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ニナガワの子供達をイワマツの養子にという夢は叶わないですか? さいたまネクスト・シアター『雨花のけもの』

故・蜷川幸雄が2008年末に立ち上げたさいたまネクスト・シアターが、この公演を最後に解散する。

蜷川は、芸術監督を務めていた彩の国さいたま芸術劇場で、演劇経験を問わない高齢者を集めたさいたまゴールド・シアターと、プロの俳優を目指す若者を集めたネクスト、2つの俳優集団の育成に取り組み、晩年は双方を混ぜて海外の複数の劇場から招聘される作品づくりに至った。けれどもその死から5年、どちらの集団も継続が難しいと劇場が判断し、先頃、活動休止が発表された。
ところで、ネクストとゴールドの上演にはおもしろい傾向があった。どんな芝居をしたいかという私の質問に「マクベス夫人を演じたい」「『三人姉妹』がやりたい」と海外の有名戯曲を挙げる人が圧倒的に多かったゴールドは、清水邦夫、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、松井周ら、気鋭の現代演劇作家の戯曲(清水以外はほとんど書き下ろし)が用意されたのに対し、古典よりも現代戯曲に親しみを持ちそうなネクストは、初期には福田善之、宮本研の作品、ここ数年は「世界最前線の演劇」シリーズや、藤田貴大による『蜷の綿』、ピランデッロ『作者を探す六人の登場人物』などのリーディング公演に取り組んでいたものの、メインとして課されたのは、シェイクスピア、他にカミュ、ギリシャ悲劇という海外の古典という、真逆の路線が敷かれていたのだ。私はなんとなくそれを、あえて興味や知識が薄いジャンルに俳優をぶつける蜷川流の教育法だと感じていて、また勝手に、演劇史の反対側から歩みを進めてきたネクストとゴールドがその真ん中で出会う作品がいつか生まれたらいいなと思ったりしていた。

『雨花のけもの』は、そんなネクストが最後の公演で対峙する、初めて自分達のためだけに書かれた新作だ。
しかも脚本は細川洋平という、注目を集めているものの、まだ知名度は高くない、いわば手癖がわからない劇作家。細川は、自身が主宰する劇団ほろびてでは、大人同士の軽いおふざけかな、というやり取りで物語をスタートさせ、巧みなレールの接続で、現実に起きた事件、もう少し詳しく書くと、壮絶に残虐な事件と観客をつないでしまう作品をつくっている。そして演出は岩松了。岩松はゴールドのために『船上のピクニック』('07年)、『ルート99』('11年)、『薄い桃色のかたまり』('17年)を書いており、彩の国さいたま芸術劇場とは縁が深い。特に『薄い桃色〜』は、蜷川逝去後の公演で演出も引き受け、現在も在籍するネクストのメンバーが多数出演していた。その時に薫陶を受けたとは言え、ネクスト単独の演出は初めてとなる。つまり『雨花のけもの』は、これまでの集大成どころか、未開拓だった筋肉や反射神経や思考回路を起動して手探りで進む、真新しい緊張の旅になったと想像する。

