徳永京子

演劇ジャーナリスト。著書に『我らに光を』(さいたまゴールド・シアターインタビュー集。河出書房新社)、『演劇最強論』(藤原ちから氏と共著。飛鳥新社)、『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』(ぴあ)。ツイッターはk_tokunaga

徳永京子

演劇ジャーナリスト。著書に『我らに光を』(さいたまゴールド・シアターインタビュー集。河出書房新社)、『演劇最強論』(藤原ちから氏と共著。飛鳥新社)、『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』(ぴあ)。ツイッターはk_tokunaga

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正三角形はどこにある? ──NODA・MAP『正三角関係』──

〈注意〉 以下は、NODA・MAP『正三角関係』を2度観た感想で個人的なメモに近いが、人によっては作品の核心に触れると感じる可能性があり、ネタバレを避けたい場合はこの先に進まないことをお勧めする。 また、ネットで検索すればおそらくヒットするし、戯曲が掲載された雑誌(「新潮」9月号)も発売されているのであらすじは割愛する。 ── ── ── ── ── ── ── ── ── ──  同じ演目を2回観るのは、よほど感動したか、よほどわからなかったかで、『正三角関係』は後

    • 2024年8月前半に観た舞台の感想(全部ではないけれど)

      『BALLET The new classic』 バレエ門外漢なので的外れかもしれないが、ラシックバレエの既成概念を、ジェンダーの越境から果敢に攻める企画と受け取った。具体的には男性は衣裳、女性は振付で、美しさと断端さの両立に感じ入ったのだが、『ロミオとロミオ』のわかりやすさはその挑戦を矮小化したのでは。 果てとチーク『はやくぜんぶおわってしまえ』 今回の再演でようやく観られた。前評判に違わぬ作品で、女子高生が放課後の教室で交わすおしゃべりに性自認やアウティング、同性愛の問

      • 2024年3月に観た舞台①

        世田谷パブリックシアター『う蝕』 @シアタートラム 「脚本の横山拓也、脂が乗ってる」と、まず感じた。  大きな災禍が起きた直後の小さな島らしき場所に、主に仕事で集まった男性6人の会話劇で、登場人物の約半分がすでに死んでいるんだけど、それが明かされるまでのせりふの軽さが絶妙だった。絶妙というのは、死んでいるとわかってから思い返すと、切なさや悲惨さや優しさや無常感など、いくつもの解釈が乱反射するような言葉が選ばれていたから。ちなみに私の横山戯曲を毎回絶賛しているわけではない。

        • 歌舞伎座八月公演『新・水滸伝』で思い出した大事な縛り

          始まってしばらくすると、不意に胸が締め付けられるような感覚を覚えた。かつて何度も感じたことのあるこの空気、これは一体何だろうと辿っていくと、「ああそうか、二十一世紀歌舞伎組だ」と思い出した。『新・水滸伝』は、2008年に横内謙介が二十一世紀歌舞伎組のために書き下ろしたものなので当たり前と言えば当たり前なのだけれど、この作品の奥に広がっていて、ずいぶん長いこと忘れていた“ある感じ”がリアルに立ち上がり、懐かしさを超えて迫ってきた。そして、新作歌舞伎が急増している今、これは振り返

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          ダンスがダンスになる前の壮絶と孤独  ──シアターコクーン「黒田育世 再演譚」『ラストパイ』──

          昨日、とんでもないものを観た。始まって間もなく胸に強く迫るものがあり、涙を堪えるのが大変だった。上演時間は約30分。終演後、席を立って歩くと、体が震えているのがわかった。 今回の企画は、会場のシアターコクーンが改築のため長期休館に入るのを知り、この十数年、コクーンでのダンス公演が減っているのを寂しく感じていた黒田が「閉まってしまう前にダンス作品を上演してほしい」と連絡したことから実現したという。ダンス公演は演劇のようにステージ数を多く取れないので、よほどの話題性がないと約7

