エッセイ◆言霊の話と思考の手放し方(わたしの場合)◆
わたしが知らないことなんて、この世には沢山ある。
当たり前だけど、知っていることの方が少ないんだろうなと思う。
心霊現象も未確認飛行物体や生物だって、見たことは無いし、見たくはないけど(ものすごくビビリでノミの心臓だから)でも、そんなの無いとは思わない。
無神論者だが、宗教を信じる人を否定するつもりも無い。心の支柱を何に求めるかは自由だし、それが生きる力になることもあるだろうから。
強引な勧誘だけは御免だけれど。
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ただ、言霊についてはよく考える。
言葉というのは傷つける刃にも癒す薬にもなるというけれど、それを色々な場面で思い知る。
言葉に実体はない。
けれど、実態がないから力が無いわけではないと思う。
言葉に込めた霊(たましい)は、時に人を救い、癒し、気力を与えもするし、人を傷つけ、打ちのめし、その力を奪いもする。
込める霊によって言葉はその姿を変える。
だから、わたしは言霊を大切にしたいと思っている。
人は口に出した言葉に無意識に引き摺られるというから。
(宗教とか心霊の世界とは、また別の事として)これについては確かにと納得できる。
実際に悲観的な言葉ばかりを言っていると自分で自分に呪(しゅ)をかける(一種の自己暗示?)ようになって、そちらに向かってしまう気がするからだ。
あくまでもわたしの場合だけど、やっぱりダメだと口に出してしまうと、失敗したり上手くいかないことが多い。
無意識に萎縮したり、思考回路が働かなくなって道が塞がれたような気になる。
そうなると見えているはずのものも見えなくなるし、聞くべき声からも耳を塞いでしまう。
これではいけない。
とはいえ、人間そんなに感情コントロールがちゃんとできれば世話ないけれど、わたしは少なくともすぐにヘタレる方なので、心の中は暴風雨に翻弄される木の葉みたいになる。
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さて、こんな時にどうするか。
そう、一旦、思考をスッパリと手放してみるのだ。
これ、難しい。どうしても意識が戻ってくるから。
でも、そこを踏ん張る。
もう頑なにネガティブな言葉を締め出す。
ポジティブな言葉を、とにかく口に出して言う。この際、不安な感情とかは、無理しても強引に押さえつける。
大きな(近所迷惑にならない)声で、元気な歌をうたう(例: ひょっこりひょうたん島)
歌詞が多少間違ってても構わない。
あくまで勢いが大事だ。
自己流の変な踊りを踊るのも良い。
できるだけバカバカしいものほど望ましい。動作を大きく、ダンサーになった”つもり”でポーズを決める。
羞恥心? そんなものは捨て去る。
但し、踊りの途中で鏡を見てはならない。
あくまでも現実逃避が大切である。
そして、かなりのいい汗をかいた頃には、頭の中もだいぶ、ぼんやりしてくる。
ここが狙い目だ。
荒療法ではあるが、このくらい強引に形から入らないと深く絡まった思考からは抜け出せない。
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あれ?言霊のこと話してたよね? と突っ込んだそこのアナタ。
ここまで来たら、言霊のことを忘れかけてたでしょ?
これこれ、これが大事なのだよ。
頭の隅に置いておくぐらい。ちょっと強引に何かをしたら、忘れかけるくらいで宜しい。
囚われすぎると、どんな事でも変な方向にいってしまうから。
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ん?偉そうなことを言ってるけど、お前さんは結局、何が言いたいのか?って?
いや、要するにね、ギリギリまで”ちゃらんぽらんでいきましょう”っていうね。
言霊について考えてたら、何か話が、そういう方向になりました(ぺこり)
話が飛ぶのはわたしの特徴であります。
こんなこと考えながら生きております。
ヘンテコリンなヤツなのです。
「いつかこんな冬の終わりに─心象風景の欠片たち─」つきの より
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