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「農業新時代」読む本に困ったら見よ

私は昔から農業に興味があり、「農業」というワードが表紙、もしくはチラ見したページに載っていたら購入候補入り(90%買うことになっている)する。
先日本屋さんへ行き、手にした本もその一冊に過ぎない。

と思っていたが、どうやら違ったようだ。
この「農業新時代」という本は私の疑問を払拭してくれる書籍であった。

私は予てから起業プロセスに疑問を抱いていた。
事業を立ち上げてから、「どのようにして顧客を獲得していくのか」「どのようにしてビジネスを拡大させていくのか」
そう、初めの一歩が理解できていなかったのだ。

しかし、解が得られたようだ。
「当たって砕けろ」

多くのビジネス書においてはこのやり方を批判しているものも存在することは認める。
しかし、しかし、しかし、、、、
杉山ナッツの杉山さんのエピソードを知り、完全に私はノックアウトされた。


「新農業時代」から得た情報




私は読書中気になったワードが出現すると鉛筆でしるしをつけ、犬の耳を作る。そして、ネットで調べる。これがまた最高に楽しい。
世の中では本がよい、スマホはダメ。いや、スマホがよい・・・
という論争がいまだに続いているようだが、私には無縁の話である。

「読書中に気になったことがあれば、ネットで調べる」

これは私自身における最大の発見であり、最高に楽しい行為なのである。
ぜひあなたもやってみてほしい。


四大会計事務所

4大会計事務所(よんだいかいけいじむしょ、Big 4 accounting firms)または4大監査事務所(よんだいかんさじむしょ、Big 4 audit firms)とは、世界的に展開する以下の4つの大規模な会計事務所ないしそのグループをいう。文脈によっては単にビッグ4 (Big 4) という。デロイト トウシュ トーマツ (Deloitte Touche Tohmatsu) - 略称:DTT, Deloitte. 本部:ニューヨークロンドン
アーンスト&ヤング (Ernst & Young) - 略称:EY 本部:ロンドン
KPMG (KPMG) - 本部:アムステルダム
プライスウォーターハウスクーパース (PricewaterhouseCoopers) - 略称:PwC 本部:ロンドン


これらの会計事務所は、世界の主要な証券取引所に上場する巨大企業と呼ばれる大規模な企業、または非上場ではあるが取り扱うサービス内容のマーケットシェアや独自性が高く、比較的規模が大きいといった企業の、ほぼ全てを顧客とし、会計・監査・税務・コンサルティングといったプロフェッショナルサービスを提供している。

4大会計事務所 - Wikipedia

気になってしまっては仕方がない。調べてしまおう。


デロイト トウシュ トーマツ


デロイト・トウシュ・トーマツ(Deloitte Touche Tohmatsu、略称:DTT)は、世界最大会計事務所であり、世界四大会計事務所 (Big 4) の一つである[3]プロフェッショナルサービスファームである。イギリスとアメリカの会計事務所デロイト&トウシュや日本有限責任監査法人トーマツが中心となって運営されており、よく「デロイト (Deloitte)」と称される。

デロイト トウシュ トーマツ - Wikipedia



1845年 - ウィリアム・ウェルチ・デロイト、ロンドンに会計事務所を設立。
1880年 - デロイト、ニューヨークへ進出。
1896年 - チャールズ・ワルド・ハスキンズとエリア・ワット・セルズ、ニューヨークで事務所を開業。
1898年 - ジョージ・トウシュ、ロンドンで事務所を開業。
1900年 - トウシュの事務所にジョン・バレンタイン・ニーブンが加わり、ニューヨークでトウシュ・ニーブン会計事務所を創立。
1947年 - トウシュ・ニーブン会計事務所とA・R・スマート会計事務所が合併、トウシュ・ニーブン・ベイリー&スマート会計事務所となる。
1952年 - デロイト会計事務所とハスキンズ・アンド・セルズ会計事務所が合併、デロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ会計事務所が発足。
1960年 - トウシュ・ニーブン・ベイリー&スマート会計事務所がカナダのロス会計事務所を合併、トウシュ・ロス・ベイリー&スマート会計事務所となる。1969年にトウシュ・ロス会計事務所へ改称。
1968年 - 等松・青木監査法人が創立。
1975年 - 等松・青木監査法人とトウシュ・ロス会計事務所が業務提携。
1990年1月 - デロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ会計事務所とトウシュ・ロス会計事務所が合併し、デロイト&トウシュ会計事務所が発足。これに合わせ、国際組織デロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ・インターナショナルとトウシュ・ロス・インターナショナルも合併。国際名称をデロイト ロス トーマツ インターナショナル (DRTI) に変更
1992年6月 - 国際名称をデロイト トウシュ トーマツ インターナショナル (DTTI) に変更
1998年1月 - 国際名称をデロイト トウシュ トーマツ (DTT) に変更
2000年6月 - デロイト トウシュ トーマツのインテグレーションステージがスタートし、日本の監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)もインテグレーションに参画