          ダンスがダンスになる前の壮絶と孤独  ──シアターコクーン「黒田育世 再演譚」『ラストパイ』──

          母を亡くす

          (2022年10月17日にFacebookに投稿したものを、記録を兼ねてこちらにも投稿) 10月7日の夜に母が亡くなりました。 9月に97歳になっていたので、普通なら大往生と言われる年齢ですが、ひとり暮らしの自宅から火を出し、その中でのことでした。日中から冷たい雨が降り続けている日でしたが、古い木造モルタルの家は大変な勢いで燃え上がったようで、実家はあっという間に全焼しました。それでも消防の皆さんのおかげで(おそらく消防車20台は来ていたと思います)ご近所への延焼は最小限

          母を亡くす

          これはローラの物語。新国立劇場イヴォ・ヴァン・ホーヴェの『ガラスの動物園』

          終わってみれば完全にローラの物語だった。 前半、物語は早送りのように進む。まさかイヴォ・ヴァン・ホーヴェが、スピーディに話を運ぶことがアップデートという浅薄な考えを持ってはいないだろうと思いはしたものの、それにしてもスピード以外に引っかかる演出が見当たらないのだ。 いや、美術には明確な主張がある。色調は全体に茶色、空間の設えは地下に掘られた穴ぐら、巣を思わせるもので、正面下手(しもて)側にキッチンはあるものの、生活感を感じさせるのは壁にはめ込まれた冷蔵庫ぐらいだ(冷蔵庫は

          これはローラの物語。新国立劇場イヴォ・ヴァン・ホーヴェの『ガラスの動物園』

          舞台に吹く旋風(つむじかぜ)の正体は……。明後日プロデュース『青空は後悔の証し』

          久々に、頬がしびれるほどの疾風に打たれる感覚を持った。理解しようと足に力を入れ、必死に目を凝らすが、突き放すように強い風が絶えず吹いてきて、点が見えてもなかなか線にならない。 戦争や災禍など、大きな社会問題を作品の中心に置き、現代との接続をわかりやすく見せた、ここ数年の岩松了はここにはいない。 ひたすら個人の心にフォーカスし、それも、心の闇に分け入って謎を解くのでなく、奥を覗けば闇しか出てこないのが人の心だという事実を伝えるため、容赦なく物語を紡ぐ岩松の世界が久しぶりに立ち上

          舞台に吹く旋風(つむじかぜ)の正体は……。明後日プロデュース『青空は後悔の証し』

          ほろびて『苗をうえる』

          ひとりの登場人物の不条理な身体的変化が前面に出てくるので隠れがちだけど、今回の大きなモチーフはヤングケアラー。描かれるのは2つのケースで、それぞれのそうなってしまった経緯と当事者達の内面や背景が詳らかになるうち、気が遠くなるような“こじれた現実”が見えてくる。 誰もそうしたくてそうなったわけではないのに、バッドタイミング、方向違いの優しさ、飲み込んだ言葉、小さなわがままなどが少しずつ溜まって、そこにいる人全員が苦しいパズルにぴったりはめこまれたように身動きが取れなくなる。もは

          ほろびて『苗をうえる』

          ぐうたららばい『海底歩行者』 ──夫婦を海底に引き付けたものは。

          10月18日、こまばアゴラ劇場で、ぐうたららばい『海底歩行者』を観た。深い深い暗さとその肯定が埋め込まれた作品で、おそらくこれこそ、作・演出の糸井幸之介が本来抱えているであろう嗜好と志向だと思う。 ぐうたららばいは、劇団FUKAI PRODUCE羽衣の座付き作・演出家・作詞作曲家であり、近年は木ノ下歌舞伎の『心中天の網島』の演出でも注目を集めた糸井が、「羽衣とはちょっと違う、ビターな音楽劇をやりたい」(当日パンフレットの挨拶文より)と立ち上げた個人ユニットで、『海底歩行者』

          ぐうたららばい『海底歩行者』 ──夫婦を海底に引き付けたものは。

          つかこうへい戯曲から熱を取る。文学座アトリエ公演『熱海殺人事件』

          やはりここから始めなければならないと思うので正直に書くと、つかこうへいは私にとって、ずっと評価しづらい劇作家・演出家だ。実は、上演を観て心の底から楽しめたことがない。 それは、出会ったタイミングが中途半端雑だったことがまず大きい。雑な表現になってしまうけれど、つかの演出家としての現役時代には間に合ったものの、劇作家としての現役時代には間に合わなかった。少し詳しく書くと、鮮やかに時代を塗り替え、多くの人が「そうだ、欲しかったのはこれだ」と目の前の舞台を観て確信する作品を次から

