ライターとしての良心
現在、新しいPCになったせいか、まだまだ以前のようには書けません。
もっとも、新しいというよりは「代替機なので、思うままに動かせない」というほうが、正確でしょうか。
先日、思わずツボにハマりXに流したのは、「加療」という変換ミス。
なぜこの言葉が最初に登場したのかはわかりませんが、字面からして「新たに治療を追加する」という意味合いだというのは、分かりました。ちなみに現在私が受注しているのは、法律・会計分野の案件。従って、医療とは全く関係のない分野であり、思わずツボにハマってしまった次第です。
過料と科料
本来は、「◯◯懈怠」(業務上の守秘義務があるので伏せ字)に関するSEO記事なのですが、要するに、ある行政手続き上の義務を怠ったことに対するペナルティに関する記事を受注したときのことです。
法律を学んだことのない方には「何がなんやら」の内容かもしれませんが、たとえば、3月15日の確定申告に手続きが間に合わず、そのままズルズルと手続きを放置していたとします。この場合、「行政罰」の一種として手続きの遅滞者に対して「過料」が課されるとしましょう。
国民は納税義務を課せられていますから、納税義務を怠ったことは、行政手続き上の違反事項として、延滞税などのペナルティが課せられるわけです。これが、「過料」の基本的な考えです。
では、これは履歴書などに記載する「賞罰」の欄において、申告すべき「罰」なのでしょうか。答えはNo。ペナルティはペナルティなのですが、刑事罰、すなわち「犯罪者」扱いにはならないのです。かと言って、懐からお金が出ていくことには変わりがないので、できれば避けたいところ。
一方、「科料」は刑法上・刑事訴訟法上の「金銭的制裁」の一つ。よく似たものに「罰金」がありますが、金額が1万円以上が罰金、1万円未満が「科料」というわけです。ただし、金額が些少でも「刑法上のペナルティ」である点に変わりはなく、「犯罪」に対する懲罰というわけです。
大学の基礎法学の授業などで真先に叩き込まれる基礎知識ですが、SEO記事の作成の中でうっかり変換ミスを見逃すと、全く意味合いが変わってきます。
実生活でもそれなりに大学で学んだ知識に助けられたことは多々ありますが(専門は家族法)、現在でも、結構役立っています。たまに、クライアントから「参考記事」として送られてくるサイトの中でもこの手の「変換ミス」を発見することがありますが、それに気づくかどうかは、やはり曲がりなりにも専門知識の有無次第……ということもあるのかもしれません。
副業と複業
もっとも、私も変換ミスに関しては迷うこともあります。直近で悩んだのが、これ。やはり会計処理上の「仕訳」の勘定科目に関するSEO記事で登場した言葉ですが、本業に対する収入の比率・性質などを考慮して、どちらの字面が正しいのか判断しなければなりません。
「副業」というと、きちんと確立された本業があって、その他に、収入割合が低めの「サブ的」な仕事を持っているイメージ。サラリーマンがアルバイトやクラウドソーシングに手を出すようなイメージでしょうか。
一方、「複業」というと、いくつもの「事業」を営んでおり、それぞれの事業の間に優劣がないイメージがあります。
一見どうでもいいことのようですが、会計処理上は、「雑所得」にするか「事業所得」にするかの違いが出てきて、青色申告関係の優遇措置を受けられるかどうかも変わってきますから、やはり書き手側には、正確な「条文解釈・文章読解能力」が求められます。
その文章に責任を持てるか
何でこんなことを書いたかというと、今年は、間接的に「法的争訟」を見聞することが多かったから。
私自身もnoteを始めた頃から各種法律については時折解説していましたが、やはり、YMYLの分野においては、「人の人生を左右しかねない」記事を任されますので、書き手側も、常日頃から正確な知識を身につける努力・入念なリサーチは欠かせません。
それにも関わらず、noteの世界において感情論のみで「法律」「各種権利」を語る人の何と多いことか。
もちろん、どの程度「自分の文章」に責任を持つかは、その文章のジャンルなどにもよります。私も俳句や小説などでは比較的自由に、開き直って書いている部分もあります。これらのジャンルにおいては、最終的には「あくまでも、創作なので」と逃げることも可能ですから。
ですが、ライターとして受注する案件については、明らかに「創作」とは違います。オリジナリティを追求するあまり、条文の文言などを変えたならば、誤解を受けかねないのはもちろんのこと、誰かの人生を左右してしまうかもしれない、そんな怖さがあります。
それ故に毎回コピペチェックの「コピペ率」に悩まされながらも、言い回しを工夫しつつ、情報の正確性を追求しているわけです。
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少し前の、ある編集者の記事を拝読して「何だかなー」と次第に違和感を覚えていったのは、このようなジャンル特有のバックボーンの違いがあるからなのでしょうか。
誰も指摘しませんでしたが、何であれほど「言い分が二転三転、ぶれまくりなんだろう」というのが、私の抱いた感想です。
「タイトルが全て」。もちろん私もSEOライターの端くれですから、SEOの理屈は理解していますし、要所要所で言っていることは間違っていないと思います。タイトルや見出しを32文字以内(35文字説もあり)に抑え、その前半にKWや共起語を埋め込んでクローラーが見つけやすいようにするなどのテクニックは、SEO記事の基本中の基本。
ですがその一方で、「数字が取れれば何でもいいのか」「書き手としての良心はないのか」「開き直ることが、本当に正しいのか」などの疑問は、今でも抱えたままです。
何と言うか、ライターとして大切にすべき「読者ファースト」の視点が欠けている……という印象が、どうにも拭えなかったんですよね。
ある意味、私にとっては「反面教師」とも言うべき存在なのかもしれません。もちろん、彼の人の言うことが全て間違っているわけではないのですが、私自身は、全く同じやり方は踏襲しないだろうなあ……と、今でも思います。
それが、私にとっての「ライターとしての良心」ですから。
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