エッセイ◆言葉にできない◆
心の中には溢れるほどの想いが溢れているのに、言葉にできないもどかしさを、いつも感じている。
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反対に、細心の注意をはらって発したはずの言葉がちゃんと伝わらずに歪曲されたりもあり、そういう時は、かなりヘコむ。
これでも、かなり言葉は選んで、独りよがりの押し付けめいたものには、ならないようにしているつもりだけど、当たり前だけど誤解をよぶ事がないとはいえない。
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ただ、反対に当たり障りのない言葉ばかりでも人の心には響かないだろうと思う。
自分の心のドアは締め切ったままで、他人の心をノックすることなんてできないだろう。
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結局は、わたしの言葉足りずだったりなんだろうけれど、それでもあまりにも見当はずれなものをぶつけられると、さすがに唖然とする。
想像力ということをよく思うのだけど、自分のテリトリーでの発信ならともかく(発信の責任や常識は最低限必要だろうけど、テリトリー内で想いを述べることは許されてもいいだろう)他人にかける言葉としては、それなりの想像力は必要だと思っている。
自己判断の思い込みだけで、強い言葉を叩きつけられるのは堪らない。
それくらいなら無視して見捨ててくれたらいいのに。
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わたしは普通に俗人だ。いや普通以下くらいに、あまり人間の出来は良くない。
卑怯さも狡さも充分に持ち合わせているし
器は限りなく貧相で小さい(自慢にもならないが)でも、出来の良くなさに自覚くらいはある。
異なる意見の全てに耳を塞ぐほど愚かではないつもりだが、的はずれな攻撃を避けるくらいはする。
戦うなんて面倒臭いことを、もうする気力は無いけど、足音を忍ばせて遠ざかりたいとは思う。
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傷つく覚悟と、それ以上に傷つける覚悟をしないといけない。そうも思っている。
それでも脆弱な精神が耐えられなくなって、以前、一度、書くことが出来なくなった事がある。
何を書くのも、どんな言葉も怖くなって。
まるで、ナイフをこの手に持っていることは始めからわかっていたのに、今更ながらにその意味に気がついたみたいに。
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でも今、また、わたしは書くことを始めている。
怖くないといえば嘘になるし、あの頃より精神的に成熟したわけでも強くなったわけでもない。
覚悟の程すら、正直、本当に持てているのかわからない。
上手く言葉にできないのは相変わらずで、元からなかった自信は萎んでいくばかり。
でも今度は、言葉から、書くことから逃げたくないとは思っている。
いや、そんな大層なことをいうのすら、おこがましいのだけど。
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言葉にするのが下手で、できた言葉は不格好で、時には誤解もされ……。
それでも、そんな風に自分を削って自分を差し出すことしかできないのだから。
それがわたしの『書く』ということなら。
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こんな風な、物を書く人間がいてもいいだろう。
わたしは、そんな不器用な自分を救うために書いているのかもしれない。
そして、何処かにいる、わたしの様な人の手を握って、大丈夫と言いたくて、書いているのかもしれない。
「いつかこんな冬の終わりに─心象風景の欠片たち─」つきの より
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