である。
だから私は積読があると「まだ読める本がある」と安心する。
逆に積読のない本棚は、可能性が閉ざされた、ひどく味気ないものに感じてしまう。
本は買わなければ読めない。
たとえ積読があったとしても。いや積読があるからこそどんどん買えばいいのだ。
読書はもっと雑なものでいい。