#14.認知行動療法とは?①
リワークのカリキュラムでは、認知行動療法に関する座学、なんてのもありました。
この認知行動療法……別名『CBT』とも呼ばれる治療法について、僕は専門家でもないので中途半端な知識で説明するに憚られる、というのが正直なところです。
ここで語るにあたって体験を整理するべく、ネット等で概要を調べてもみたのだけれど、いまいち具体的なイメージが湧かないというか、引用できる文章も少ない感じ。
なのであくまで一例ということで。こういう考え方もあるんだな、程度で振り返りにお付き合いいただければ幸いです。
以上、Wikipedia先生より。
さっくりまとめると、いわゆる精神的病理に効果がある取り組みで『無意識』ではなく『意識的な思考』にフォーカスをあてた治療法、ということみたい。
リワークで僕が体験したのは座学、というかワークショップ的なものでした。テキストを元に心理療法士さんからの説明を受けて、自分に当てはめて考えてみる。振り返ってみる。
場合によっては仕事のことも思い出しながらなので、辛い頃の記憶と言うか、ちょっと心理的負荷の高い側面もありました。その辺は無理を避け、療法士さんのフォローも受けつつ進めていきます。
非常に奥深いものではありますが、実際に受けたカリキュラムをベースに、このエピソードでは2つの点に絞って振り返ってみたいと思います。
①認知の歪み
人には『認知』というものがあり、自分の回りで起きる出来事も『認知』を通して知覚しているとのこと。そして心身が不調を来していると『認知の歪み』が発生しやすくなる、とも。
例えば、僕みたいに文章を書いてWebに公開した場合。
ある人が『ここはこうした方が読みやすいよ』と意見を伝えてくれたとします。
これをアドバイスと受け取るのか、批判と受け取るのか、或いは誹謗中傷と受け止めるのか……ここに認知の歪みが介在するそうです。
「ここはこうした方が読みやすくなるよ」
額面通りに受け止めればアドバイスに思えます。
ですが『あなたの文章は読みにくい』と受け取ってしまうと批判に思えてくるでしょう。
さらには『お前の文章など読めたものではない。言う通りに修正せよ』と感じた日には、誹謗中傷と解釈して怒りさえ覚えるかも知れません。
そんな極端な、と思われるかも知れないけれど、実際にダウンした頃の僕は認知が歪みまくっていたのだと思います。
例えば仕事でのこと。
自身の業務負荷を少しでも下げようと、上司に直談判を繰り返す日々。だのに対策はとられず暖簾に腕押し状態。ならばと勝手に部下を作ろうとしたのだけれど、それも上司によってストップが掛かってしまう。
この時、僕はこう感じていたのです。
『この上司は自分の邪魔ばかりする』
冷静に考えれば、わざわざ上司が仕事を邪魔する必要もないですし、今にして思えば彼も大変だったのだと理解できます。対策を求められてもどうしたら良いか分からず、勝手に部下を作るなんて黙認するわけにもいかないし。
なので、『邪魔ばかりする』とは事実ではない。事実ではないのだけれど、僕には明確に事実として認知されていました。
このように、事実を歪めて認識することは、誰にだって起き得るものだと思います。
災害や事故で電車が止まったとき、駅員にどなり散らしているオジサンなどを例に挙げてみましょう。電車が止まったことは事実ですが、オジサンにとっては『スケジュールに間に合わないなんて理不尽だ』『電車は常に時刻通り運行するべきだ』『この鉄道会社は俺の邪魔をしているんだ』といった認知の歪みマシマシ状態なのかも知れません。
正直、僕も『そんな極端な』って思っていました。
けれど上述の通り、ダウンする直前はどうだったのか。自分が事実として認識していたものは、本当に客観的事実だったのだろうか……?
受け取り方を間違っていたのは僕だったのだろうか。駅員にどなり散らしているオジサンは、ひょっとすると僕のことではないか。そう考えて過去を見つめ直す、現在を見つめ直すことは、当時の僕にとってやはり心理的負荷の高いものでした。
だって『僕は悪くない』なんて考えていたのですし。
無理に考え方を変えようとしても『じゃあ僕が悪い』みたく、明後日の方向に歪む可能性だって十分にあり得ます。
療法士さん達は慎重に、とても丁寧に、僕が傷つかないようにして、これらの振り返りに付き合ってくれました。やっぱり一人では無理だったと思う。まして家族や友人と言った、近しい人に同じことを言われてもストレスになるだけだったかも知れません。
リワークで専門家の方々、そして仲間たちと受けたこの授業は、自分にとってとても貴重な時間だったと思います。
また、こういった認知の歪み以外にも、もう少し実践的な『マイ・ルール』についての勉強がありました。