          つかこうへい戯曲から熱を取る。文学座アトリエ公演『熱海殺人事件』

          砂がわずかな湿気を含んでいることの意味は。ケムリ研究室『砂の女』

          もしかしたらご当人達(ケラリーノ・サンドロヴィッチ。以下、KERAと緒川たまき)にとっては不本意かもしれないが、思い切って書くと、これがケムリ研究室の本当のスタートではないか。 前作『ベイジルタウンの女神』が良い作品だったことに何の異論もないけれど、“大人のおとぎ話”と言うべきファンタジックな展開、苦味が混じるもハートウォーミングな後味、緒川たまきのチャームと演技力に支えられた/それを活かすべくつくられた“主人公の性善説に基づくコメディ”である点などで『キネマと恋人』(世田

          砂がわずかな湿気を含んでいることの意味は。ケムリ研究室『砂の女』

          ニナガワの子供達をイワマツの養子にという夢は叶わないですか? さいたまネクスト・シアター『雨花のけもの』

          故・蜷川幸雄が2008年末に立ち上げたさいたまネクスト・シアターが、この公演を最後に解散する。 蜷川は、芸術監督を務めていた彩の国さいたま芸術劇場で、演劇経験を問わない高齢者を集めたさいたまゴールド・シアターと、プロの俳優を目指す若者を集めたネクスト、2つの俳優集団の育成に取り組み、晩年は双方を混ぜて海外の複数の劇場から招聘される作品づくりに至った。けれどもその死から5年、どちらの集団も継続が難しいと劇場が判断し、先頃、活動休止が発表された。 ところで、ネクストとゴールドの

          ニナガワの子供達をイワマツの養子にという夢は叶わないですか? さいたまネクスト・シアター『雨花のけもの』

          新ロイヤル大衆舎『王将』再演を深めた、水性の俳優・福本雄樹のこと

          人間の性格の傾向を、火や土や風などの属性で分ける占いがあるけれど、ひとつのエレメントが外見にはっきりと出ている人を観た。 新ロイヤル大衆舎『王将』の第二部、KAAT(神奈川芸術劇場)1階のアトリウムに設えられた特設ステージに何人もの登場人物が集まるシーンで、ひとり、完全に異質な光を放っている人物がいて目が止まった。水の人がいる、と思った。白い皮膚がかろうじてせき止めてはいるけれど、今にも溢れそうな大量の水がその内側で揺れていて、輪郭を光らせている。福本雄樹だった。 福本は唐

          新ロイヤル大衆舎『王将』再演を深めた、水性の俳優・福本雄樹のこと

          ずっと味が消えない(ただし美味しいわけではない)ガムのように。チェルフィッチュ✕金氏徹平『消しゴム山』は続く

          1度観た舞台の感想が再演で深まることは珍しくない。というか、ほとんどの場合がそうで「前回、自分は何もわかっていなかった」と痛感することしばしばなのだが、『消しゴム山』は別格だった。あまりに大きく印象が刷新されたので、2月、その感想をTwitterに連投したのだが、そこからまたつらつらと思うことがあり、ここにまとめることにした。 『消しゴム山』は、チェルフィッチュの岡田利規と美術作家の金氏徹平が協同で創作した舞台作品で、2019年、ロームシアター京都で世界初演された。私はこれ

          ずっと味が消えない(ただし美味しいわけではない)ガムのように。チェルフィッチュ✕金氏徹平『消しゴム山』は続く

          曖昧のツボ──シアターコモンズ'21を繋げた、百瀬文の『鍼を打つ』

          シアターコモンズ'21のプログラムを体験した。 シアターコモンズとは、サイトには「都市に新たな共有地(コモンズ)を生み出すプロジェクト」とあり、もう少し噛み砕いて言うと、演劇メインのアート&カルチャーフェスティバルとなるだろうか。フェステバル/トーキョーの初代プログラム・ディレクターで、今年、文化庁の芸術選奨新人賞を受賞した相馬千明さんが中心となって、2017年以降毎年、2月から3月にかけて港区を中心としたさまざまな施設や街なかで行われている。 今年はVRやARを活用したプロ

          曖昧のツボ──シアターコモンズ'21を繋げた、百瀬文の『鍼を打つ』