「緊張」という言葉が出たところで、「岩松了プロデュース」の話をしたい。かつて岩松は、劇団東京乾電池の若手俳優のために書き下ろした『アイスクリームマン』('92年)に端を発する青春群像劇の名作を、数年のうちに生み出した。
乾電池在籍時代の後期、岩松が主に書いたのは、腹に抱えた黒いものやドロドロしたもの、あるいは自分の中心は空虚だということを、ポーカーフェイスやニヤニヤ顔で隠していられる中年男性を中心に据えた喜劇だった。だが『アイスクリームマン』は真逆で、黒いものやドロドロしたものを隠しているつもりで全く隠せず、また、自分の中心に湧き上がるものに戸惑って右往左往する、青い世代の悲劇だった。
ほどなく退団した岩松を追うように、『アイスクリームマン』の出演者のほとんどが乾電池を辞め、そんな彼らのために岩松は、自分の名を冠した「岩松了プロデュース」として『センター街』('95年)、『傘とサンダル』('96年)を書いて演出する。登場人物はほとんど同年代の若者で、それぞれの“こじれ”のディテールと、それらがひっきりなしに反応し合って生まれるさらなるこじれ、個々が反発し合い、だからこそきつく絡み合い、やがて誰も望んでいなかった悲劇が生まれてしまう様子を、尋常ならざる緊張感で描いたのがそのシリーズだった。
自分の中心に湧き上がってくる得体の知れないものの正体を知ろうと、必死に手足を伸ばし、一瞬、触れたところでバランスを崩して落下する──。若さ特有の刹那の輝きを、その前のあがきと後の絶望で美しく照らし出す青春の物語は数え切れないほどあるが、それを群像劇という形でここまで見事に成し遂げた作品群を、私は他に知らない。
だが、もともと団体としての実態のなかった「岩松了プロデュース」は自然消滅し、時を経た2011年と2013年、岩松が所属する鈍牛倶楽部が制作を手掛ける形で一時的に復活、『カスケード』と『宅悦とお岩』という2作が上演される。これもまた、ほぼ同年代の若い俳優が集められ、関係がないと思われた小さな出来事や個人の事情がドミノ倒しのようにぶつかり合って、最後は大きな不幸が生まれる話だった。

そして先日。さい芸の小ホールの客席で『雨花のけもの』を観ていた私は、いつの間にかごく自然に「岩松了プロデュース」の新作に対峙している感覚になっていた。刻々と目の前に満ちていったのが、あの、何作観ても慣れることのないタイトな緊張感だったからだ。
自分が心からリラックスして世の中を渡ることなど想像できない。怯えているのを悟られたくない。受信する情報量が身の丈を超えていて、背伸びをしながら対応している。──そんな共通点を持つ登場人物と俳優達が、選んだのか、与えられたのか、押し付けられたのか、もはや自分でもわからない役割を舞台上で全うしようと必死に動き回る。その姿、運動が、滑稽でありながら切なく、目が離せなくなる。言い換えれば、役の不器用さが俳優の緊張によって極度に研ぎ澄まされた時、観客に見せうる美しさになるのだが、岩松によって醸し出されたその空気を久々に、本当に久しぶりにたっぷり吸い込んだのだ。
俳優として多忙になってからも岩松は精力的に舞台に取り組み、その時々の関心やプロデュース会社のキャスティングによってタイプの異なる作品をつくってきたが、「10人前後の年齢の近い若者をそれぞれ印象的な人物に描き、全員が何らかの形で有機的につながり、互いに及ぼす影響がドラマを形成していく」というハードルの高い「岩松了プロデュース」は、作・演出家にかかる負荷の大きさが作品の醍醐味と比例するのだと、改めて実感した。

ただ、『雨花のけもの』がこれまでの「岩松了プロデュース」と大きく違うのは、緊張の影響下にいたのが俳優だけでなく、脚本の細川も含まれていた点だろう。
私はこの作品の創作の現場を詳しく知らないが、取り返しのつかない大きな事件が観客から見えない場所で起きること、主従関係の“主”にあるほうが常に不安に駆られることなど、話の展開や人物のポジションなどに、岩松の小さくない影響を感じる。それは劇作家が演出家に合わせたというより、大ベテランと新進の劇作家という関係が、演出家と若い俳優達という関係と、自然に重なっていったのではないか。
あるいはまた「岩松了プロデュース」が、ひとつのコミュニティに属する人々の話で、往々にして、コミュニティに属しながら現場にはいない人物が重要な存在として配置されるからで、『雨花のけもの』においては細川がそれに当たると思えるのだ。なぜならこの物語の、何かしらの欠陥(帰る場所がない、心配する家族がいない、仕事に就いていない、常識的な判断ができないなど)を抱えた若者を富裕層がペットにして、テレビのリアリティ番組よろしくを恋愛ごっこをさせるという冷めた眼差しは、間違いなく岩松をインスパイアしているからだ。ペットを入れておくケージを“パドック”と呼ぶというセンスも、いかにも細川的なひねりがある。さらに言えば、ペットを支配する富裕層もまた、誰かにとっては小さな存在で被支配者だという構造をうっすら示す“引き”の眼差しがある。これはこの原稿の主旨からやや外れるが、「カッシーナの椅子」を売りに出し、「マダムシンコのショートケーキ」がご馳走だと喜び、「スタバ」でおしゃべりをするこの物語の富裕層は、もはやとっくに没落しており、依存や本気の愛情や執着でペットに接するのは、他に相手をしてくれる人がいないからとも思える。そしてそんな悲しい元・富裕層に、この国の姿を重ねずにはいられない。

