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手を伸ばす毎日

おそらく気づいてしまった。
毎日が誰かに会いに行くことなんだってこと。
今日も明日も変わらず、ワタシとアナタがいる。
会いに行くために、出会い続けていること。

楽しめるだろうか、人との出会い。
喜べるだろうか、悲しめるだろうか、
分かち合えるだろうか、理解し合えるだろうか。
そこに気持ちはあるだろうか、本気になれるだろうか。

誰かに会いに行くために足が動くのならば、
誰かと繋がるために手を伸ばしていること。
ネットはきっと簡単に手を伸ばせる時代になった。
遠くにいる人、知らない誰かとも手は繋げる。
繋いだ手から知っていく、好きになっていく。

でも、気づいているだろう。私たちは人間なんだ。
どこまでいっても人と関わらずにはいられない。
人を好きになること以外で、好きになる世界はない。
花になりたかった私は、ついにカタチをも消し、
音符になりたがった。もう聞いてくれるだけでいい。

表向きの言葉は”一人では生きていけない”という言葉。
実際は、”会いたい人がいないと生きていけない”だろう。
一人で過ごす時間を実感するより、
そこに誰もいないことを実感することのほうが辛い。

”会いたい”が作ってきた行動力は計り知れない。
臆病な自分を超え、心が走り、気持ちは溢れる。
そんな環境に毎日身を置けてるならば幸せだろう。
そんな人たちに囲まれていたら疑問すら浮かばないだろう。
現実ではなく、別世界ばかりになってしまう前に…

遠くてもよかった。
自分を取り戻すための手段もおそらく無意識。
そこにはまだ距離感が生まれていなかっただろう。
でもようやく気づく、身近な人との距離感。
向き合えていないのは自分の周り、逃げている自分。
解決しないままの時間。触れられない傷。

手を繋ぎたがっているワタシとキミ、
そこに手を差し伸べるアナタがいるんだって、
そんな見えないやり取りをしているんだ。
お互いが手を離さないように心を繋ぐんだ。

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