アーンスト・アンド・ヤング


アーンスト・アンド・ヤング (Ernst & Young、略称EY)は、ロンドンを本拠地とし世界各国で会計税務、コンサルティングなどのプロフェッショナル・サービス事業を展開するサービス企業であり、big4 の一角を占める。

日本ではEY Japanとして活動を展開している。

アーンスト・アンド・ヤング - Wikipedia


EYは多くの会計事務所の合併の結果成立した。もっとも古いパートナーシップは、1849年にイングランドで開業したハーディング&プレイン(Harding & Pullein)である。同年アメリカ人のフレデリック・ウィニー(Frederick Whinney)が事務所に入り、1859年にはパートナーとなった。彼は同じく会計士となった息子たちもパートナーとし、事務所名を1894年にウィニー・スミス&ウィニー(Whinney, Smith & Whinney)に変えた。

1903年アメリカ合衆国クリーブランドではアーウィンとセオドアのアーンスト兄弟によりアーンスト&アーンスト(Ernst & Ernst)が設立され、1906年にはシカゴでスコットランド系人のアーサー・ヤングがアーサー・ヤング&カンパニー(Arthur Young & Company)を設立した。

1924年にはこれらアメリカの会計事務所は、イギリスの重要な会計事務所との間で提携を結んだ。アーサー・ヤングはブローズ・パターソン&カンパニー(Broads Paterson & Co.)と、アーンストはウィニー・スミス&ウィニーと提携した。この提携関係は後に国際間合併へと進んだ。1979年、まずアーンスト&ウィニー(Ernst & Whinney)が成立し世界第4位のファームとなった。1989年、業界4位のアーンスト&ウィニーと業界5位のアーサー・ヤングは合併し、アーンスト&ヤング(EY)が誕生した。

合併前、各ファームは顧客である多国籍企業へのサービスのため世界各国に事務所を開いていた。1979年、アーサー・ヤングのヨーロッパにおける複数の事務所が地元の大手会計事務所に加わり、これらはアーサー・ヤング・インターナショナルの会員ファームとなった。1989年の大合併でEYが成立すると、世界各地の旧アーンスト&ウィニーの事務所と旧アーサー・ヤングの会員ファームが次々合併した。

EYはさらにグローバル化に向け約140の加盟国を4つの統合されたエリア(アメリカズエリア、アジアパシフィックエリア、日本エリア、EMEIAエリア(欧州・中東・インド・アフリカ)に再編し、世界のあらゆるマーケットで均一で高品質なサービスを提供できる体制を整備している。それぞれの地域は、世界本部の役員会への参加者であるエリア・マネージング・パートナー(EMP)のもと、単一の管理部門を置き、ビジネスモデルの統一を進めている。

このうち、日本エリアはEYジャパン合同会社を中心とするEY Japanのみで構成されている。なお、日本エリアのEMPには慣例的に新日本有限責任監査法人の理事長が兼任していたが、東芝事件の影響を受け、2016年3月より米国のEYノースイーストよりScott K. Hallidayが就任している。

アーンスト・アンド・ヤング - Wikipedia


KPMG


KPMGは、1870年にイギリスで設立されたWilliam Barclay Peat&Co.をはじめに、世界154カ国に約20万人の専門家を持ち、会計監査や税務、経営コンサルティングを主力とする多国籍企業[1]であり、世界4大会計事務所(Big4)の一角を占める。

