二本松探訪記~2024.8.3(前編)
7/29に墓前祭のために二本松へ行ってきたばかりだというのに、またしても二本松へ足を運んできました。
今回のお目当ては、3つ。
まずは、現在にほんまつ城報館で行われている「武器のひみつ-二本松市コレクション展-」。
丁度「鬼と天狗」で戦闘シーンが続くため、その検証も兼ねて、開催中に少なくとも一度は足を運びたかったのです。
2つ目は、台運寺の参詣。
こちらは、今年春に二本松を訪れた際にもふらっと寄っていますが、先日の睦会総会において、戒石銘の碑文を建言した「岩井田昨非様」のご子孫様にお目にかかったもので、その御縁の報告と感謝を込めて、参詣してきた次第です。
そして、3つ目は亀谷にある露伴亭で開催されている「数楽カフェ」。
昨年秋(2023年11月)の二本松訪問において、「敬学館教科書リスト」を書き写した際に、「算術の教育にも力を入れていた」という話を取り上げました。
また、露伴亭も以前に取り上げましたが、実はこのときに「数楽カフェ」が開催されているのを知り、一度参加してみようと思っていたのです。
※一応数学は、家庭教師時代に高校の数ⅡBまで教えていた経験があります。
露伴亭そのものについても、やはり昨年の秋に「二本松縁の文豪カフェ」として取り上げましたので、記憶している方もいらっしゃるかもしれません。
にほんまつ城報館
実は、この一年あまり二本松を訪れるたびにほぼ毎回訪れているからか、すっかり顔を覚えられたような気もします(苦笑)。
まあ、じっくり見たいがために平日に何度も足を運んでいれば、そりゃあ覚えられますよね^^;
銃
「直違の紋に誓って」を書いた時に、銃については割と詳しく調べました。何せ、主人公の剛介が、「木村砲術道場」という二本松藩では珍しい西洋砲術の門下生だったもので、書き手としても、鉄砲についての基礎知識はマストだったのです。
たまに天狗党騒乱などで「銃を使わないで刀槍で戦っているよ(失笑)」みたいなニュアンスの書き込みなどを見かけることがありますが、実際には、刀鍛冶と鉄砲鍛冶の兼職の例も多かったようです。つまり、両者に武器としての扱いについては、あまり差がなかったんですよね。
二本松藩では、丹羽氏によって近代二本松城下が整備された際に、それまで若宮にあった鍛冶町を亀谷に移転させました。幕末期に有名な刀鍛冶としては、「古山陸奥介弘元」「田子駿河守正弘」が挙げられ、また、鉄砲鍛冶としては「丈右衛門久義(通称国友右衛門)が有名です。幕末期には軍の洋式化や鉄砲の充実・整備を急ぐため、主な刀鍛冶は鉄砲鍛冶に携わったとのこと。
ちなみに、今回戊辰戦争に使われた小銃についての比較表もパネルとして展示されていました。
このパネルの情報の元となった渡部由樹氏の「数学者が見た二本松戦争」は、私も「直違の紋~」を書いた際に、参考資料として使わせていただいたものです。
実は、現在連載中の「鬼と天狗」と「戊辰戦争」の頃では使う銃の種類も若干異なっています。その背景には、アメリカ南北戦争で不要になった旧式銃が大量に日本に転売されたという裏事情も。
また、それぞれの銃の種類が違うと、
・点火方式
・弾丸の飛距離
・弾込めの手順(前装式か後装式=元込め式か)
などがかなり違います。
たとえば、1864年の「鬼と天狗」では、「元込め・7連発式のスペンサー銃」が使われていたりしたら、おかしいわけです。
多分、二本松藩では買う余力もなかったですし、開発されたのが1860年ですので、1864年に日本に入ってきていたかは微妙なところ。
なお、会場では、こんな問題もありました。
答えは……。
ちなみに補足すると、パネルにある「ライフリング(施条)」は、弾丸そのものの揚力アップにも貢献します。
身近なものに例えると、ゴルフボールの表面は凹凸状になっていますよね。あれは、綺麗な球体よりも飛距離が出るようにわざと凹凸が刻まれているのです。弾丸にライフリングが刻まれるのも、同じ理屈もあるそうですよ。
刀・槍
「鬼と天狗」で武器として活躍しているのは、むしろこちらかもしれません。
誰も指摘しませんが、二本松藩が採用していた「山鹿流兵法」では、鉄砲は下級武士が使うものという扱いでした。上士らがあまり鉄砲を使う場面が出てこないのは、そうした既成概念の影響もあったのではないか……というのが、私の推測です。それに加えて、銃の使用が上士の間で嫌われたとすれば、ゲベール銃の頃までの命中率の悪さもあったでしょう。
ちなみに私がよく使わせているのは、「槍」。鳴海は割と武芸はどれも達者だったらしいのですが、戦場では馬上から指揮を取る人なので、リーチの関係から「槍」を手にさせていることが多いです。後は、長柄奉行(お役目としては「槍持」ですが、多分実質的なボディガード)の丹羽権太左衛門が直ぐ側についていますし。
こちらの写真は丹羽家中の名門の一つ、青山家の具足ですが、背後に「槍」が映っています。
鬼と天狗では鳴海が「借金の質草にしていた(!)」腰の大小ですが、新選組のように常に抜刀する機会がなければ、案外職務上の支障はなかったのかもしれません。しょっちゅう「切り捨て御免」をしていたら、武士だって咎められます……。
ちなみに、鳴海の借金についてはあれでも大分気を使って(有事に備えた積み立てローンに誘われた)、割と納得の行くような理由付けをしているんですよ^^;
また、時代劇などで出てくる「小柄」。
これも気になっていたアイテムの一つですが、現代で言えば「ペーパーナイフ」のようなものだとのこと。
(「直違の紋~」で、剛介の背中のやけどの水膨れを破るアイテムとして登場)
他に、刀と柄を止めるパーツである目貫、小柄、笄(髪型を整える櫛のようなもの)は「三所物」と呼ばれ、作者が同じデザインで作るものだったそうです。
おまけ
この日は週末ということもあり、2Fラウンジでは「いとまるしぇ」が開催されていました。
私が城報館を訪れる際には、人混みを避けて平日に訪問することが多いのですが、今回は後述する「数楽カフェ」との兼ね合いもあって土曜日に訪問したところ、たまたまイベントが開催されていたというわけです。
https://www.instagram.com/ito.marche2024/
さまざまなハンクラのお店が出店していましたが、私がPCを持ち込んだスペースの関係で、その側で出店されていた方のところで、久しぶりにビーズのワークショップを体験させていただきました。
→昔はビーズにはまっていた時期がありました(^^)
私も「ものづくり」は割と好きなため、ハンクラの面白さや苦労話?などで他愛もないおしゃべりにお付き合い頂き、楽しかったです。
もっとも、ご迷惑をおかけしていたら、申し訳ないです💦
……というわけで、体験して作ったヘアクリップがこちら。本職の方に比べれば、ストーンの並べ方が雑ですが^^;
まあ、自分で使うものなので気にしない(笑)。
さて、露伴亭訪問及び「数楽カフェ」については、また後日に詳細をアップします。
また、今回のトップ画像は、ある拙作の登場人物に縁の地碑を撮影してきたものです。
→若干個人情報に関わるので、誰の縁の地なのかは皆様のご想像にお任せします。
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