さて、困ったのは公演が終わってからだ。あまりに遅過ぎるタイミングで私は気付いてしまった。正確に言えば、実現不可能な夢を持ってしまった。
さいたまネクスト・シアターは「岩松了プロデュース」を上演する団体として継続されるべきだと。ほぼ同年代の、演じることに真摯な、そして力のある若い俳優が、人数的にもちょうど良い具合に揃っているではないか。先に書いたように岩松は、登場人物の不器用さが俳優の緊張によって極度に研ぎ澄まされた時、観客に見せうる美しさになると知っている。けれどもそれは、生前に蜷川が、小器用な技術の習得ではなく、不器用さが観客にバレても必死で考え続けることが俳優の仕事だと伝えてきたのと同じだろう。『雨花のけもの』の完成度、スリル、おもしろさは、そこを根幹にしている。
何より今回の取り組みで、岩松自身が再び若い世代と継続的に四つに組むことに新鮮なやり甲斐を発見したように思う。
そして、これも不可能とは思いつつ、1万分の1の可能性に賭けて書き残しておくが、今回の細川のように、たとえば文芸部として劇作家が学ぶ場にもなれば、第三期「岩松了プロデュース」の新たな意義になる。

登場人物が自分の感情や置かれた状況を能動的に語り、そのエネルギーと詩的なきらめきをエンジンにして物語を押し進めていくのが、蜷川がネクストの演目に多く選んだシェイクスピアだった。一方、岩松は「日本のチェーホフ」と言われるように、登場人物が語らなかったことからドラマを紡いでいく。いつか誰かに言われたこと、同じ部屋にいながら口を利かない誰かの気配、そこにいない誰かの存在感が、人間に、つい、言葉を語らせてしまうという受動性をエンジンにしている。シェイクスピアを経由した俳優達による「岩松了プロデュース」が発進し、たとえば10年続いたら、日本にはほとんどない中年の群像劇の傑作が生まれる気さえする。ゴールドと蜷川がつくってきたのが老年の群像劇だったから、その手前の人生の一時期をネクストと岩松がつくってくれたら、日本の現代演劇の幅も広がり、実際に生きることに迷っている人の良い指針になるだろう。
これを、『雨花のけもの』を観終わるまでまったく考えつなかった自分に落ち込む。もちろん事前に思い付いて誰かに言ったりどこかに書いたとしても、事態は何も変わらず、ネクストの活動休止が取り下げられることにはなかったろう。けれども見逃してしまったチャンスはあまりに大きいと、今、胸が痛む。誰に向かって言うべきかわからないけれど、本当に迂闊でした、ごめんなさい。

最後に。どうしても書いておきたいのが、加藤登美子の美術と紅林美帆の衣裳について。公共劇場の若手公演は予算があまり潤沢ではないのではと勝手に予想しているのだけれど(違っていたら物凄く失礼なのでご教示ください)、どちらも本当に素晴らしかった。特に周本絵梨香さんの衣裳(靴も含めて)が、テンションが常に高くて行動原理が謎だけれど嫌いになれない金持ちの女性像を見事に形にしていた。

出演者などの公演情報はこちら↓
https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/90427/


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