KPMG - Wikipedia


1870年 ウィリアム・バークレイ・ピートがロンドンに事務所設立。
1877年 トムソン・マクリントック(Thomson McLintock)がグラスゴーに設立される。
1890年 ドイツ初の監査事務所、ドイッチェ=アメリカニッシェ=トロイハント=ゲゼルシャフト(Deutsch-Amerikanische-Treuhand-Gesellschaft)が設立される。1892年にはドイッチェ・トロイハント=ゲゼルシャフト(Deutsche Treuhand-Gesellschaft、DTG)となる。
1897年 マーウィック・ミッチェル&カンパニーがニューヨークで設立。
1899年 フェルディナンド・ウィリアム・ラフレンツがアメリカン・オーディット・カンパニー(American Audit Company)をニューヨークに設立。1923年にFWラフレンツ&カンパニー(FW LaFrentz & Co.)に改名。
1913年頃 フランク・ウィルバー・メインがピッツバーグにメイン&カンパニー(Main & Co.)を設立。
1917年 アムステルダムにクリンヴェルド・クラーエンホフ&カンパニー(Klynveld Kraayenhof & Co.、KKC)設立。欧州と南アフリカに強いファームとなる。
1925年 ウィリアム・バークレイ・ピート&カンパニーとマーウィック・ミッチェル&カンパニーが大西洋を越えた合併を行う。これが後にアメリカの大手ファーム、ピート・マーウィック・ミッチェル(Peat Marwick Mitchell、PMM)となる。
1963年 メイン&カンパニーとFWラフレンツ&カンパニーが合併し、メイン・ラフレンツ(Main LaFrentz & Co.)となる。
1969年 トムソン・マクリントックはアメリカのメイン・ラフレンツと合併しマクリントック・メイン・ラフレンツ(McLintock Main Lafrentz)になる。
1979年 オランダのKKCはドイツのDTG、英国とアメリカのマクリントック・メイン・ラフレンツと合併し、欧州を拠点とする大手ファームKMG(クリンヴェルド・メイン・ゲルデラー、Klynveld Main Goerdeler)となる。
1987年 欧州のKMGと米国のPMMは合併、現在のKPMGが成立した。大手ファーム同士の最初の大型合併となり、以後大手ファーム同士の合併が加速する。
1997年 プライス・ウォーターハウスとクーパース&ライブランドが合併を発表した影響で、KPMGもアーンスト・アンド・ヤングとの合併を発表。世界最大のファームができるはずだったが、競争法に抵触するなどの制約のため取り止めに。
2000年 アメリカのコンサルティング部門をKPMGコンサルティングとして分社化。翌2001年にはナスダックに上場し株式公開により分離した。KPMGコンサルティングは2002年ベリングポイント(BearingPoint, Inc.)と名を変えた。
2003年 法務部門をクリーガル(Klegal)として分社化。


プライスウォーターハウスクーパース



プライスウォーターハウスクーパース(PwC: PricewaterhouseCoopers)は、ロンドンを本拠地とし、世界157カ国742拠点に276,000人のスタッフを擁する世界最大級のプロフェッショナルサービスファームである。略称はPwC
2009年には、Universum社が発表した「最も魅力的な企業トップ50」において、世界第2位を獲得[1]。2013年には、BrandFinance社が発表した「Most Powerful Brand in the World」において、フェラーリ、グーグル、コカコーラに次いで世界第4位を獲得している

