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【音楽聞いて散歩しながら考えたことシリーズ】抜けるような青い秋空と東京事変(11月3日)

今日は昨日とはうって変わって、目が覚めた瞬間から爽やかな秋晴れだった。
目が覚めたのは八時くらい。昨日はちょっと遅く起きてしまったから、今日はもう少し早く起きよう。そう思っていた。実際起きたのも八時半くらいで、私の休日にしては早いスタートだ。そこから再び洗濯物を回して(昨日も洗濯をしてコインランドリーに行ったが、その前段から曇りが続いていて洗ってない衣類がすっかりたまっていたのだ、)ベランダに干す。それが終わってからすぐに、私はワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んで家を出る準備をした。

こんな日は散歩日和だ。そう、絶好の散歩日和。スニーカーの紐を結び直して、玄関のドアを開ける。向かう先は、いつも散歩している家の近くの公園。昨日は傘を差しながら無理やり二十分くらい歩いてみたのだけれど、今日は思いっきり一時間くらい歩けるだろう。スマホが正しくカウントしてくれれば、八千~一万歩くらいはいくはず。そう思って、液晶画面をタップしてSpotisyから"東京事変"を選択する。「娯楽」。どうしてか私は、今日のようなよく晴れた秋の日に"東京事変"の「娯楽」が聴きたくなる。それは、もしかしたら「娯楽」というアルバムには、東京事変の曲の中でも、明るくて思わず歩きたくなるようなほどよいテンポの曲が多く収録されているからかもしれないな、と思う。あくまで、個人的な印象なのだけれど。

ということで、"東京事変"の「娯楽」に対する個人的なイメージを書いてみたけれど、そもそもみんなは"東京事変"や"椎名林檎"にどういうイメージを持っているのだろう。鮮烈なデビューアルバム「無罪モラトリアム」のイメージか、MVが大きな話題を呼んだ「本能」のイメージか、大ヒット曲が収録されたアルバム「教育」「大人」「娯楽」「スポーツ」のイメージか、それとも比較的最近の――「三毒史」や「放生会」のイメージか、それともまた違う曲やシングルやアルバムか、はたまたライブやコンサートか。はっきりとはわからないけれど、なんとなく「大人っぽくてかっこいい」とか「個性的」とか「どことなくジャズ調」とか「コード進行がおしゃれ」とか、そういうイメージがあるんじゃないかという気がする。(違ったらごめんなさい。)でも、私は少なくともそういうイメージを持っている。それは、高校生のときに初めて椎名林檎の楽曲に出会ったあの日、あの瞬間から変わらない。

私と椎名林檎の出会いは音楽の授業だった。私は当時私立の女子高に通っていたのだが、当時の音楽の先生が少し変わった経歴を持つ人で、かつてオペラ歌手をやっていたという人だった。地方出身で親をうまいこと説得してバイトしながらなんとか音大に行っただとかいうそういうタフなエピソードを持つのにプラスして、性格もちょっと変わったところがある人だった。そんな先生だったので授業もちょっぴり風変わりで、あるとき彼は日本を代表する女性アーティストとして"美空ひばり"と"椎名林檎"を挙げた。"美空ひばり"はともかく、音楽の授業で"椎名林檎"を扱うことは、彼女の曲が素晴らしいと言えどそうそうないと思う(曲の特性上きわどい表現・危い表現なんかが多かったりするので)。けれど、そのとき確かに彼は私たちに"椎名林檎"の「ここでキスして。」のMVを見せ、コメントペーパーに感想を書くように指示した。

圧倒的だった。それまで、ドラマの主題歌や流行りの恋愛ソングを中心に聴いていた高校生の私にとって、"椎名林檎"は圧倒的な個性の持ち主だった。音が、歌詞が、コード進行が、声がもたらす情緒が、それまで聴いたどんな曲とも確実に違っていた。そのくらい彼女の曲は驚きに満ちていて、強烈かつ鮮烈だった。それからというものの、私は当時住んでいた実家の近所のツタヤで「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」「加爾基 精液 栗ノ花」を借りて、全曲を聴いた。それだけでは足りなくて、東京事変の「教育」「大人」「娯楽」「スポーツ」を全部借りて、また同じことをした。田舎のツタヤだったので椎名林檎と東京事変に関するアルバムはそれが在庫の全てだったのだが、高校生の私ひとりが狂うには十分な量だった。そこから、椎名林檎や東京事変が見せる、洒脱で個性的で、絶対ここでしか聴けない確固たるアイデンティティを持つ曲たちに惹かれていった。それは、明るい曲でも暗い曲でも、穏やかな曲でも激しい曲でも変わらなかった。

そんな、"椎名林檎"と"東京事変"の中でも、今日私が聴いた曲は明るくて穏やかでスキップしたくなるような類の曲だ。"椎名林檎"にも"東京事変"にもありとあらゆるタイプの曲があって、ひたすらかっこいいに振れる曲もあればほどよい脱力感の曲もあるのだが、必ずしもそこには"椎名林檎"または"東京事変"的なエッセンスが入っていて、その秘伝のタレのようなものが私をずっとずっと魅了し続けているような気がする。今日聴いた「ランプ」も「キラーチューン」も「メトロ」もみんなそうで、穏やかな曲調の曲の中にも強いアイデンティティを感じた。相変わらず私は、秘伝のタレに狂わされている。それも、ものすごく贅沢な秘伝のタレだ。このタレを出されてしまったら、もうひれ伏すしかない。秋空の下で散歩をしながら、そんなことを考えた。

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