プライスウォーターハウスクーパース - Wikipedia




1999年平成11年)6月15日 - PwCアドバイザリー株式会社を設立。
2009年(平成21年)
5月 - ベリングポイント株式会社(ベリングポイント日本法人)が、米ベリングポイントから分離・独立し、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタント株式会社に社名変更。プライスウォーターハウスクーパース(PwC)のメンバーファームとして新たなスタートを切る。
10月 - 株式会社プライスウォーターハウスクーパース総合研究所を設立。元金融庁長官五味廣文が初代理事長に就任した。なお、五味廣文は金融庁長官時代に、PwCメンバーファームであったみすず監査法人(旧・中央青山監査法人)に監査業務停止処分を命じている。みすず監査法人は、この停止命令により解体に至っている。
11月26日 - あらた監査法人、PwCアドバイザリー、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタントの3社が、本社を東京都中央区銀座住友不動産汐留浜離宮ビルに移転・統合し、連携を強化。
2010年(平成22年)1月1日 - PwCアドバイザリーが、プライスウォーターハウスクーパースコンサルタント、プライスウォーターハウスクーパースHRSを統合し、社名をプライスウォーターハウスクーパース株式会社に変更。
2016年(平成28年)
1月 - コンサルティング部門の本社を東京都千代田区丸の内の丸の内パークビルディングへ移転。
3月 - PwC Japan組織再編により、プライスウォーターハウスクーパースのディールアドバイザリー部門及びプライスウォーターハウスクーパース マーバルパートナーズを統合し、PwCアドバイザリー合同会社へと社名変更。同時にプライスウォーターハウスクーパースのコンサルティング部門、プライスウォーターハウスクーパース・ストラテジー(旧・ブーズ・アンド・カンパニー。現・PwCコンサルティング合同会社Strategy&)、プライスウォーターハウスクーパースPRTMマネジメントコンサルタンツジャパンLLCの3社を経営統合し、PwCコンサルティング合同会社を設立。
2017年(平成29年)
10月 - 住友不動産汐留浜離宮ビルのPwC Japanグループの本社を、大手町パークビルディングに移転。
11月 - 東京都千代田区大手町の大手センタービルに当時同社のパートナーであった松永エリック・匡史がプロデュースしたエクスペリエンスセンターを開設。同年11月22日にオープニングコンサートを実施[12]
エリックの退社後は、野口功一が同センターの館長を引き継ぎ、精力的にBXT(Business, Experience and Technology)を同センターで推進している[13]
12月 - 梅田ダイビルの大阪オフィスを、グランフロント大阪に移転。
2018年(平成30年)3月 - 福岡オフィスをJRJP博多ビルに開設。
2020年令和2年)12月 - 丸の内パークビルディングのPwCコンサルティング合同会社及び霞が関ビルのPwC税理士法人をOtemachi One タワーに移転。霞が関ビルのPwC弁護士法人を大手町パークビルディングに移転。
2021年(令和3年)10月 - 名古屋クロスコートタワーのPwC税理士法人 名古屋オフィスを、PwCあらた有限責任監査法人及びPwCコンサルティングの名古屋オフィスが所在するJRセントラルタワーズに移転統合。

プライスウォーターハウスクーパース - Wikipedia




歴史が妙に長いな~~と思ったら、そうだったそうだった。この本を思い出した。


阿部梨園をカイゼンし続ける佐川氏によってリリースされているブログ「阿部梨園の知恵袋」


地方の梨園を携わる佐川さんについて「新農業時代」では紹介されていた。梨にIDをつけ、梨の木に虫が発生した場合には迅速に対処できるようになった、など梨園を改善し続ける彼が無料で改善例を無料で閲覧可能なのだ。
インターネット、恐るべし。


パスカルバルボ


1972年、フランス中部ヴィシー生まれ。料理学校を卒業後、1994年からパリの三ツ星レストラン「アルページュ」シェフ、アラン・パッサール氏の元で研鑽を積む。1998年からオーストラリアでの勤務経験を経て、2000年、メートル・ドテル(レストラン支配人)のクリストフ・ロア氏と共同経営で「アストランス」を独立開業。開業1年を待たずミシュラン一ツ星を獲得する。2007年より12年間ミシュラン三ツ星を維持(現在は二ツ星)。

VOICES パスカル・バルボ/パリ「アストランス」オーナーシェフ | ZENB イニシアティブ -「食べる」のぜんぶを、あたらしく | ZENB イニシアティブ -「食べる」のぜんぶを、あたらしく



アラン・パッサール


アラン・パッサール(Alain Passard, 1956年8月4日 - )は、フランス料理料理人パリの3ツ星レストラン『アルページュ』のオーナーシェフである。

アラン・パッサール - Wikipedia


終わりに

200ページを超える書籍にもかかわらず、64ページ読み進めただけでこんなにも多くの情報を得ることができた。
今後、本を読み進めていくにつれてますます、興味深いワードに出会うだろう。
一旦はここで区切りをつけようと思う。
だが、「新農業時代」についての記事を今後も投稿するだろう。
その時はお見逃しなく。
地図上の冒険のマガジンの一つである「読む本に困ったら見よ」を確認してもらえば見逃すことはないだろう。
では、また会おう。




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